私の修業時代② 調理師学校の仲間たち | シェトミタカ通信

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patisserie opened in beppu in 1997


本日
濃厚チーズブリュレと
濃厚抹茶チーズが完売しました

シェトミタカは月火曜定休日です

お休み明けの水曜日からチーズブリュレを
木曜日から濃厚抹茶チーズが再スタートです






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私の修業時代②  調理師学校の仲間たち



1987年昭和62年4月に
横浜の調理師専門学校へ入学


入学した調理師学校では殆どの生徒が神奈川出身。神奈川県外からの新入生は、福島、茨城、静岡から一人づつと、私が九州から初の入学生でした。

九州から来たって事で、クラスの男子からは親切にしてもらいました。自分では訛ってるつもりはないんですが、、私の喋り方をよくマネされてました(笑)

でも真似されてそんな嫌でも無かったし、今で言う“イジメ”みたいな空気はなかったですね。

家財道具も無い私のアパートに、扇風機を貰ったり、夏はよくドライブに鎌倉まで海水浴に連れてってくれたりよく遊びに誘ってもらいました。
 
特に仲が良かったのが、パブや居酒屋でバイトしてたムードメーカー的な田盛君、焼肉屋でバイトしてた横浜高校野球部出身の吉川君、同じ相鉄線を利用してた堂安君の3名でした。

本当に彼等を含め専門学校の級友たちは温かく迎え入れてくれ、横浜の事をいろいろ教えてくれました。

バイトと調理学校の掛け持ち組の私たちは、、バイトがメインの生活になっちゃてましたね。たまに専門学校で会うと、『俺は肉を切らせてもらえるようになったぜ!』とか、『昨日は予約一杯で深夜まで働いたんだよ』『うちのチーフはスゲェ仕事早えんだぁ〜』って、バイト談義に盛り上がりました。。