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甲羅に似せて

蟹は甲羅に似せて穴を掘るそうです。私も日々の想いを
蟹が穴を掘るように綴っていけたら・・・。

何かか降りてきたかのように、思いつくまま記事を書き続けている、今日この頃。


昨日は「エンタ総集編」と「すべらない話」を見たり、井上cupの動画を見たりと、頭の中がお笑い一色でした。それで思い出したのですけど、先日23日、両方の親を呼んでのパーティの時、ちょうどM-1の後だったので、そんな話題でも盛り上がれたらと、さりげなく私が話を振ったときのことです。


父が栃木出身なので、「栃木のことをネタにしたお笑いの人がいるんだけど、知ってる?」と話しかけると、「ああいうガチャガチャしたものは、どうもね。」というつれない返事。相方さんの両親たちも、「テレビをつけるとそんなのばかりで…。」みたいな方向で皆うなづいていて、相方さんまでもが「ほんとにね。」みたいな感じになって、「あれ、いつも見てるのに、裏切り者~。」と心の中で叫んでおりました。


おかしいなあ。昔、父親はお笑いとか見て、よく笑っていたという記憶があるんだけど、年を取ると、あの会話のスピードになかなかついていけないのかなあなどと、少し淋しく感じました。


昨日はエンタを観ながら、「NON STYLE、出てたんだね。」と娘と話し、「あんまりおもしろくなかったから覚えてなかったのかな。」と見始めたら面白くて爆笑し、「なんだ、やっぱり面白いじゃん。」と2人で納得。M-1ではフリートークが下手だと言われていましたけど、漫才じゃない時のリアクションとかも、すごくよかった記憶があります。気付かなかった面白さに、あるとき気づく驚きってありますね。


私はナイツとかオードリーはあまり好みではなくて、M-1をきっかけにモンスターエンジンにどうやらハマってしまったようです。あらびき団とか見ている影響もあるかもしれません。向って左側の人が特に。


NON STYLEも、何度も観たい感じ。


一年でこんなに新しい人がいろいろ出てくるなんて、すごいなあと、感心します。それとともに、人知れず消えて行く人もいるわけで。見る方には楽しいことだけど、厳しい世界だなとも思います。

やはり、柏原が犯人だったんですね。そうだったらあんまりだと思っていたので、「なんであんたなんだ。」という功一の言葉は心に突き刺さりました。


事実ってそういう割り切れないものなのかもしれないけれど、罪に対する感覚が人より厳しいはずの刑事という職業をしていて、いくら息子を助けるためとはいえ、両親を殺して子どもがどうなるかということを考えなかったはずがないと思うし、200万円というのも、人殺しをするほどの金額なのだろうかという疑問も残ります。そういうことさえ考えられなくなるほど、切羽詰まって心乱れていたということなのでしょうか。


そして時効が近づき、功一たちが犯人探しをするのを近くで見ている柏原の心のうちには何があったのでしょうか。


逃げ切りたいのなら、再び三兄弟に近づく必要もないわけで、心の奥で自分の罪は明らかになるべきだという思いと、兄弟たちの行く末を案じる気持もあったように思います。


私は12/5の回の、カレーハウスで功一と柏原が話す場面がとても好きで、何度もこの場面を繰り返して観ていました。2人の内に秘めた何かの気配を感じて、それが何なのかと想像力をかきたてるシーンでした。


柏原「犯人つきとめたら、どうする?俺が刑事だということを忘れて、ただの50過ぎのオッサンの質問だと思って答えろ。」

功一「(きっぱりと)殺しますね。…柏原さんは?」

柏原「えぇ?」

功一「刑事じゃなかったらどうします?」

柏原「殺すね。少なくとも、それくらいの覚悟でやってるよ。」


この後、功一は何を思ったのか、チキンカレーと言われたのに、アリアケのハヤシライスを柏原に出します。

「うめえよ。」と声をかける柏原の言葉に笑いながら、背を向けて頬杖をつき、何事かを考えこむ功一の頬を伝う一筋の涙。功一の心の中を推し量らずにいられない、その表情の変化に、しばし心を奪われました。


昔、アリアケのハヤシライスをよく食べたと話す柏原は、何故同じものを食べて気付かなかったんだろう。後から考えると、あるいは気づいていたのかもしれません。そして、犯人云々の会話。犯人が柏原だとわかってから聞くと、また違った意味で胸に迫るものがあります。


最終回、拳銃を構えながらも柏原に生きて償うことを求めたのは、功一の優しさなのかもしれません。そうすることで、両親の死を乗り越えることができたのかも。


ポストイット高山さん、好きだったので、最後までありがとうと思いました。行成くん、なかなか味のあるキャラでしたね。ジョージさん、途中からちょっとあぶない感じのキャラになっていったのが面白かった。寺島さんとか柄本さんとか愛子さんとか…。キャスティングも個性的で好きでした。まゆなし、最後まで不思議な役どころでしたね(笑)。


そして二宮くんと錦戸くんと戸田恵梨香ちゃん。うまかったなあ。すごく入り込んで観てしまいました。あと、子役の子たちも雰囲気がぴったりで、特に功一役の子には、泣かされました。


いろいろあって戸神父に買い戻してもらったアリアケのお店が再オープン。「かわいそうな顔じゃないよ。」と言う功一の言葉に微笑んでしまいます。そんな日の光の中にある幸福な結末を予想できなかっただけに、ハヤシライスの香りが立ち込める中、軽口をたたき合う兄弟たちの声が聞こえてくるようでした。


主題歌「カンパニュラの恋」の、心の奥に深く沈みこむような切ない歌声に包まれて、普遍的でいてなかなか直視できない「死」というテーマにじっくりと向かい合うようなこの物語は、観る方にもそれなりの心構えを求めるところがあって苦しいのに、見ずにはいられないようなところがありました。


貞美が病魔に侵されて、先にガンで死んだ二神に、早くこちらにおいでと夢の中で何度となく誘われてうなされる様子や、最後、口がまわらなくなりながら、中学の頃の話を貞三さんに訥々と語る様子が、なんだかリアルで、胸に迫ってきました。死を前にして、人は子ども時代に帰るものなんですね。


やっ戻ってきた息子を看取らなければならない貞三さんの悲しみは、どんなだったのでしょうか。


以前、かわいがっていた犬が死んでしまって犬を抱きかかえながら悲しむ岳くんに、貞三さんは言いました。

「かなしいというのは、いとしいと同じ意味なんだよ。愛しいから悲しいんだ。」


訪問医をしていた貞三さんがあるお宅で、死に行くお年寄りの往診をしていた時、「今旅立とうとしています。そばに来てあげてください。」と、家族に呼びかけるシーンがありました。「旅立つ」というのはいい言葉ですね。そうして奥さんや子どもや孫が、お年寄りの顔を撫で、手を握り、足をさすってあげて、亡くなった時、「よくがんばったね。」と言いながら、みんなで拍手をしてあげたのです。


住み慣れた場所で、身近な人たちに囲まれてゆっくりと一生を終える。なんでもないことのようでいて、今の時代、なかなかできないことです。病院のベッドでされるようなモノ扱いに心の奥で傷つくこともなく、人間的な尊厳をもって死に向かい合えることは、とても幸せなことだと思います。


貞美もそんな風に、静かに死んでいきました。


色とりどりの花が咲き乱れるガーデンが映し出されるエンディングに流れる曲が、「カンパニュラの恋」でなく、「乙女の祈り」であったことに、何とも言えない清々しさを感じました。死に行く人がいて、芽吹く命がある、そんな希望に心を向けられる終わり方でした。


岳くんは、最後に遠く離れてしまって、かわいそうな気がしましたが、貞三さんの判断は確かに正しいと思います。死んだと思った父親がまた現れて、もう一度死んでしまうのは、残酷すぎます。

最後のお別れのとき、岳くんが最後に見たガブさんの姿は、ほんとに何かこの世のものとは思えないかわいらしさ(他にことばが浮かびません)でした。あの姿だけで、十分かもしれません。


誰の身にも、等しく訪れる死。この物語を、緒形さんはどんな思いで、演じていたんでしょうか…。