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甲羅に似せて

蟹は甲羅に似せて穴を掘るそうです。私も日々の想いを
蟹が穴を掘るように綴っていけたら・・・。

ここまできてA子、B子と呼び合っている2人に、そんなにお互いに嫌なら、違う呼び方考えたら?と心の中でダメ出しする私。せめて、ここではA子改め清海ちゃんと呼ぶ事にします。


 お箸というものについて、小さい頃から当たり前に使っていて、改めて考える事もなかったけれど、異国の文化の中て育った秀臣さんにとっては、日本の家庭というものの象徴だったんですね。


 こんな風に腹を割って、早くに話し合っていたらよかったのにと思いつつ、秀臣さんの話の中には、伝統若狭塗り箸が生き残っていくためのヒントが出ていましたね。

 純血よりも異国の血が混じった方が優秀な子が生まれると聞くけれど、芸術も異文化交流をする事で、新しいアイディアがうまれるのかもしれません。


 秀臣さんが合併の話を持ちかけたのは、職人としてではなく、売る側の人間として若狭塗り箸に携わって行きたいという気持ちから出たものでした。そういう視点を持つ事ができたのは、いったん外へ出て、売るという立場でものを考える事ができたからだとすれば、秀臣さんのしたことは無駄ではなかったんですね。


 正典さんに真意が伝わって、2人で力を合わせれば、なにか新しい力が生まれる気がします。ここに正平君が加われば力強いのですが、やはり、後は継げないと、正典さんに言ってしまいました。この後、正平君の作った塗り箸でまた一波乱あるようなナレーションでしたが、なんでしょう??


 秀臣さんが謝っても、小梅さんは許せないと言い、許してもらおうとは思っていないと秀臣さんは言います。

 その時、喜代美ちゃんは、おじいちゃんが悲しんだのは、秀臣さんの腕前のことでなく、実の息子のように思っているのに、他人行儀だったことじゃないかと、草々さんと草若師匠を例に出して言います。


 小さい時から一緒にいた喜代美ちゃんだからこそ、おじいちゃんの気持ちが自然にわかったんですね。草々さんと師匠の関係は、秀臣さんとおじいちゃんの関係に、そういえばよく似ていますね。小梅さんと秀臣さんはいつのまにか抱き合って泣いています。


 帰り際、喜代美ちゃんは清海ちゃんに落語会のパンフを渡して、観に来てほしいと声をかけますが、清海ちゃんは、今はまだその気になれないと受け取りません。

 自分の夢を実現している喜代美ちゃんを見るのは、まだ今の彼女にはきついことですね。でも、自分を殺して家族の犠牲になる必要がなくなったこれからが清海ちゃんの新しいスタートです。


 喜代美ちゃんが徒然亭に戻ると、縁側にはボロボロのスーツを着て、力なく横たわる草々さんがいます。「どうしたの。」と駆け寄ると、そこに草原さんと四草さんが現れます。

 「今のお前にぴったりやと思うで。」と言って草原さんがくれたのは、新しいスーツでした。「師匠やおかみさんとの思い出も大切だけど、今の自分の身の丈に合ったものを身につけるように。」という言葉は、心に沁みます。

 さっそく着てみようと急に元気になって草々さんは奥に入っていき、喜代美ちゃんも後を追います。


 四草さんのたくらみを見通して「代金は折半な。」と言う草原さんの言葉にギョッとする四草さん。新しいスーツの代金までは算段していなかったようです。小草若さんと四草さんのコンピも面白いけど、この2人のコンピもいい味出してますね。四草さんが、終盤に向かってどんどん男前になっていくような気がするんですけど、気のせいでしょうか。ちょっと歌舞伎役者みたいな感じになってきました。


 段々終わりが近づいてきて思うのは、ドラマが始まってから、時間の流れの中で、すごく登場人物が成長したり、キャラが変わったりしていくところが、現実にいる人みたいにリアルで面白いなあということです。子どもっぽい喜代美ちゃんと比べると、草々さんがすごく大人に見えたものですが、この頃は喜代美ちゃんの方が大人びて見えます。草原さんと四草さんは風格が出てきたし、小草若さんは最初の威張っていた頃とは打って変わって気の小さい男の子という感じです。清海ちゃんがとても沈んだ感じがするのは、笑顔がないせいもありますが、服も性格を映した暗い感じのものが多いですね。


 書いていくと、登場人物全部網羅してしまいそうですが、一人一人語れるほど、それぞれのエピソードが充実していることにも驚かされます。


 めでたしめでたしで終わらない、それぞれの一生懸命な生き方を見ているのは、ほんとにおもろいなあと毎回感じます。最後まで、先が読めずにドキドキしている感じが新鮮です。

 昨日、高校の卒業式が無事終わり、謝恩会の係も忙しかったけれど、みんな楽しそうでよかったです。ホテルの立食も謝恩会プランが今年から出来て、割安でできたのでラッキーでした。先生、生徒、保護者と参加が意外に多くてにぎやかだったし、お料理も最後までなくならなかったので、係の人も合間に結構食べられたみたいです。


 帰ってくると、ビデオのテープがデッキに絡まって、その後デッキも調子が悪いとか。前からしょっちゅうテープが絡んでいて、だましだまし使っていたのですが、ついに寿命か・・・。


 お兄ちゃんも、まだ行き先が決まってないけど、終わったようなものなので、テレビとDVD買っちゃおうかな~とは思いつつ、今、録画できない、録った物を観られない状態にちょっと凹んでいます。


 えっと、きのうの朝、検索ちゃんは大急ぎで観たんでした。井上さんがベッドがダメで、低反発のマットを二枚重ねて枕をいっぱい置いて寝ているというので、その様子を思い浮かべていました。

 ちりとては、草原さんが草々さんにスーツを買ってあげたところを、あっちこっち走り回りながら、かすかに見た記憶があります。


 どうか復活しますように。

今週は秀臣&A子ストーリィーですね。


 お見舞いに行って、「清海が可哀想。」と奥さんに言われる秀臣さん。お見合いのため、A子を迎えに製作所へ行くと、そこには喜代美ちゃんが来ています。

  自分で決めた事だから心配しないでと言うA子に、「うそ、自分で決めたんなら、もっとうれしそうな顔をしているはず。」と喜代美ちゃんはきっぱり言い放ちます。


 するとA子は、「ええ子なんて呼ばれてぞっとしていた。」と、心に秘めていた自分の思いを語ります。喜代美ちゃんにとってはうらやましい存在だったA子ですが、良い子という役割をいつも演じなくてはならないことを、ずっと負担に思っていたなんて、人の心はわからないものです。

 東京行きは、そんな自分と決別して変わりたいという意味合いもあったんですね。それが失敗に終わった事で、彼女は自分を見失ってしまったんでしょうか。


 A子は首から思い出のペンダントをはずして、喜代美ちゃんにあげると言って渡します。「これは・・・」と驚く彼女に、「捨てたんでしょ。まわりまわって、ボロボロに錆び付いて、私の所にもどってきたわ。」と、A子は話します。


 ボロボロに錆び付いたペンダントは、まるで今の自分の心のようで、可哀想でそれでもいとおしくてずっと身に着けていたんでしょう。そして、それを喜代美ちゃんにあげたのは、そんな自分をわかってというメッセージだという気がします。


 物陰で話を聞いていた秀臣さんは、お見合いを直前になってキャンセルします。娘のためにもなると自分に言い聞かせていたけれど、それがどんなに残酷な事か、わかったんですね。

 同時にそれは、製作所をあきらめる事につながっていきます。


 魚屋食堂に現れた秀臣さんは、箸が使えるようになった孫達に目を細めながら、「製作所をたたもうと思う。」と、友春さんに話します。正平君の箸で儲けるのに失敗して、秀臣さんに文句をいいに来た小次郎さんも、その話を聞いてびっくりします。


 一方、徒然亭では、小草若さんが、草原さんに「はてなの茶碗」の稽古をつけてもらっています。そのすぐ後ろには四草さんが聞いていて、厳しくダメだしをしています。

 いきなり「はてなの茶碗」よりも、「愛岩山」をやってはどうかと言う草原さんに、「それはあきません。」と、泣きそうな表情の小草若さん。・・・いろんな思い出が詰まりすぎた作品ですからね。


 そこへ草々さんの怒鳴り声から逃げるように、木曽山君が駆け込んできます。四草さんの口車に乗せられて、クリーニング代を浮かせるために洗濯機でスーツを洗ってしまったんですね。そこまでボロボロになるかというくらいすごいことになってましたね。ボロボロになったスーツを着ながら、へなへなと倒れこむ草々さんはちょっと情けない感じです。


 四草さん、おかみさんの思い出と決別させるために、わざとやったような節がありますね。喜代美ちゃんもおかみさんになった事だし、春の陽だまりコンプレックスは、そろそろ卒業時なのかもしれません。

 四草さんも、彼なりのやり方で、徒然亭の先行きを考えているんだなあと思うと、なんだか独特の風格が出てきたようにも思います。


 夜遅くに病院を訪れた秀臣さんは、その後行方がわからなくなります。A子は何故か喜代美ちゃんのうちに駆け込んで来て、父が来ていないかと訊ねます。母がここにいるはずだと言ったのだと。


 小梅さんについて、和田家のみんなとA子が塗り箸の仕事場に行ってみると、電気もつけずに作業場に秀臣さんが座っています。

 「製作所をたたむ今、あなたにとって塗り箸とはなんですか。」と、こんな時にも仕事モードで訊ねる奈津子さんに、秀臣さんは語り始めます。


 「あの時と同じ。」というのは、秀臣さんが修行していた頃、中学生になった正典さんが始めて作った塗り箸に、自分にはない、受け継がれた日本人のDNAを感じて、自分の限界を感じたときだったんですね。


 秀臣さんをこれまで見てきて、外国人の顔立ちとやけに滑舌よくしゃべるのに違和感を感じていたのですが、外国人の父を持つハーフだったとは、この配役にも意味があったことにびっくりしました。ナイフとフォークで生活していたので、お箸を使う事で日本に馴染みたかったとは、思いもつかない展開でした。


 それにしても、亡くなった正太郎さんは罪な人です。小次郎さんばかりでなく、秀臣さんまで、足りない愛情を求めて、苦しませていたとは・・・。愛情はあったと思うんですが、きっとそれが伝わってなかったんですね。

 そんなに思いつめて修行をあきらめたことを、正太郎さんは知っていたのかどうか。

 塗り箸への愛情はそれぞれ深いだけに、哀しい話です。


 話を聴きながら、塗り箸の良し悪しは私にはわからないけれど、そんな悩みがあるのかなあと、その微妙な差を知りたい気持ちに駆られます。ある程度、技術的なことを教わって型どおりにやっても、そんなに差があるものなのかなあと、100円ショップで買ったお箸を使っている身では実感が涌きません。

 製作所は100円ショップにやられちゃったのかしらなんて思う程度です。


 芸術は、極めようとすれば受け継いでくれる人に目が行くのは仕方のないことだし、自分の未熟さとは自分で戦っていくしかないんでしょうね。羨望の対象だった正典さんにしても、孤独な戦いの日々である事にはかわりありません。

 秀臣さんは、製作所をたたんだ後の自分が何をすべきか、想像がつかなくて、自分の原点である場所に戻ってきたのかなと思います。彼なりの、自分のよさが生かせる道が見つかるといいのですが。


 そして、A子にも、いい子じゃない自分を出して、そんな自分が好きになれるようになってくれる事を願っています。