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甲羅に似せて

蟹は甲羅に似せて穴を掘るそうです。私も日々の想いを
蟹が穴を掘るように綴っていけたら・・・。

いつも行くサイトさんの情報で、25日のモンハン決勝大会の、井上さんたちの様子を堪能する事ができました。


遠目に見る井上さんは、相変わらずほっそりしていましたが、サラサラの髪の毛に優しい笑顔で、元気そうでよかった。


前の日に一緒にモンハンをやったはいじぃさんは、当日は寝不足のため、ぼーっとしてしまったそうです。「エキシビションで出ていた井上さんが一番強かったんじゃないか。」なんていう、はいじぃさんの評価に、なんだかテンションが上がります。


やり直してから300時間を越して、今は女の子のキャラで遊んでいるという井上さんは、「どうしたらそんなことができるのか」と聞かれて、「寝なければできます。」との答え。

それができるのは、井上さんだけなんじゃ・・・。


会話の端々から、やりこんでいることがわかる人にはわかったようですが、こういう時には、それがわかる人が心底うらやましくなります。装備なんかも、相当凝っている感じでしたね。


辻本プロデューサーを含む4人で戦っていた様子のレポも、すごく楽しそうでした。井上さんの動き、生で見てみたかったなあ。つむじのとこまでモンハンに浸かっていた井上さんの技は、きっと目を見張るものがあったでしょうね。


でも、生で見てもわからないかも。決勝で戦っている人たちのを観ても、何が起こっているかよくわからなくて、観ている人たちが「おおっ!」「これはすごいですね!」なんて感嘆しているのをぽか~んと観てましたから。


ゲームに熱中する井上さんを心配しながらも、ここではぶっちぎりのヒーローだった井上さんが、まぶしかったです。しかも、女子の黄色い声なしですから。


そういえば、「くりぃむナントカ」のHPに、辛い奴らの予告で井上さんの写真がありました。あれだけは出ないだろうと思っていたんですが、大丈夫かしら。

「大木ちゃん日記」、これがきっかけで大木ちゃんファンになりましたが、今回の、面白かった~♪「女は上書き保存」って、なんか判る気がする・・・。




「蟹工船」は、1929年に小林多喜二によって書かれた小説で、私も読んだ事がなくて、名前を知っているだけですが、これが本屋さんでとても売れていて、都心のほとんどの本屋さんで平積みされているのだと、今朝のニュースでやっていました。


カムチャツカで蟹を採って、それを船内の労働者が缶詰に加工する蟹工船の中の話で、ノルマをこなすために監督者が不当に労働者を酷使したため、労働者が立ち上がり、ストライキを起こすものの、軍に鎮圧されて、前にも増して労働酷使されるようになり、再び労働者が立ち上がるという、特定の主人公がいない、群像を描いたプロレタリア文学の代表とされる小説だそうです。


80年も前に書かれたこの小説が知られるきっかけになったのは、この作品がマンガ化されて、マンガ喫茶に置かれるようになり、そこで読んだ人の口コミで、広がって行ったそうです。


この作品に書かれる労働者の実態が、ワーキングプアと言われる、働いても賃金が低いままで苦しんでいる今の若い人の労働状況と似ていることで、共感を得られたのだとか。


この間は、太宰治の「人間失格」が、表紙をイラストに変えたことで、再び読まれているというニュースにびっくりしましたが、こういう現象は面白いし、日本の古い作品が、新しい視点で若い人に読まれるのはうれしいことだなあと感じました。


本が売れなくて、若者の活字離れが語られた時期もありましたが、今の時代って、老いも若きもけっこう活字に親しんでいるんじゃないでしょうか。


図書館に行っても結構人がいるし、借りたいと思う本は貸し出し中になっていることが多いです。子ども達も、名作は読まないけど、若い人が書いた話題の小説を読んでいるし、ブログを読むのも、紙に直すと結構な量になるんじゃないでしょうか。


そのことがうれしく思うのは、やっぱり物事を深く考えるためには国語力が不可欠で、本を読むことで自然に身につくことだからです。

正しく物事を判断できる若者が増えれば、今は物価高その他でちよっと住みにくくなってきた日本も、未来に向けて段々良くなっていくんじゃないかしらと、期待します。

ブログネタ:あなたが考える「男らしさ」「女らしさ」って何? 参加中
昔ながらの「男らしさ」「女らしさ」の定義からすると、この言葉はもはや死語ではないかとも、思います。

自分が小さい頃、親や先生から、「女らしく」とか「女として」というフレーズはよく聞かされました。
その性差の元になっているのは、戦前からの「男は仕事をして、女は家を守る」という、社会や家族のあり方に都合の良い教育だったように思います。
食事の支度や洗濯は、私はさせられましたが、弟には声はかかりませんでした。

自分の子育てでは、逆に性別によって子どもを区別した事はない気がします。男の子でも、身の回りのことができないと、将来困るし、女の子だからって、自分の意見も言わずにしおらしくしていることはないし、性別より、人としてどうかという事の方が気になります。

自分の周りでも、男らしくてカッコいいなという女性がいますし、細やかな心配りのできる男性もいます。型にはめられなくなった分、その人の良さが素直に認めやすくなっている気がします。

一方でこの頃は、精神的なたくましさのない、頼りない感じの男子が増えている気がします。反対に、女の子はリーダーシップを取ったり、思うことをはっきり言えたり、男女の逆転現象が起きているように思います。

ひょっとしたら、男尊女卑みたいな考え方のもとって、気弱で繊細な男の子がたくましい大人になるために考えられたシステムなのかなあなんて、最近考えます。
「男の方が優れている、偉いんだ。」と叩き込まれることによって、男の子は自信を持って生きられるのかも。

逆に、元気が良すぎる女の子は、調子に乗り過ぎないように、男に従えと洗脳しておいてちょうどいいくらいなのかもしれません。

とすると、男の子が元気を取り戻すためには、一回りして、古い時代の価値観に戻って、励まして、立ててあげるくらいの方がいいのかもしれません。

あ、でも、男尊女卑はいやです。

相手の性を尊重しながら、自分らしく生きることが、人それぞれの「男らしさ」「女らしさ」につながるような気がします。