I miss 納豆 ★ 留学日記 in Seattle -71ページ目

Snowpocalypse

今日は日本の関東でも雪が積もったそうですね!
こちらも先週は雪続きでした雪

火曜日に授業があったきり、
あとは雪の日が続いたため、
ずっと学校がお休みになりました。

道路は雪で凍結。
冬でもあまり雪が降らないシアトルの街は、
このくらいの降雪でもパニックのよう。

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↑バスがスリップして建物へ・・・

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↑動かなくなった車を押す人たち

高校2年間を極寒のミネソタで暮らした私には、
ちょっとビックリな感じ 笑
でも、吹雪でもないのにほぼ1週間お休みになったのは、
かなーり嬉しかったかも!

休校になるかならないかの連絡は、
前日の夜にメールで一斉送信されます。
だから、生徒はみんな天気予報をチェックしながら、
メールが届くのを待ち構えて・・・

休校とわかると、
寮のあちこちから歓声があがり、
そのうち寮全体が大騒ぎキラキラ
まるでお祭りのようでした!

私も翌日授業がないとわかると、
夜からお友達と遊んだり
(夜食を作って食べたり映画を見たり)、
次の日はゆっくり寝たり。
まるで第2の冬休みをもらった気分でした~はーと

こんなことをして子供のように雪遊びをしたり、

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雪だるまも作りました雪だるま

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こんな子供じみたことをしていたのは私達だけsss
いえいえ、そんなことはありません。



たまに降る雪なら、誰でも遊びたくなっちゃうものですきら

初雪 in Seattle

Minnesotaではこの時期毎日当たり前のように見ていた雪が、
Seattleでも降りました雪

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今は雨が降って全部溶けてしまいましたが、
降ってからすぐの時はとってもキレイでしたゆき。ゆき。

Seattleは雪に慣れていない街なので、
ちょっと積もるだけで学校が休みになったりするのですが、
運悪くsss 週末に当たっちゃった・・・

やっぱり雪はいいな~雪雪
寒いのはイヤだけど、雪が降るなら全然OK♪

それから、これは先週水曜日の夕焼けの写真。

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私はオーケストラの練習中で
(いつも練習中に日が暮れてしまう・・)
実際に見ることはできなかったのだけれど、
お友達が写真を撮っていたのでもらいました。
それにしてもすごくキレイ!!!!

この週末は月曜日が祝日(Martin Luther King's Day)だったので、
三連休でした。
さーて、今週も今日から頑張りましょう顔

環境倫理学の授業

Environmental ethics(環境倫理学)の授業は、
2つのパートに分かれていて、
火曜日と木曜日は教授の授業を聞き、
水曜日と金曜日は大学院生(TA)とディスカッションをします。

水曜日に初めてのディスカッションの授業があり、
その時に討論した内容について書きたいと思います。

"The Last Person"と呼ばれている、
哲学の問題(テーマ)についてクラスのみんなと話し合いました。

「現在、地球上にたった1人しか人間は存在していなく、
その人は自分ももうすぐ死んでしまうと分かっているとします。
他の動物も全部絶滅してしまって、
残っているのは微生物や植物だけになってしまったとします。
今、地球に杉の木が人間と同じように1本だけ残って存在しています。
その人が『死ぬ前に木を切ればさぞかし楽しいだろうなあ』と思い、
その木を切ってしまうことは、道義的に悪いことでしょうか?」

これがその問題。
この問題を聞いて、
・・・普通の人は木を切って喜びを得ることなんてないだろう
と、まず最初に私は思ってしまいましたが、
きっとこの人は元木こりハッピーだったのでしょう 笑

私の意見は、
杉の木を切って薪木やもっと長く生きながらえるために使うのなら、
木を切断することは悪いことではないと思いました。
それは、今人間が魚や肉や作物を食べて生きていることと
同じことだと思うからです。
でも、この問題では木を切る理由は特にない。
単に楽しそうだから切る。
ただそれだけの理由ならば、
その木を絶滅に導く行動をするべきではないと思いました。
その木がなくなることで、
その地域の生態系が変わってしまう可能性もあると思うからです。
そうなると、その木だけではなく
他の植物にも影響が及ぶことだってありえます。
死ぬ間際の人間が一瞬の喜びのために、
周りに大きな影響を与える可能性を作ってしまうのは、
正しいことではないと思いました。

クラスメートの大半は私と似た意見を持っていました。
(まぁ凡人が考えるような意見というわけです 笑
この考えは普通に真っ当な意見だと思います。

でも、中にはハッとさせられるような
ユニークな考えを持つ生徒もいました。
「人間が絶滅する時点で『道義的』というものが存在しなくなるのではないか。」
(→ たしかに。)
「人間やその木が絶滅したとしても、
昔、恐竜が絶滅してから人間や他の動物が誕生したように、
またいつか新しい生物が誕生して地球はまた蘇る可能性もあると考えれば、
今死ぬ間際の人が何をしても特に問題はないのでは。」
(→ そういう発想もあるのか!と。この人賢いと思った。)

私は正直言って、こういう哲学的な授業は
あまり自分に向いてないなと思ってしまいました。
哲学って要するに人間が考える戯言のような気もして。
環境哲学という時点で、
人間中心の世界だなあと思ってしまう部分がある。
他の生き物に哲学なんて存在しないのに・・・ってね。
人間があれこれ画策しても、
自然の摂理に勝るものはないんじゃないかって。

環境倫理学って、もっと具体的な環境問題について
考察する授業だと思っていました。
こんな哲学的なことをやるとは・・・。
ああーーーぐるぐる。
一瞬、理系に転向しようかと思うほど。
性格的に答えが明快に出るものの方が好きです。

これからもこのクラスでは、
このような問題を問われ、
ディスカッションをしていかなければなりません。
慣れるまでかなり時間が掛かりそうだけど、
たくさん勉強して積極的に授業に参加していくうちに、
こんな私でも深い思考ができるようになるのかな。

最後に・・・
環境倫理学の推奨教科書を読んでいたら、
面白いものを発見しました♥akn♥
この教科書の著者、
St. Johns & St. bendsのprofessorでした。
St. Johns & St. bendsは私の母校(高校)が附属している大学。
懐かしい名前を思わぬところで見つけて、ちょっと和みました。
この著者に敬意を払って、真面目に勉強するとしましょうか にっこり