母親に「すごいね」って言ってもらいたくて、
誰よりも早く走れるように、自主練をしてた4年生の頃の私。
自主練の成果か。早く走れた私に
「すごいね、よく頑張ったね」って母が言ってくれたのが、泣けるほど嬉しかった。
その母親への思いを書いたブログがこちら
”母を愛するために生まれてきた私たち”
母は身体が弱く精神的にもダメージを受けやすく
しょっちゅう倒れていた。
私は、母が心配で心配でずっとそばにいたかった。
夜中にその症状が起きることが多く
「過呼吸症候群」になったり、さらに病状が重複して救急車で運ばれた。
母はガンになったり、手術したり
あれこれ本当に振り回してくれた。
幼稚園の時から始まっていた。
13歳の私は、夜通し母の看病をし、過呼吸症候群の対応を学び
翌朝、学校に行く
そんな生活を繰り返していた。
そんな母を嫌うこともできず、
「何か母の力になれないかな
私が母を助けたい」
そう、一心に母を愛していたのです。
でも。時は流れ
私も精神的にすぐに落ち込んだり、ショックなことがあると立ち直れない、
母と同じように繊細すぎるほどめんどくさい大人になるのです。
今から2年前
自分を追い詰めるだけ追い詰める
ドMな性格から
絶対になりたくない!と思っていた
「過呼吸症候群」になってしまった。
そんな時、娘に助けを求めたんです。
「お願い、袋とオケを持って来て。お水もちょうだい」って
すると、娘は
「ママ〜。やだ。そういうママきもち悪い!!
私、もう眠いから寝るね。」
って、あっけなく私を見捨てて寝室へ向かったのです。
そして、呼吸が苦しく
七転八倒している私のそばにいる旦那に
「呼吸の秒数を図ってほしい」と
呼吸カウントをおねがいしたのです
(過呼吸の場合、二酸化炭素が必要なので、秒数で呼吸を図ります)
呼吸が乱れ、苦しむ妻を横目で見ながら
旦那は
なんと
「めんどくさいな〜。ったく、
はいはい
あ、いっちい〜
にぃい〜
あ、ちょっと待って、今、携帯ゲームの良いところだか。
あ、さぁ〜ん」
ってな具合に、テキトーにめんどくさそうに、イヤイヤ
カウントを始めたのです。
オケも持って来たけど、テキトーにぶん投げて
ソファーにどっかり座って
ゲームに一生懸命。
なんなんーーーこれ!!
この家族。
こんなに私、苦しんでるんだよ。
意識、うすれてるんだよ。
死んじゃいそうなんだよ。
なのに、なんで構ってくれないの!!!!
私は、こどもの頃
倒れている母の看病を必死にした。
「ママ、大丈夫??死なないで」って。
身体の弱い兄を必死に守り、
父に気を遣い、父の食事を作り
家の掃除、洗濯のすべてをやった。
小学4年生の時には、母の大好きな、加賀のだし汁を取って茶碗蒸しを作った。
父の好きな南蛮漬けもマスターした。(図書館で料理の本を読んで覚えた)
勉強だって、母を喜ばせたいからがんばった。
兄が身体が弱い分、私ががんばらなきゃって
家族のために
全部を差し出した。
なのに!!
なんなん!!
この違い。
私は、薄れゆく真っ白な意識の中
「ん・・・まてよ。
私はひょっとして成功したのか・・・」
そうにやけた。
娘は私のことをこれっぽっちも心配しない。
しかも、私を
「弱くてかわいそう」とも扱わず、気にもしない。
旦那もマイペースで、自分の好きなことに集中してる。
どれだけ、私が
「構って〜。かわいそうでしょ〜。私、頑張ってきたんだから。
もっと愛してよ。よしよししてよ〜。
倒れてんだよ〜。
こどもの時にやったことをあなたも私にやってよ」
そう、かわいそうな私をアピールしても
動じない。
これは一見して私の家族って
冷たい
って思われるかもしれないけど、
私の「かわいそう」
という悲劇のヒロインの自作自演のドラマを見てくれない彼らは
私をどうでも良いと思ってるんじゃなくて
「大丈夫」って思ってる。
このドラマに付き合わなくても大丈夫って思ってる。
そう、直感的に感じたのです。
問題とか、症状って
必ずそこにメリットがあって起こってる。
私の場合、
「こどもの時、母が倒れた=母は弱くてかわいそう=だから私が見てあげないとダメなんだ」
という図式ができている。
すなわち
「母は弱くてかわいそう」
だから、私は自分を見てもらいたい時
「かわいそう」を使う手口を覚えたのだ。
未だにその手口は使ってしまう・苦笑
でも、一方で
私はずっとずっと「かわいそうな私」はもう嫌だ
そして
「母の強さを見たい」って思ってきた。
だから
妻や母になった時
「私に構わないでほしい。」
そう思ってた。
だから、彼らは
「ママがかわいそうだから見てあげなきゃ」という図式がない。
なんだか、それに気づいた瞬間、嬉しかったな。
私のことに気を遣いながら
娘には大きくなって欲しくない。
私がやったことを次の世代でも
繰り替えす必要なんてどこにもないから。
こんな自作自演は
終わりにしても良いって思ってたから。
昨日は娘の運動会でした。
走るのが早い娘は、さらりと毎年リレーの選手になっている。
私みたいに自主練なんてこれっぽっちもしない。
走るのが好きだから
自然とそうなっているのだ。
冒頭に書いたように
私は母親に「すごいね」って言ってもらいたくて、
誰よりも早く走れるように、自主練をしてた。
自主練の成果か。早く走れた私に
「すごいね、よく頑張ったね」って母が言ってくれたのが、泣けるほど嬉しかった。
だから、性懲りもなく
彼女が走り終わった後、
「すごいね、頑張ったね」
と、声をかけにいくと
「なーんだ、ママか(≧з≦)
はいはい。わかったから。とっとと戻って」
と、やっぱりさらりとかわされた。
娘は順調に、育ってる。
親のことなんて気にしなくてもいい。
あなたはあなたらしく育てばいい。
私に好かれるために、頑張らなくてもいい。
気なんて遣わなくていい。
そして、今、私は
母親とすこぶる仲が悪い。
母に対する私の苦虫を潰したような顔を見て
旦那は
「はなちゃん、本当にママが嫌いなんだね」
という。
そう。私はもう母は強くて大丈夫だと思ってる。
だから
私は母に気を遣わない。
好かれたいって思わなくなった。
素直でいられる。
母がかわいそう
という見方をやめたからだ。
気を遣わなくなると、仲が悪くなる。
だって、親子であっても他人だから。
遅い、遅い反抗期が
やっと私にやってきた。
幼少期、思春期に出せなかった反抗を
30年の月日が経って
今だせている。
でも。
気は遣わない、反抗はする。
でも私は母を愛してる。
困った時、助けを求める時は
そばにいって駆けつけたいっていつだって思ってる。
そうやって、今日も母からかかってくる
「私を見て〜」という電話を
順調に無視するのです。
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