人に見せない、私のためのメンテナンスノート
ふと時計を見ると、深夜の2時をまわっていた。部屋の明かりはデスクの小さな間接照明だけ。静まり返ったリビングで、コーヒーカップの底に残ったぬるい液体を見つめながら、私はぼんやりと考えていた。「私、今日一日、ちゃんと息をしていただろうか」と。30代という年齢は、なんだか不思議な時期だと思う。まわりを見渡せば、仕事で責任あるポジションを任されたり、家庭を持ったり、それぞれの場所でそれぞれの役割をしっかりと果たしている。私自身、日々のルーティンをこなし、やるべきタスクを一つずつクリアしていく毎日に大きな不満があるわけじゃない。むしろ、充実していると言えば聞こえはいい。だけど、ふとした瞬間に、心の底のほうから鉛のように重たいものがじわっと広がってくる感覚がある。誰かに何かを強く否定されたわけでも、決定的なトラブルがあったわけでもない。それなのに、自分の輪郭が少しずつぼやけていくような、得体の知れない焦燥感や疲労感が、夜になると決まって顔を出す。「まだ頑張れる」「弱音を吐いている場合じゃない」そんな言葉で、いつの間にか自分の感情にフタをするのが癖になっていた。自分の心なのに、まるで扱いづらい他人の荷物のように、そっと遠ざけて、見ないふりをして過ごしてきたのだと思う。でも、今日の夜は、そのフタをちょっとだけ開けてみたくなった。誰かに読んでもらうための文章じゃない。SNSで「いいね」をもらうための綺麗な言葉も、誰かの共感を呼ぶためのエモーショナルな表現も、ここにはいらない。これは、明日また少しだけ自分の足で歩くために、散らかった思考と感情をただただ並べて整理するための、私だけのメンテナンスノート。心がざわついたとき、私は何に縛られていたのだろう。「こうでなければならない」という見えないルールを、いつの間にか自分で自分に課していなかったか。他人の期待に応えることばかりに気を取られて、自分の内側から小さく発せられているSOSの声を、自分で無視していなかったか。答えなんて、今すぐ綺麗に出なくてもいい。ただ、「あぁ、今私は疲れているんだな」「よくここまで頑張ってきたな」と、まずはその事実をそのまま受け止めてあげること。それだけで、張り詰めていた胸の奥が、ほんの少しだけ緩むような気がする。冷めてしまったコーヒーをマグカップごと両手で包み込みながら、深く息を吐き出す。完璧じゃなくていい。強くなんてなくていい。今日という日を何とかやり過ごした自分に、せめて自分だけは「お疲れ様」を言ってあげよう。また明日がやってくる。その前に、このノートをそっと閉じて、今夜はただ、深く眠ることにしよう。にほんブログ村