昨日はカゾクの一人が前期の通知表を持ち帰り、
今日は別のカゾクの運動会の準備日で、
土曜日やというのに、午前中は平日同様に家を出、
ウチも準備委員ということで、
出ておりました。
…にしても、感じるのは、
時代の流れ、ではあるんでしょうけど、
通知表の表現が、分かりにくい。
どうして分かりやすい段階評価にしないのか?
生徒が傷つかないように、よくない、苦手、というところを
なんとな~くオブラートに包んだような表現にしているような、
そんな風に見えてしかたないんです。
運動会も、
なんか競ってんのか、競うごっこだけしてんのか、
”頑張っている”ことにだけ応援をしてくれ、というような、
なんか競うこと、良いと認めてもらうことを
遠慮しているような雰囲気に、
ちょっと不思議な気持ちになります。
通知表が全てではない、
速く走れる子だけの運動会じゃない、
そんなこと、分かってますけど、
個性は個性として、上位を争う、真剣に競うという場を
少なくする、というのはどうなんでしょうか。
こういうことこそ、少数社会の家庭ではなくて、
学校生活ならでは、やと思うんです。
子供には成功体験が必要で、そのためには
できるだけ褒めることも大事でしょう。
でも、負けたり失敗したりして、
悔しかったり、恥ずかしかったりという思いもして、
それをキモチや技量の両面で克服する、
ということをトレーニングしていかないと、
国際交流とか海外ビジネスに携われる大人が
育たないと思うんですけど。
思いっきり緊張してもストレスに感じるのではなく、
その緊張をエネルギーに変えて、
「ここ!」と言うときに
最大の力が発揮できるような、
そういうパワーって、物凄く大事やと思います。