ホールのスタッフの方が、告別室にやって来ました。とうとうお別れのときが来てしまいました。このサラサラもふもふの被毛で覆われた身体を、柔らかい耳たぶを、フリンジふわふわの脚を、ケンタくんに会ったときだけブンブン元気になる尻尾を、そしてなによりこの愛らしい笑顔を、おもいっきり抱きしめることが永遠にできなくなってしまうんだね。涙で溢れるおとうさんの目の向こう側に、チェルシーを包み込んだ白い棺は吸い込まれていきました。
ホールの方に無理を言って、炉から出てくるところにも立ち会わせてもらいました。本当はその間も傍らで待っていたいぐらいでした。一時もチェルシーと離れているのが辛かったんです。そして、炉から出てくるときには、小さい頃、子どもたちと散歩から帰ってきたときのように、「おかえりー」、ってお迎えしてあげたかったんです。
チェルシーは棺に入れた時と同じ姿勢で、しかし、圧倒的な減容状態で帰ってきました。チェルシーを苦しませ続けた、あの脳腫瘍も一緒に灰になったことでしょう。おまえを灰にするために、他の健全な肉体が引き換えになるなんて納得できませんでした。
家族でお骨上げを済ませました。痛かったであろう頭は手でしっかりと抱えて最後に壺に納めてあげました。尻尾の先端まで、本当に先っぽまで、小さな細い骨がたくさん並んでいました。このちっちゃな骨までもが、あの尻尾ブンブンをコントロールしてくれていたのかと思うと、一つ一つの骨たちに、これまで良く頑張ってくれたね、と労わずにはいられませんでした。
自宅に戻ったときには外は少し薄暗くなっていました。ホールのスタッフの皆様に、大変親切に、丁寧に対応していただいたので、チェルシーは安心して虹の橋へ旅立って行くことができたのではないかと思いました。
遺骨は、居間の真ん中の、家族みんなからいつでも見えるところ(チェルシーが家族みんなを監視できるところ)に安置しました。朝晩のあいさつをするとき、行ってきます、ただいま、をするとき、骨壺を袋越しになでなでするのが日課になりました。勿論夜は枕元で一緒に寝ています。袋が手垢で汚れてしまうかもしれないけどチェルシー許してね。
翌日、病院から立派な花かごが届きました。院長先生はじめ、病院のスタッフの皆さん、ありがとうございました。そして、相模原でお世話になった、プリモ動物病院の藤原先生、川野先生、当時のセントラル動物病院の後上先生、お世話になりました。因みに下の写真の絵は、チェルシー7歳のとき、後上先生のお母様に描いていただいたものです。本当にありがとうございました。

チェルシーのことを一生忘れないように、また、チェルシーへの罪滅ぼしのつもりで、とりとめなく書き綴ってきました。まだまだ大事なことを書き忘れている気もしますが、思い出し次第、追記しようと思います。また、昔の写真を整理がてら適時アップしようとも思っています。
こんなつまらない、きまぐれなブログですが、更新すると毎回20~30人ぐらいの方が訪問してくれていたようです。そんな皆様、これまでお付き合いいただいて本当にありがとうございました。願わくば、チェルシーのことをできるだけ長く記憶にとどめておいていただければ、父親として、これ以上の喜びはありません。
会社のPCの画面では、今日もチェルシーが優しく微笑んでいます。仕事への集中が途切れると(おいおい)、楽しかったチェルシーとの日々が思い出されて、周囲の目を気にしながら、一人涙ぐむ毎日がまだ続いています。この思いは時が経つにつれ、次第に薄まってしまうものかもしれません。でも、チェルシーと過ごした12年5か月の楽しかった日々は決して色褪せることはありません。虹の橋にいるチェルシー、おとうさんはまだそちらに行くわけにはいかないけど、チェルシーもおとうさんのことを忘れないで待っていてね。