茶道、茶の湯の可能性について
陶芸家として私を育ててくれた
第二のふるさと、岐阜県東濃地区に
何かしらできることをしよう
という考えで
最初は友人の貴也くんに月一回
一年間二人だけで稽古をしました。
茶道はご存知のように、
茶碗や陶磁器、工芸を主として扱い、
その扱いはまさに
優雅に気品に満ちたものです。
あのように作家が命を削り
焼かれた作品を
さらに茶道はそれ以上に昇華する。
そんな日本の現実、現場を
初めて見た感動は忘れません。
では茶碗や水指など茶道具を作る
美濃の陶芸家が
茶道、茶の湯の現場をどれくらい
わかっているのかといえば、
もちろん知らなくても
悪い事ではありませんが
それは唐津、萩、備前に比べると
ごく少数であるのが現実です。
「利休居士時代の点前と、
今の茶道の流儀は全く違うから、
今の茶道を學ぶなんて意味が無い、
自己流で十分だ」
という意見も一理ありますが、
その自己流は単なる飲茶です。
まず茶道、茶の湯は点前だけではありません。
実際は茶の湯にまつわる
茶室(畳、釘、襖、壁)、庭、花、菓子、懐石、
室礼、香、取り合わせ、言葉、歳時記、着物など、
全て利休居士あるいは
だからどの流儀でも、現在の茶道を
先生から學ぶ意味はちゃんとあります。
茶道文化の無い場所には理由がある。
だからそんな場所で茶道を普及しても
あなたが傷つきますよ。
と師匠に言われました。
師匠の云う通りで茨の道です。
日本には茶道が盛んな場所と
茶道に深い縁があっても、そうでない場所が
狭い日本には沢山あります。
ましてや下地が無いので、
茶道の世界の当たり前が通用しない事に
こちらが無礼千万に感じてしまい、
何度辞めようかと傷つくばかりの
オンパレードです。
私一人では到底無理でしたが、今では
「かまわ庵 漢塾 」という仲間ができました。
茶陶の聖地 美濃 で生まれたこの道が
どうなるものか?そのいく先はわかりません。
大変有難い事に大名物、中興名物、重文
または指定以上の、最上級の場や道具で
各師から茶の湯を指南修養の経験を
させていただきました。
その結果、私が感じた事は
日本人として確かに受け継いでいる
あなたの祖先(家族、地域、国、含)の
コトやモノに気づき
精神と肉体を一体化し昇華できるか。
茶道の家に生まれていないから、
関係無いのではなく
実は茶道は御家元の私物ではなく
あなたの手の中にあり
一つの日本の伝統的な術 であり
手段であり、
あなたの上にあって
支配しているものではありません。
あなたが學んで大切に使うものです。
「血は水よりも濃い」
各自のプライドと結末が楽しみです。