歴史探索~藤猛のキック時代の戦績~(随時改定) | リングサイドで野次を聞いた ~独善的ボクシング論

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3.藤猛(アメリカ):1勝(1KO)1分

藤猛のキック転向は梶原先生によってプロデュースされたところが大きいと思います。
映画「格闘技世界一~四角いジャングル」にも試合が収録されてるにも関わらず、永らくWIKIでは誤った記述がされており、それが通例として広まってしまってるのは残念です。キック・ボクシング自体が離合集散が激しくて団体がしょっちゅう分裂・消滅してるために記録がほとんど残ってないのが大きいのでしょうけど。
とりあえず、この通例を信じてる方が多いですね。
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>その後かなり時間を置きキックボクシングに転向し試合を行った。第一戦対戦相手は東拳司。藤は「パンチのみで勝てる」と豪語し、対戦相手もその言葉を意識しキックを封印しパンチのみで戦い、藤は敗北する。第二戦は黒崎健時門下で彼の目白ジム所属のキックボクサー大手稔との対戦したが、この試合でもパンチのみで敗北し、それを最後に再びリングを去った。これらの模様は1978年11月公開の映画「四角いジャングル 格闘技世界一」にも収録された。(Wikipediaより引用)



冗談じゃないですよ。映像にも残ってる様に4度もダウン奪って完勝じゃないですか。


仕掛け人の梶原先生も思わずニッコリ♪

東がパンチだけで戦おうと思ったのは事実かも知れないし、蹴りの間合いを潰してしまった藤の圧力が強かったのかも知れないけど結果はまったくの逆ですよ。ちなみに2戦目の大手稔戦も敗北でなくて引き分けです。大手がパンチだけで戦おうとしたのかは定かでないですけど、多くの関連記事やブログがwikiの記事を引用してるので誤った情報が広まってしまったのは本当に残念。

記録は下記の通り。いずれも2分6Rで行われてます。例によって抜けがあるかも知れないのでご指摘ありましたらコメント欄へお願いします。

1978年

4・10○東拳司(中野)1R1:30KO・・・・・・・・・・・大阪府立体育会館
4・29△大手稔(目白)6R引き分け・・・・・・・・東京・後楽園ホール

おまけ:こんな映画も作られていたとは・・・是非、観てみたいですねえ。



ネットやwikiの記事を丸飲みすることの怖さを感じました。こういう時代だから情報リテラシーをしっかりと自覚しておきたいものです。