リングサイドで野次を聞いた ~独善的ボクシング論

リングサイドで野次を聞いた ~独善的ボクシング論

マニアの隠れ家を目指します。
中津の生渇きの臭い人はお断り。

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行く元号、来る元号。平成という時代に勝手に思いを馳せて振り返る・・・のですが、30年を一括りにするのもアレなので90年代(89年~99年)、00年代(00~09年)、2010年代(2010~2019年)と適当に区切ってリング内の私的アワードでもやってみます。

まずは90年代。時代が昭和から平成に移り、何か新しい事が始まりそうな予感に満ちてた時代。バブル崩壊も何のその。ボクシングは不景気なときほど流行るとも言われてましたな。

 

①MVP:最高選手:辰吉丈一郎(大阪帝拳)

           ユーリ・アルバチャコフ(ロシア・協栄)     

※異例の二人受賞(笑)。私的アワードだから別にいいか。

90年代という時代を席券し、世間の目をボクシングに振り向かせたのは辰吉。これは誰も依存が無いだろう。栄光と挫折、そして復活。その起伏の激しい道程は世間も巻き込んだ。

確かに薬師寺戦での「負けたら引退」の誓約書を反故にしたり、暫定王座の成立を正当化してしまった問題はあるものの、それらの負の面を補って余りある感動と興奮をリング上から与えてくれた。

岡部戦やリチャード戦では限りない可能性を、ラバナレス1,2では挫折と復活を、シリモンコン戦では文字通りの感動を与えてくれた。

ウェットな面を強調すればMVPは辰吉だろう。

 

しかし、ドライにリング上のパフォーマンスだけを観れば真のMVPはユーリではないかという気持ちがある。異邦人でありながらも我らの心を掴んだのは、コンピューターの様に精緻な技巧と必倒の右ストレート、右クロス。 特にムアンチャイ1の1R終了間際に放った右クロスは芸術的ですらあった。ゴング後の加撃で幻のダウンでしたが。

ムアンチャイ1,2の頃ならカルバハルやチキータにでも勝てるんじゃないかなぁと思ったりします。

 

②最高試合:高橋ナオトvsマーク堀越(89年1月22日後楽園)

 

個人的には辰吉vsシリモンコンですが、平成最初の名勝負が最大の名勝負になりました。ダウン応酬の激戦、ドラマチックな逆転KO。ボクシングの魅力が全て詰まったかの様な奇跡的な試合です。

この試合のおかげで「はじめの一歩」の連載が決まったとも聞きます。

次点は辰吉vsシリモンコン、ついでユーリvsムアンチャイ1かなあ。日本タイトルマッチだと名護vs松倉や鬼塚vs中島1,2も下手な世界戦を凌駕する名勝負ではありましたね。あとは岡田vs神藤とか。

 

③技能賞:川島郭志(ヨネクラ)

 

※攻撃こそ最大の防御なり、打ちして止まんの考えに長らく支配されてきた日本のボクシングは防御に関しての意識が希薄だった時代がありました。

概して昭和から平成頭にかけての日本人は腕が短く、身体が堅い、上体よりも下半身が強い等その身体的特性からどうしてもガードとフットワークに依存しがちになりました。

しかし、そこに川島は魅惑的なディフェンスワークを持ち込みました。

柔軟な上体を利してのボディワーク、ヘッドスリップ。首振りに代表される攻防一体型の技術。都合6度の王座防衛時は負ける姿が想像できなかった。噂通りにマルコ・アントニオ・バレラ戦が実現してたらなあと思います。(ジョーさんがエキマの解説中に実現の可能性について発言。)

 

④敢闘賞:坂本博之(角海老宝石)

 

※4度に渡る世界挑戦は実らなかったけど、これだけ90年代を疾走した選手もいないのではないか。闘牛の牛の様に愚直なまでに前進し、パワフルに左右フックを放つ試合スタイルは洗練されてはいないが、粗くとも荒々しく、力強い。己のスタイルを貫く武骨さが格好良い。

リック吉村、桑田弘、畑山隆則、佐竹政一。とにかく強い相手に真正面から立ち向かう姿は多くのファンに支持された。惜しむらくはグッシー・ナザロフ、コウジ有澤との対戦が実現しなかったことか。

 

⑤殊勲賞:竹原慎二(沖)

 

※90年代の一番のアップセットは何と言っても竹原のミドル級での世界王座奪取だろう。いくら日本や東洋で無敵でもウェルター級同様にミドル級はとても届く気がしなかった。あのモンソンやハグラーが持ってたベルトである。王者のカストロが腹がダブついて不調だったのと後で言う連中もいるが、それでも100戦以上の歴戦の雄であり、プロ・アマ通じて当時は一度もダウンしたことが無かったはず。

そのカストロを序盤から圧倒して3Rにボディでダウンを奪い、ペースを渡さずに完勝。当時、竹原の東洋の防衛戦を放映してきて、肝心の世界戦をテレビ東京に譲ってしまったTBSは「やっちまったな。」と思ったね。

しかし、後年、内藤vsポンサクレック3を放映取りやめて、結果的に「やっちまった」フジテレビ。そこにすっと入って確保したTBSはこのときの失敗を教訓にしたのだろうか。

以下は参考までに

⑥最高ラウンド:ユーリvsムアンチャイ1の3R。

⑦ベスト興行:ワールド・チャレンジャー・スカウトⅡ

       (1995年5月6日・東京後楽園ホール)

※坂本vsコッジをメインに大場貴志vsヘスス・ロハス、ルイシトvsシンヌン等を組んだこの興行は主催者のジョーさんも客が入り過ぎてトイレにも行けなかった程らしいですが、採算的にはそれでも赤字だったとか(笑)。

このワールド・チャレンジャー・スカウトはジョーさんがルイシトのマネージャーに尽力するため3回で終わったけど、本当に贅沢な興行だった。採算度外視してもボクシング・ファンとしての夢を実現させた姿勢は素晴らしい。

地上波テレビの放映も普通にあるうえにWOWOWやスカパーなどの放映も始まり、世界戦は普通にスポーツ紙の一面を飾っていた。そして市井の人も普通に世界王者はソラで言える時代だった。

世界との距離は今以上に遠かったけど、それだけにタイトルが崇高な時代だったな。

 

 

 


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海外の試合が衛星放送で、動画で気軽に観られる様になった現在。練習方法から肉体改造まで様々な手法が取り込まれ、リング上の技術や攻防は一昔前と比べると大きく進化してます。

具体的にはどこが変わったのか

①フック主体からストレート・パンチャーへ

②ブロックとフットワークの二次元的な防御から攻防一体型への変化

③距離感の意識の高さ、空間把握能力の高さ

④相手のやり辛さを喚起するため、右効きでもサウスポーへの矯正

 

自分の頭のつむじに向かってパンチを打てと言われたのは昔の話。

精神論・根性論は遠くになりにけり、より効率的によりスタイリッシュにボクシングの技術は大きな変容を遂げました。

しかし、そんな時代でも大昔の昭和の名残を残す雰囲気を持ったボクサーが平成の世を駆け巡りました。まるで時代に抗うかの様に。

 

1.坂本博之(角海老宝石勝又→角海老宝石)

90年代初頭、後楽園に降臨したカリスマ。そのスタイルは一言で言って「武骨」。クラウチングで愚直に前進しながらパワフルな左右フックを振る様は昭和のボクサーの様。

4度の世界挑戦が実らなかったのもキャリアを振り返ると凡百の王座奪取よりはファンの記憶に残ります。(本人は不満かも知れませんが)

 

引退試合の相手がカマセでなくカノンスックというのも坂本らしい。

 

2.古城賢一郎(ヨネクラ)

失礼ながらその風貌、試合スタイルから生まれてくる時代が間違っていたのではないかと思えるほど、平成っぽくないボクサー。

顔面をガッチリとガードで固めながら、細かい連打でペースを握るスタイル。とにかく、しつこく粘り強い。そして諦めない。赤城武幸との初戦で日本王座奪取は平成という時代における最大のアップセットだろう。

昭和のアップセット王がジャッカル丸山なら平成のアップセット王は古城しか考えられない。

 

3.坂田健史(協栄)

決して見栄えがするスタイルで無かったので、正直言ってロレンソ・パーラやロベルト・バスケスに勝てると思えなかった。いかに自分の目が節穴だったか(笑)。典型的なスロースターターだったので前半ペースを握られると挽回して逆転するまでのラウンドが残ってるのかヒヤヒヤしたものだ。

 

 

ラウンドを重ねるごとに動きが良くなり、ジワジワくる連打が生きてくるのだから15回戦の時代だったら、もっと防衛回数を伸ばしていたのではないだろうか。

 

4.川嶋勝重(大橋)

捨てパンチは無く、強打を振りぬいていくスラッガー。

同系のトラッシュ中沼は単発強打型であっても時に見せる攻防の綾にセンスを感じさせることがあったが、失礼ながら川嶋にそれは感じることが無かった。しかし、世界を獲ったのが川嶋の方だったりするのだからボクシングはわからないというか、自分の不明をここでも恥じ入るのみだ(笑)。

 

 

徳山から世界を奪取したとき、ミハレス1でのダウン奪取のときのインパクトが強すぎるので一発当たれば的な展開も多かった様に思う。もっと違った試合も出来たかも知れないが、このスタイルに拘ったのが川嶋たる所以でもあったのかも。

 

どんなにスポーティになっても洗練されてもこの競技の根っこは殴り合いであることを考えると、いい意味で泥臭さは無くなって欲しくないなあと思います。元号がまた変わっても、昭和という時代は不滅です。


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かって南アフリカ共和国で行われたアパルトヘイト(人種隔離政策)はこの国を世界から孤立させ、スポーツの世界でも大きな影響を及ぼしました。WBA、WBCがかの国での世界タイトルマッチ開催を認めなかったのでこの時期に全盛が重なったボクサーは必然的に海外を主戦場にしなければなりませんでした。

亡命であれば、新たな故郷が出来たかも知れないが、それとも違う。

そのため常に敵地での戦いを強いられ、母国のファンにその雄姿を見せられなかったため、流浪の道程を歩いた選手もいました。

 

ブライアン・ミッチェル。WBAのJRライト級王座獲得は母国でのものだが、防衛戦は全て国外で行われた。

パナマ、フランス、スペイン、イギリス、アメリカ、イタリア。特にイタリアでは5度防衛戦を行っている。

 

キャリアの後半になるが、トニー”タイガー”ロぺスとの2連戦は忘れられない。確か1,2戦ともか、どちらか一方かは失念したが、初期のエキサイトマッチで放映したんじゃないかな?

柔軟な上体のボディワークとテンポのいい連打で相手を追い立てて攻め落としていくタイプという印象でした。ダメージを貯めず、敵地で判定でも勝てる試合スタイルというか。

近年のキューバの選手にも見られる様に国の政策や政治がその国のボクサーのキャリアに与える影響はかくも大きい。母国での栄光や妻子を残してでも己の能力に賭けて亡命する選手は昔から引きも切らない。

ミッチェルの場合は事情が異なるが、アパルトヘイトをしてる国の・・・という見方とも戦わねばならなかっただろう。しかも被差別側の白人というのもハンディになったはずだ。実際に恩恵は無かったにしろ。

それでも自分の腕だけで世界を行脚し、戦い抜いたからこそミッチェルは未だに語られる。あたかもベトナム戦争の懲役を忌避して、反戦の象徴となったモハメッド・アリの様に。

本来、スポーツと政治は関係無いがそれは建前だ。近年の五輪誘致の例を出すまでもなくスポーツは政治のプロパガンダに用いられる。

ただ、スポーツ選手のキャリアが政治に利用されることはあっても、弊害を受けてはならない。理想論かも知れないが切にそう願う。

 


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最近、気になったことが2つ。

まずはRIZINとパッキャオの関わり。去年の大晦日にEXとはいえ、メイウェザーをリングに上げたRIZINが今度はパッキャオに接触と聞いたときに嫌な予感がしたボクシング・ファンは多かったはず。

結局、パッキャオがRIZINに上がるわけでなく、パッキャオが推薦する選手がRIZINに上がるというわけで今後もマネージメントの一環として関わっていくのか、それともフィリピンの選手を呼ぶのにパッキャオの名前だけ借りるのかわからないが、本人の現役時の登場だけは無さそうだ。

 

パッキャオは先頃、日本で大会を行ったONEにも投資してるのでボクシングに限らず、プロモーターやマネージメント視点でファイト・ビジネスに関わっていくのかも知れない。

 

同時期にはメイウェザーも来日して自身のプロモーションが主催しての日本での大会開催も視野に入れてるらしい。あくまでもメイ自身は引退した身ということでEX以上の試合を行うつもりはないみたいだ。

メイがプロモートしてる選手が大挙来日して日本でイベント開催したら面白そうだなと思うものの、ボクシングとMMAの合同興行も考えてるらしいから、さてどうなるのか。

 

後楽園ホールを中心とした昔ながらの小興行も残しつつ、大きな会場を使った大会では進行やマッチメイク、リング外の演出等でいろいろ実験を重ねていくことは大切な事かも知れない。

しかし、過剰にMMAと擦り寄る事には危うさを感じる。MMAの興行の中にボクシングの試合を取り入れること、またはその逆を行って果たして本当にお互いのファンの開拓に繋がるのか。

MMAのファンはキックの試合が興行の中に取り入れられても違和感なく受け入れてるが、攻撃手段が限定されるボクシングにどんな反応を示すのかは未知数だ。

ボクシングのファンはおそらくMMAを受け入れられない人の方が多数を占めると思う。どちらが良い悪いではなく、これは競技の成熟度によってファンの嗜好が決まってくる事にも関係ある様に思う。

過去、沢村忠のキック試合との合同興行は観てないのでわからないが、リングスとの合同興行を観に行った知人はリングスの試合(第二部)が始まる前に席を立ったとのこと。別に嫌いだからでなく、それ以前に興味が湧かなかったのだろうと思う。

現状では擦り寄る事でメリットを享受するのはMMA側だろう。しかし、他人の看板を掲げないとマスの興味を引けない様ではいつまで経っても成熟した競技となりえない。ボクシング同様にMMAも好きな自分としてはMMAも競技として日本に根付いて欲しいのであまり、ボクサーに粉かけないで欲しいのですがね。

(RIZIN自体は競技を目指してないと主催者が発言してますが。)

 

 

 


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平成の時代が終わります。

思えば昭和から平成へ元号が変わるときには、新しい何かが始まる雰囲気があった。社会は高度経済成長の名残を残していたし、自分的にもこれから社会に出ていく高揚感があった。そんな時代。

ボクシング業界的にもいくつかの変革があった。

 

①衛星放送時代の到来

・NHKでBS放映が始まり、レナードvsハーンズ2や海外ボクシングが定期的に放映された。そしてWOWOWの開局とエキサイトマッチの放映開始。

海外ボクシングに触れる機会が増えたことは現場の技術向上とファンの観察眼を養った。また海外志向のファンも増えたことにより、世界との距離はグッと縮まった。

 

②興行形態の変革

・東京ドームのこけら落としでのマイク・タイソン招聘。

97年頃からの複数世界戦の常態化。これは賛否あるかなあ。

B-TIGHT等の開催は成功したとは言えないがこれらの企画を積極的に開催する機運もあった。

 

③共産圏の参画

・ペレストロイカの波に乗って旧ソ連勢の参戦。これは大きかった。

国内でもユーリやナザロフ、ヤノフスキー等の本物に触れる機会が増え、世界ではコンスタンチン・チューが猛威を振るった。そして2000年代に差し掛かるころにはロシアだけでなく、ウクライナ、カザフスタン、ウズベキスタン等の旧ソ連圏選手がプロボクシングの勢力地図を書き換えてしまう。

 

マイナス面としては世界王座の価値下落や地域王座の増加による日本タイトルの指名試合の形骸化等もありますが、それはまた頁を改めて語りたいと思います。

今はただ、過ぎゆく時代を偲んで30年間の思い出に浸りたい。

リング上の思い出はまた後程かな。

ちなみに平成の私的MVPは辰吉丈一郎と高橋ナオト。

ベストバウトは辰吉vsシリモンコンと高橋vsマーク堀越です。

 

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