しゃ~、終わらぁ | リングサイドで野次を聞いた ~独善的ボクシング論

リングサイドで野次を聞いた ~独善的ボクシング論

マニアの隠れ家を目指します。
中津の生渇きの臭い人はお断り。

※引退記念ということで今回の記事だけは名前で記載することにします。

一部の利害関係者や狂信者、身内以外には称えられることのない業績を持って身を引くことになったのは自業自得とはいえ、我々アンチも憐れみすら覚えます。ボクシングにコアな興味を持たない人達ですら欺けない欺瞞の数々。こんな鬼っ子とも思われる存在にいつから成り果てたのか?
世間的には2006年8月のファン・ランダエタ第1戦がターニング・ポイントになるのでしょうが、私は2005年に然るべき方向へ行けなかった(行かなかった)事が岐路になったと思います。

つまり、日本王者たる内藤大助への挑戦を忌避して、OPBF王者のワンミーチョークへ挑戦を定めたこと。ワンミーチョークは当時、協栄ジムのトレーナーだった大竹氏をして「早い者勝ち」と言わしめた狙い目王者だったわけであり、変則強打者の内藤と比較すれば遥かにリスクが少ない。
この年まではサマンやアランブレッドといった昔の名前で出ていますという選手にも勝ち星を重ねており、まだ相手が力が無かったり、弱かったり、打ってこなかったりすると力強く倒すことは出来てました。つまり、カマセを相手に観客を誤魔化す・・・いや納得させる倒し方が出来る攻撃力は有していたというか。
ワンミーから一度目のダウンを奪った左は確かに見事だったと思いましたしね。3のプアンアルン戦のボディを八百長と観てる自分もそう思いましたよ。

ここで内藤戦を選択してれば恐らく大差の判定かKOで負けただろうが、ファンの信用を失う事態は避けられたはず。ボクシング・ファンは基本的に優しい人が多いから、過去に凄い試合、気持ちの見える試合を一試合でもしてれば、多少の信用を失う事を起こしても庇ってくれる事もまた多い。
勿論、正々堂々と内藤に勝ってれば、ランダエタとあんな試合をしても世間のバッシングから率先して守ってくれただろう。しかし、亀田が選んだのはワンミーチョークであり、その後の非ハード路線。ファンが亀田を見限ったのではなく、亀田からボクシング・ファンを切り捨てたのだ。
そしてランダ1のダウン以降は防御に意識を集中させ、攻防一対でなく防御過敏なスタイルへ変貌していく。それでも足が動くうちはガード以外に距離で攻撃を食わない選択が出来たため、誤魔化す事が出来た。セサール・ロペス戦やランダエタとの2戦目がそれに該当しますね。
フットワーク主体のスタイルがやがて成りを潜めてくると、ガードを主体にしたスタイルに変更したがもとより身体が堅く、攻防分離の傾向が顕著になっていたため、反則(審判の見逃し前提)と不正判定の助けを借りなければいけない歪なボクサーになってしまった気がします。

それでも内藤戦の勝利(リーゼント・ナックルの件は置いておく)があったのはペドリト・ローレンテを筆頭にエロルデ・ジムの功績ではあるのだが、これも長くは続かなかったのはあの父親では仕方無いことだったか。懐を深くとってのカウンター狙いは内藤のスタイル対策に特化した戦略ではあったが、陣営にこれを他の試合で完遂する忍耐力が無かったのだから仕方あるまい。後に金でローチを雇おうがサラスを雇おうが変わらないのを露呈したのはボクシング人として不様でありました。

まさに砂上の楼閣ともいうべき陣営の自己満足の域を脱しきれない記録を心の支えにリングを去ることになるわけですが、労いの言葉はかけない。願わくば2度とどんな形であれボクシングと関わらないで欲しい。彼の功績は偽物はこんなものだと提示することで業界により本物を尊ぶ姿勢を打ち出させたことでしょうか。