歴史探索~西城正三キック時代の戦績(随時改定) | リングサイドで野次を聞いた ~独善的ボクシング論

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ネタも無いので自分の興味で記録を綴って行きます。前にキック・ボクサーやMMAファイターのボクシング戦績を記載しましたが、逆はどうなのかを調べてみました。追加があったらコメント欄で教えてください。随時、訂正・追加受け付けます。

1.西城正三:17戦15勝(13KO)1敗


※キック関係は特にこの時代は詳細な記録がまとめられてないですから15勝(13KO)1分と初黒星を喫した藤原敏男戦までの内容が良くわからないです。ただ、まぁ・・・ものの本によるとゴニョゴニョ(以下自粛)だったと本人が仰ってたりもして何とも言えないのですが。
藤原戦も梶原ワールドでは藤原の怒涛の攻撃に兄がリングに上がり、一緒に控室へ逃げて行って試合放棄みたいに書かれてますが実際はちょっと違うんですよね~。
藤原がローキックで有利だったのは事実ですが、唐突に兄がタオル投入→レフェリーがこれを投げ返す(笑)。そして混乱の中、主催者の説明があって終了、一番ポカンとしてたのは西城本人でした。
兄が正規のセコンドで無かったのも事実みたいですが、興行側の問題もあったのかなあと邪推したりします。ちなみにこの試合は1973年3月1日に予定してましたが27日に延期。しかし怪我してた西城がこの間に地方でEXマッチを行っていたりして何となくきな臭さを感じます。ここらへんも昭和の新興格闘技らしいというか。以下、判明してる戦績をつらつらと記していきます。抜けもありますが。

1972年

7・12○ブライラン・クロング・ボーコーソー(タイ) 2R0:50KO ・・・・・・・大阪・大阪府立体育会館
8・22○シングサク・ルクアカサヨーテン  (タイ)  3R1:03KO ・・・・・・・名古屋・愛知県体育館
10・8○トーン・ソーシリパン        (タイ)  3R2:25KO・・・・・・・・山梨・富士急ハイランド
10・14○スパグチャイ・チャイラグ    (タイ)  3R0:45KO・・・・・・・・北海道・札幌中島体育センター
10・17○カノメ・カチャービシット     (タイ)  2R1:50KO・・・・・・・北海道・釧路厚生年金会館
10・19○シングサク・ルクアカサヨーテン  (タイ)  3R2:30KO ・・・・・・・秋田・秋田県立体育館
10・27○ピマメ・カチャーシビット    (タイ) 5R判定・・・・・・・・・・青森・八戸市体育館
12・05○ピマメ・カチャーシビット    (タイ) 2R2:50KO・・・・・・・・広島・広島県立体育館
12・25○ピマメ・カチャーシビット    (タイ) 4RKO(タイム不明)・・・・・・・・・・富山(会場不明)

1973年


1・13△カノメ・ピチャーシミット    (タイ) 5R引き分け・・・・・・・・熊本・水前寺記念体育館
3・27●藤原敏男(目白)      3R1:15TKO・・・・・・・・東京・後楽園ホール

こんな感じですかね。沢村忠が頻繁に行っていた地方巡業の形態に沿ったマッチメイクだと思います。同時期にキック転向していた金沢和良と同じリングにもあがるケースが多かったみたいです。記録を見ると大阪、名古屋、札幌、八戸、広島と同一興業に出場してます。西城がメインを張ったり、西城がピンで出場する興行はありますが、金沢がピンで出た興行は最後の後楽園大会位(vs島三雄戦)位ですね。ここらへんは世界王者の威光を感じさせます。
年齢や立場的な面もあり、一からスタート出来なかったのが残念でもあります。