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伊勢市心理カウンセリングセンター

代表の山田靜弥@左片麻痺です。


私は30代半ばでうつ病を経験しました。

寛解までには長い時間が必要でした。

今回は、復職⇒寛解のきっかけまでをご紹介したいと思います。

どうかお付き合いください。


前回記事の続きとなりますので、併せてお読みください。

私のうつ病経験記〜その1〜



​💡 復職から寛解へ

戦い、そして手放した先に見えた光

​前回、発症から診断、休職、そして復職までの道のりをお話ししました。今回は、復職から真の回復、つまり「寛解」に至るまでの、試行錯誤と大きな変化について描いていきます。


​⚙️ 現場の現実と、失われていた感覚

​当時、私は交通機器メーカーで技術者として働いていました。

​勤務時間:あってないようなもの。

​週休二日:あってないようなもの。

仕事量:仕事量過多でオーバーワーク

​異動:多い。

​このような環境では、社員は常に疲れ切り、社内の雰囲気も良いとは言えませんでした。以前の自分が、休むことなく働いていた頃も、同じように疲弊していたのだと思うと、今振り返ると恐ろしくなります。

​休むことが当たり前でなくなると、いざ休みが来ても何をすればいいのかわからない。それどころか、「休み方」や「リラックスの仕方」そのものを忘れてしまうのです。実際、休職したての頃に、この感覚を失っていたことに気づかされました。


​🏢 会社との約束と、新たな道

​復職後、私はこの会社に約3年間勤めました。しかし、異動の度に会社と取り決めた勤務条件が引き継がれておらず、だんだんと休職前の過酷な勤務状態に戻りつつありました。

​会社に報告し、話し合いを重ねましたが、その対応から「これが本音なのだろう」と感じざるを得ない瞬間があり、最終的にこの会社を辞める決断をしました。

​幸い、休職中から地道に続けていた資格試験の勉強が実を結び、必要な資格と実務経験があったため、その後の転職活動で困ることはありませんでした。この準備が、次のステップへの大きな助けとなりました。


​💔 最も苦しんだ壁:家族の「誤解」

​復職後、私が最も苦労したのは家族との関係でした。

​復職したからといって、うつ病が完治したわけではありません。通院や服薬は続いています。しかし、家族の中には「復職=もう健康になった」という強い思い込みがあったようです。

​復職当初、私が時短勤務をしていること、薬を飲んでいること、定期的に通院していることが、家族の目には「不思議」に映っていたのかもしれません。頻繁に心ない言葉を投げかけられました。その都度、丁寧に説明を試みましたが、残念ながら家族の理解を得ることはできませんでした。

​この「いくら説明しても伝わらない、理解してもらえない」という切実な悩みが、私自身にとって大きな転機となりました。


​✨ 相手を変える努力から、自分を変える作業へ

​「なぜ伝わらないのだろう?」という問いを深掘りした結果、「自分自身にも、同じように他者の見方や考え方を理解できていない部分があるのではないか?」という内省にたどり着きました。

​ここから、私の長きにわたる「改善作業」が始まりました。

​自分のものの見方はどうか?

​自分の考え方はどうか?

​これらを徹底的に見直す作業です。

​ある程度改善が進むと、驚くべき変化が起こり始めました。自分が発する言葉が変わり、趣味嗜好が変わり、付き合う人が変わってきたのです。この一つの変化が、他の部分も段階的に変えていき、現在の私の基礎を築いたように思います。

​今振り返れば、これは自分なりに考えながら行っていた「認知行動療法」に近いものだったのだと思います。


​🕊️ 寛解へと繋がった、最大の気づき

​理解してくれない家族に対して必死に説明していた頃、私の根底にあったのは「相手を変えたい」という傲慢な考えだったのでしょう。今では、なんて無茶なことをしていたのだろうと反省しています。

​最大の気づきは、この一点に集約されます。

​相手を変えることはできない。変えようと思うこと自体がおこがましい。

​言っても伝わらない、理解しない相手は、放っておくのが一番楽な道です。

​このことに気づけたおかげで、私は自分自身の「ものの見方、受け取り方、考え方」を大きく変えることができ、楽に日々を過ごせるようになりました。そして、この「気づきと変化」こそが、私を寛解へと導いてくれたのだと確信しています。


​次回は、この「認知の変化」について、さらに深く掘り下げていきたいと思います。


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