最近出版されたPHPの新書「テレビは見てはいけない」(苫米地英人著)を読んだ。


軽く読めます。


後半に記載されている「脱・奴隷の生き方」の部分が興味深かったですね。


著者はフルブライトの奨学生です。


フルブライトの奨学生は竹中平蔵氏を初めとして、どちらかというとアメリカ礼賛になるきさいがあるのかなと思っていましたが、そう単純なものでもないようです。



エンパイヤステートビルとロックフェラータワー(シティ・オブ・ロックと称されている)。昇るならどちらか?


迷いなく、シティ・オブ・ロックです。


エンパイヤステートビルの日々変わる美しいイルミネーションを間近に見ながら、ニューヨークの夜景を味わえるのはこちらです。


しかも、エンパイヤステートビルに比べて断然人が少ない。


視界を遮るものもない。


私たちはどちらも昇ったからこそ分かることですが。





それにしても。

こんなにブログを更新しているのは要するに眠れないのです。


発端は金曜日。

ある会社が手形の不渡りを出しそうだということで、破産の打ち合わせを3時間以上にわたって行い、疲労困憊したところで、夜は、顧問先との飲み会で、帰宅したのが午前1時過ぎ。

それから、つい、ネットを見たりして、寝たのが4時過ぎ。


土曜日は、ひどい頭痛で一日を棒に振り、

「飲み会は百害あって一利なしだ」と、いつも飲み会の翌日に思うことを懲りもせず反芻して、いままで頭痛に苦しみ、ようやく落ち着いてきました。


で、いまになってなんだか眠れなくなって、午前2時ころから、最近読んでいる塩野七生のローマ人の物語の続きを読み(いま、まさにカエサルの「ガリア戦記」のあたり)、それも手持ちを読んでしまって、仕方がないから、だいぶ前に読んで何度か読み返している、村上春樹のマラソンに関するエッセイを読み、で、出てきたのが、以下の下り。

(引用するので、出典を明示します。村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」)。


「いずれにせよ、僕はそのようにして走り始めた。三十三歳。それが僕のそのときの年齢だった。まだじゅうぶん若い。でももう「青年」とは言えない。イエス・キリストが死んだ歳だ。スコット・フィッツジェラルドの凋落はそのあたりから既に始まっていた。それは人生のひとつの分岐点みたいなところなのかもしれない。そういう歳に僕はランナーとしての生活を開始し、おそまきながら小説家としての本格的な出発点に立ったのだ。」


私も33歳だよ。。。

そっか、キリストが磔になったのは33歳のときだったのか。

さっき、新約聖書を読み返していたため、よりリアルに感じられる。

フィッツジェラルドの凋落は33歳で始まったのか。

華麗なるギャツビーの良さは(村上氏が力説するにもかかわらず)、私にはまだ分からず、読み通せてすらいない。