世界遺産「日光東照宮」は、パワースポットなのか? | コラムニスト&英語教員上野真帆の『喜びから人生を生きる方法』

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世界遺産「日光東照宮」は、パワースポットなのか?

 

 

 

 

 

日光東照宮は、1617年に、

徳川家康公を祀る神社として建てられました。

 

現在そのほとんどの建築物などが、

 国宝や重要文化財に指定され、

世界遺産としても登録されています。

 

 

徳川家康公を、「神」として祀って(まつって)いる神社。

徳川家康公は、苦労人でもあり、大器晩成型の人生を送っていました。

 

争いばかりの戦国時代が終わって、

征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開いたのが

家康公が61歳のころですから。

 

幼少のころから、両親と別れて、十数年もの人質生活をおくり、

譜代家臣の裏切りにより祖父と父を殺されたりと

大変な生活をしていました。

 

そして、晩年に徳川幕府が成立するまでは、

ずっと長い間日本中で争いが起こっていました。

 

戦国時代が、いつからいつまでかは、はっきりしませんが、

1467年の応仁の乱から徳川家康公が天下を手にするまでだと考えると、

約140年間も争いの世の中だったと言えるかもしれません。

 

家康公は、日本中に争いをやめさせ、

平定をもたらした人とも言えます。

その後、江戸幕府は、約260年間も続いたのです。

 

家康公は、自ら薬を調合したりするなど、健康に関する意識が強かったのです。

そのためか、当時としては長寿の75歳(満73歳4ヵ月)まで生きました。

 

関ヶ原の合戦は家康59歳、

大阪夏の陣で豊臣家滅亡は74歳の時ですから(●^o^●)

 

健康に気をつけて、長生きできたから、

天下取りができたのかもしれませんね。

それにしても、まさに遅咲きの人生ですね。

 

 

本当にすごい人だと思います。

ただ、故人は、「神」ではなく、「霊人」だと思います。

神社は、神を祀っているスポットというよりも、

当時の権力者を祀っているところですね(*^_^*)

 

今回、日光東照宮に行ってビックリしたことがあります!

 

東照宮宝物館では、

家康公の御愛用品の「南蛮胴具足」や名刀などが展示されている博物館です。

その宝物館に、金ピカの家康公をまつったお神輿も展示されていました。

 

その横に、なんと、豊臣秀吉公をまつった金ピカのお神輿も、

展示されていたのです!!!

 

毎年、日光東照宮では、5月18日に、1200人もの武者行列の伝統行事があるそうです。

江戸時代から続く伝統行事「百物揃(ひゃくものぞろい)千人武者行列」。

 

徳川家康の霊を久能山(静岡県)から日光東照宮に移した様子を再現したもの。

 

御旅所(おたびしょ)までの約1キロの参道を騎馬や武者が騎馬や弓、

やりを持った武者集団、着物姿の稚児が練り歩くそうです。

 

この行事のハイライトは、

徳川家康、豊臣秀吉、源頼朝をそれぞれまつった3基の金色のみこしが

参道を練り歩くところだそうです。

 

豊臣秀吉公をまつった神輿も、お祭りに出すんですね(●^o^●)

 

写真:msnニュースより

 

 

 

 

 

日光東照宮は、国内はもとより、海外からの観光客でも連日賑わっています。

日光東照宮は江戸城(現在の皇居)の真北にあり、

北の守りを固める重要な位置にあります。

風水・陰陽道のさまざまな手法を使って、運気の良い場所、

大地のエネルギーがみなぎる場所に造り上げられたパワースポットとなっています。

風水・陰陽道において完成された、日本屈指と言われるほどの龍穴パワースポットです!

 

ちなみにこの龍穴(りゅうけつ)とは風水術、陰陽道や古代道教における、

 

いわゆる「自然のエネルギーが最も湧き出てくる場所」のことだそうです。

 

本殿前に造られた陽明門は真南を向いていて、

真北を向いている現皇居である江戸城と向かい合わせになっている位置にあります。

 

 

 

 

 

 

長きにわたって続いた江戸時代の繁栄を思うと、「日光東照宮」のおかげとも考えられます。

 

ですから、日光東照宮は、単に世界遺産というだけではなく、

そのパワースポットとしての恩恵を被ろうと世界中の人が集まってくるとか?!

 

日光東照宮は日光連山の霊山と言われている「男体山」から、男性的な力強いエネルギーを

「女峰山」からは 女性的な柔らかで優しさに包まれたエネルギーを受けていると言われ、

「子宝」「恋愛成就」によいとされています。

この地形が大地のエネルギーを産み、仕事運、勝負運、上昇運などのパワーをもらえる場所として、有名になりました。

 

  参考website: 奥日光小西ホテル

 

 

 

そして、東照宮の建っている岩盤は非常に強いそうです。

 

江戸城を護る役目の日光東照宮が地震で壊れたということになったら困りますから、

そうしたことも考慮されて建てられたのでしょう。

 

 

日光東照宮付近は、磁場エネルギーが良いとも聞いたことがあります。

 

実は、日光東照宮の近く周辺で不思議なことがありました。

車のナビで、「現在地」が、走っているルートから、

どうしても少しずれてしまうのです。

 

道を間違えたり、ルートを変更したわけではありません。

 

そのルート(道路)を走っているにも関わらず、

ナビが指す現在地は、ルートから、横にずっとずれているのです。

 

磁場エネルギーが強力だと、こういうことが起こるのでしょうか?(*^_^*)

 

 

徳川家康の墓「奥宮宝塔」は、「気」の発生元と言われています。

 

全部で207段もある石段を上りながら、杉の木立の中を進みます。

その踏み石は全て大きな一枚石でできていているそうです(@_@)

 

鳥居の先が、奥宮です。

 

 

 

徳川家康(とくがわいえやす)は

「…一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請(かんじょう)し、

神として祀る(まつる)こと。

 

そして八州(はっしゅう)の鎮守(ちんじゅ)となろう」

という遺言を残しこの世を去りました。

 

そして、遺言どおり、朝廷から東照大権現(とうしょうだいごんげん)の神号が贈られ、

神として祀るための霊廟(れいびょう)として作られたものが日光東照宮です。

 

「八州の鎮守」とは、現代で言うならば「日本全土の平和の守り神」という意味です。

 

そのため日光東照宮には平和を意味した装飾品や彫刻が数多く存在しています。

家康公は自身の遺言に「日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして、八州の鎮守となろう」と残しました。
とちぎふるさと学習 より)

 

 

 

徳川家康公は、今でも日本全土の守り神なのでしょうか?

どう思いますか?

 

ちなみに、シャーマンの神人さんは、

静岡、東京、栃木と、家康公にゆかりのある土地で、イベントをされていることが多いようです。

静岡と東京は、ほぼ毎月。

そして、静岡と栃木は、同じ県でも、複数の主催者のグループがあります。

家康公からもサポートを受けているのだなと思います。

 

 

明治時代の日光東照宮の宮司さんに、イケメン発見!!!

 

 

元会津藩主の松平容保(かたもり)公。

 

幕末に、天皇と徳川家(江戸幕府)と愚直に守ることをしたために、

戊辰戦争のときも、その後も、大変ご苦労されました。

 

明治維新後になりますが、晩年に容保公は、

日光東照宮の宮司に就任されていたのです。

宮司は、その神社の神職ではトップということです。

 

容保公は、徳川家に義を尽くすことを、使命とされていましたが、

なかなか報われない人生だったと思います。

 

最後は、家康公のご加護があったのかもしれませんね。

 

幕末の京都をよく知る人の回想録がある。

 

京都守護職であられた会津中将さんはとても美男子で、

男が見ても惚れ惚れするような人でした。

京都の人は容保さんのことを会津中将さんと呼んでおりました。

 

何でも黒谷さん(会津本陣であった金戒光明寺)から御所さんにおいでの時を、

私は一度烏丸通りで見たことがありましたが、

真っ白い馬にお乗りになって、

真っ赤な陣羽織みたいなものを着、

烏帽子を冠り、

槍を担いだ新選組を従えて、

馬のお口は近藤勇が取り、

右手には例の虎徹とか云う刀を、抜き身で持っておりました。

 

会津中将さんのお通りだと云うと、

若い女の子はわれ先にと、表に飛び出して行ったものですよ。

 

細面の貴公子然とした風貌で、

京都守護職の容保が宮中に参内すると女官たちがそわそわした、という逸話も残っている。

ウィキペディアより

 

 

イケメンだから、他の男性に嫉妬されて、

最後は会津まで攻めてこられるようになったのかな?(*^_^*)

↑いいすぎかしら?いやーん、ばかーん。(*^_^*)(●^o^●)

 

幕末の歴史や元会津藩主の松平容保(かたもり)公に関心のある方には、
こちらのドラマもオススメ♡

 

 

 

家康公を祀る神社は東照宮と称するそうです。

 

日光東照宮は、日本全国の東照宮の総本社的存在である。

容保公は、東京の上野東照宮 祠官(神主)も兼務されていました。

 

実は現在の上野東照宮が建立されている土地の周辺一帯は、

過去の戊辰戦争や関東大震災の影響で、

そのほとんどの建造物が焼失・倒壊しているそう。

 

また、第二次世界大戦中も社殿のすぐ裏側に爆弾が投下されましたが、

なんとそれが不発弾だったため、ここでも社殿は倒壊の危機を免れたそうです。

 

つまり上野東照宮は、「奇跡的に倒壊や焼失を免れて、現存している」と言うことになり、

江戸時代の建築様式を伝える「数少ない貴重な文化的遺産」と言うことにもなります。

 

現存している社殿は、三代将軍・家光公によって造り替えられたもの。

 

日光東照宮も上野東照宮も、金箔がふんだんに使われており、

豪華絢爛です。

 

金ピカの建築物(^^)/

 

建築・彫刻・装飾は、見ごたえありました。

 

ちなみに、うちに住みつく精霊♡うえちゃんの金ピカの篆刻の作品

2020年1月に上野の東京都美術館に展示予定ですヽ(^o^)丿

 

上野東照宮も東京都美術館は、上野公園の中にありますよ~♡

 

繋ぐ(つなぐ)

 

日光東照宮の話に戻りますね。

不思議なことがありました。

 

私は、いつも朝ごはんは、

果物と飲み物しか摂らないので、

お昼には、お腹ペコペコになってしまうことが多いのです。

 

でも、日光東照宮周辺は、大地のエネルギーが強いのか、

お昼になっても、全然お腹がすかないのです。

 

その日は、太陽も出ていたので、おひさまからエネルギーもいただきましたけどね♪

 

お昼ごはんは食べずに、

「もっと(建築物)などをもっと見たい。もっと、歩きまわりたい」

というかんじだったのです。

 

午後2時半くらいになって、日光東照宮敷地内にある食堂で、

湯葉定食をいただきました。

 


元々、日光にいる僧侶や山伏は、動物性のものは食べずに、

大豆製品から、たんぱく質を摂っていたそうです。

だから、日光は、湯葉が名物料理のようです。

 

日光の太子食品の豆腐や油揚げ。国産大豆使用。

大豆とにがりのみで作った大豆食品。消泡剤は、不使用。

よく、スーパー(COOP)で買っています。

 

 

日光は、京都のように外国人もいっぱいでした。

外国人がたくさん来る場所には、

ヴィーガンのメニューも出てくるようにもなりましたねヽ(^o^)丿

 

そして、日光に来たら、ここの自然食カフェにも行ってきました。

お茶タイム+夕食もかねて(*^_^*)

 

自然茶寮 廻meguri

https://www.facebook.com/yasaicafemeguri/

栃木県日光市中鉢石町909-1        電話:080-9343-0831

営業時間:11時30分~18時(冬期は~17時)

定休日:木曜(冬期は木・金曜)

 

地元の自然栽培・無農薬のお米や野菜や天然の調味料を使った

ランチやスイーツを提供しているカフェ♡

 

お肉・お魚・卵・乳製品などの動物性食材は使用せず、

大地のエネルギーがいっぱいの野菜や穀物を中心に料理されています。

 

 

ランチの時間の午後2時を過ぎても、食材があれば、

提供してくださることもあるそうです。ラッキーヽ(^o^)丿

 

次回は、今回は売り切れだった「汲み上げ湯葉」のメニューを食べたいわ♡

 

 

 

 

 

 

 

昔ながらのかまどで手作業で薪火焙煎されたこだわりの珈琲。

 

 

600円自家焙煎のコーヒーも、おいしかった。

ゆうに、2杯もついてました(^^)/

 

店舗は、かつて骨董品店だった築100年を超える建物をリノベーションして使っているそうです。

ぬくもりを感じます。

 

 

天井に描かれた絵は、、花鳥風月の日本画。

東照宮を手がけた方と同じ方の手によるものだとか(?)

 

いつまでも豊かな自然がめぐりめぐって欲しいという想いから

「廻」(めぐり)と名付けられ、

自然に寄り添う暮らしを提案しているお店♡

 

 

オーナーのご夫婦は、優しい雰囲気。

ご夫婦にもお店の空間にも、癒されました(^^)/

 

紅葉の時期は、予約不可。

無料の駐車場あり。

 

また、行ってみたいですヽ(^o^)丿

 

日光東照宮の建築・彫刻・装飾は、見もの。

 

紅葉の時期は、激混みでしたが、きれいでした。

落ち着いて見たい方は、

紅葉の時期をはずして行くほうがいいかも。

 

私が、日光東照宮に行ったときは、

徳川家康公は、不在のようでした。

 

肉体を持たない霊人は、瞬間移動できるので、

どこかに行かれたのかもしれないし、

もしくは、もう転生されてしまったのでしょうか(*^_^*)

 

ただ、家康公のお墓の「奥宮宝塔」から、下に降りるときに、

何者かに「来てくれて、ありがとう」と言われたような気がします(*^_^*)

 

そして、日光街道を走っているときに、

車のナビの現在地が、ルートから、ずれてしまうのには、ビックリでした(@_@)

 

自然茶寮 廻meguriは、オーナーも料理も空間も癒しでした。

 

そういうわけで、日光は、ある意味パワースポットかもしれませんヽ(^o^)丿

 

 

 

日光東照宮周辺の写真を貼っておきますね♡

 

日光東照宮周辺の標高は634mでスカイツリーとほぼ同じ高さだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

喜多方から日光は、一般道(したみち)で行きました(^^)/

 

 

日光は、「日本から光が出る」という意味でしょうか?