Jean Shrimpton(4) | Woke Up In the Beautiful World

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Oh, Sweety


今年最初の記事はジーン・シュリンプトンです!あれ、去年とデジャヴ?
本日紹介するのは去年4月のガーディアンからのジーン・シュリンプトンのインタビュー記事です。イギリスのBBCでは去年シュリンプトンとデヴィッド・ベイリーを主人公にした単発テレビドラマが制作・放送されたのですが(ナイスBBC!観たい!)、それに伴ってメディア嫌いのシュリンプトンもこの時期はラジオインタビューなどにも出演したそうな。

The Saturday interview:Jean Shrimpton』30 April, 2011

Text:Alex Wade
Source & Credit:Guardian.co.uk
Translate:Mia

『私は過去を通して生きたりしません』

と言う彼女。

『BBCのドラマについては何となく知っていますが、過去を振り返ったりはしないんです』。

シュリンプトン役を演じる女優カレン・ギランが“ファッション界に多大な影響を与えた人を演じる”上で話を聞こうと彼女とメールのやり取りをする中、カレンはちっとも役作りに『苦しんではいないようだった』と言う。

そして『興味はないですけど』と付け加えた。

昔からシュリンプトンは映画界への関心が低い。30代前半にきっぱりとファッション界から身を引いて以来、ずっと人前には姿を現さないようにしているのだ。30年以上経営を続けるペンザンスのアビーホテルの応接間で会話を交わしている間、自身が有名になった世界から退いた理由の鍵が見えてきた。


『ファッション界は問題のある人達でいっぱい』

と彼女は言う。

『人を使い尽くして燃やしてしまう圧力の強い環境です。抜け目なく生き残ったのはアンディ・ウォーホールとデヴィッド・ベイリーくらいですかね』。

1ヶ月前にはユダヤ人差別発言をしたとしてイギリス人デザイナーのジョン・ガリアーノが訴えられたばかりだ。シンプルで控え目なブラックのボヘミアン調のドレスを纏うシュリンプトンは、ファッション界の度を越した不品行を嘆かずにはいられない。

『彼の発言を許せる人なんていないでしょうし、非難されるべきことです。しかし、さもファッション界がノーマルかのように振る舞ったり、そこにいる人達がロールモデルのように振る舞うのは偽善的というものです。悪いことはしてないと否定するのも馬鹿馬鹿しいことですね』。

スウィンギング・ロンドンがら消えて以来、“シュリンプ”に関してはちょっとしたことくらいしか聞いたことはないだろう。最近ではチャンネル4の<Country House Resbue>に出演し、1990年にはゴーストライターによる自伝が出版されたが、シュリンプトンは一連の出来事についてためらうことなく告白してくれた。
『ホテルの屋根を改修するために少し収入が必要だったんですよ』
と、その青い瞳を輝かせながら腕を組み、素っ気なく言う。
『本当は本は出版したくありませんでした。昔から世間の注目を浴びるのが嫌でしたし、モデルをやっていたときですらそうでしたから』。
そんなのわざと嫌味を言っているに違いない。だって10年間も世界中を飛び回り、贅沢な生活を満喫し、VOGUEやHarpers Bazaar,Vanity Fair,TimeやGlamourなどの表紙を60年代のどのモデルよりも飾った人なのだから。世界初のスーパーモデルと言っても文句を言う人はいないはずだ。現在68歳の彼女はその言動通り、昔のルックスを保とうとしたことは『全くない』が、彼女の顔は未だ高い頬骨、上向きの鼻、弓なりの大きな眉が素晴らしく、瞳は印象的で、しなやかな身体は全盛期の頃と変わらない。しかしシュリンプトンは断固として譲らない。
『被写体でいることを好きになったことは一度もありません。たまたま上手く写されただけなんです』。

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右はアンディ・ウォーホール

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猫わしづかみっ


ハイウィカム生まれの178cmのシュリンプトンは単に良いモデルなのではなく、驚くべきモデルだったと言っていい。スティーブ・マックイーンが伝説的なアメリカ人フォトグラファーのリチャード・アヴェドンの下、VOGUEで彼女と一緒に撮影を行なったとき、彼はカメラの前での彼女の類い稀な身のこなしに気付いた。撮影が終わると、『くるくるとポーズを変えるんだね』と彼はシュリンプトンに言った。彼女は肩をすくめて、
『だから“それが私の仕事で、さっきのがそう。良いモデルはフォトグラファーが満足するまで何度もポーズを取り続けられるものよ。勝手に体が反応するの”って彼に言ってあげたんです』。

デヴィッド・ベイリーは彼女の素質を捉えたフォトグラファーであり、カメラのシャッターが切れるのと同じくらいのスピードでベッキンガムシャーの純情な少女をスターダムに押し上げた。このカップルは60年代前半にはロンドンのシンボルとなったが、どうやらシュリンプトンは小さな頃から国際的スターになる運命だったらしい。
『育った所はとても田舎だったんですよ。農場で動物たちに囲まれて育ちました。黒いラブラドールのダニーという犬を買っていましてね、父に玉子を集めてキッチンまで運んでくるように訓練されていました』。
そう言って幸せだった幼少期を思い出す。彼女の生活の中での大きな喜びは馬などの動物たちであり、とりわけ学校に馴染めないということもなければ熱中もせずに学業をこなした。
『控えめな少女でした。不良グループに入ったこともないですし、むしろ人に好かれたがってましたね。とても』。

17歳になると何の目的意識もなくロンドンのランガム秘書養成学校に入った。
『1分間で140文字も速記で取ったりしましたが、タイピングの試験には1分70文字でギリギリで受かりました』
と言う彼女は、そのとき既にスリムな体型と気ままな雰囲気をかね揃えており、そのルックスは映画監督エンフィールドの目を留めた。
『ランガム公園の近くの横断歩道をぶらぶらと歩いていたら、アメリカ訛りの声に話しかけられたんです。それがエンフィールドで、彼が撮ってた映画に私がぴったりだと思ったらしく、一緒に来てプロデューサーに会ってほしいと言われました』。
シュリンプトンはラナ・ターナーの出世話(※ラナ・ターナーはドラッグストアでスカウトされた)を頭の片隅に覚えておきながら、そのオファーを受けることにしたが、プロデューサーはあまり興味を示さなかった。
『がっかりしましたね』と回想する彼女だが、ルーシークレイトン・モデルスクール(※イギリス一のモデル事務所)に入るべきだというエンフィールドの別の提案を呑むことにしたのだった。やがてシュリンプトンはクレイトンのモデルリストに名前を連ねるようになり、10代にしてカタログモデルとして働くようになるとすぐに雑誌の仕事が彼女のもとにやって来た。それはVOGUEの撮影であり、そこで彼女の人生に最も影響を与えた男の一人、デヴィッド・ベイリーと出会った。


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ベイリーと。美女と○★#…

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テレンス・スタンプと。


『“ベイリー”と彼は自己紹介して、それ以来私は彼をそう呼ぶようになりました』。

18歳のシュリンプトンはこの5歳年上の新進フォトグラファーと関係を築くことになることを本能的に察知した。『出会ってすぐ、お互いに惹かれ合いました』

と、シュリンプトンは恋人と別れ、ベイリーも結婚生活を終わらせると、晴れて二人は一緒になった。

『今もそうですが彼は堂々とした人で、それが彼の魅力でした。何に対してもドジを踏まないですが、抜け目がないんです。私で大金を稼いだと思いますよ』。

『毒舌じゃないですよ』と付け加えるシュリンプトン。『でも腹を立ててるって、それだけです。だって私にとっても彼はすごく大切でしたからね。最近のモデル達は私達の頃よりも激しいというのは知っています。でも当時は肖像権なんてものなかったんですよ。ファッション業界の産物ですね』

シュリンプトンとベイリーのロマンスは長くは続かなかった。スウィンギング60sの前半は目まぐるしい時代にあって、このカップルは休むことなく共に働き続けたが、テレンス・スタンプと付き合い始めたことによってシュリンプトンはベイリーの元を去った。
『ベイリーが私達二人をVOGUEの撮影で使ったときに初めて会いました。その後に結婚式で再会したんですが、とてもハンサムだったので彼を覚えていたんですよ。実はベイリーが間違って私達を引き合わせてしまったせいなんですが、スタンプは落ち着かない様子で人目を気にしていたのか、どこかよそよそしいと感じました。ベイリーは他の人と同じように彼にも話しかけていましたね。でも結局私の両親に彼を紹介する予定を取り止めまたんですよ』。
シュリンプトンが惹かれたのはスタンプのルックスとはいえ、彼は誠実さに欠けていた。この美しいカップルはたちまちベイリーの失望の種になったものの、シュリンプトンは3年間の交際期間中悩みを募らせたのだった。今では確実に嫌い合っているだろう。『友人には私が愛していたのは彼の華やかな生活だと言われましたが、実際には彼の生活はとても不思議なものでした。メイフェアのフラットで一緒に暮らしていたのに、一度も合鍵をもらったことがなかったんですよ。ある日私が話をしようと彼の部屋に行くと、彼はイスを回転させて私に背を向けて静かに窓の外を見つめ続けていたんです。そんなことがしょっちゅうでした。とても変わった人でしたね』。

では、どうして彼と一緒にいたのか?
『人と違うところに惹かれました』
というのがシュリンプトンの回答だったが、一方でロンドン一の大物カップルであったことには興味がなかったようだ。
『二人とも自分達は特別な存在なんだと思いながらブラブラと街を歩き回ってましたね。毎晩毎晩高級レストランに出掛けてましたが、それは人に見られるためです。退屈でしたし、自分はテレンス・スタンプの作る映画の一部を演じているように感じました』。

私生活とは裏腹に仕事は順調だった。20代半ばまでには世界中に名を知られるようになり、モデルとしての地位も大きくなっていた。そしてオーストラリアで行われたメルボルン杯にプレゼンターとして招かれたとき、彼女は図らずもファッション界に多大な貢献をした。シュリンプトンの仕立て師コリン・ロルフェに与えられた布は少なく、締切が差し迫るなか4着のドレスを作り、その全てが膝上丈だった。そのときミニスカートが生まれた。

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with Husband and Son

しかしその名声に伴い、ウォーレン・ベイティやジャック・ニコルソンといった『どうしようもない』有名人からの誘いも多かったという。
『彼らの性分なのでしょうが、どうしようもない人達でしたね。ウォーレンよりジャックの方が油断ならない人でした』。
同時にシュリンプトンは幸せではなく、“シュリンプ”というニックネームを嫌い、ファッションワールドに幻滅していた。彼女は当時の恋人でありフォトグラファーのジョーダン・カルフスに出会って本当の自分を出すことができたと語る。
『博物館や美術、文学の楽しさを知って、目覚めたんです。あの頃のアメリカ文学界には様々な流れがありましたしね。メイラーにベロウ、バローズにアレン・ギンズバーグ、そういった作家の時代でした』。

文学に耽るようになり、美術品も買うようになった。ジョーダンと別れた後に付き合ったアナーキーな詩人ヒースコート・ウィリアムズとの荒れた関係が終わると、作家のマルコム・リッチーと共にコーンウォールに移り住んだ。そして30代前半にはモデル界からきっぱりと身を引いた。マラジオンでアンティークショップを開き、コーンウォールの人々を写した一連のモノクロ写真を撮った。個展を開くことも開こうという考えさえ起こさなかったが、アビーホテルのウェイトレスとその夫マイケル・コックスに出会ったシュリンプトンは、その後マイケルとの息子タデウスを妊娠。そしてそのウェイトレスからアビーホテルが売りに出されるという話を聞いた。
『その話に飛びつきました。もし下調べなど色々やっていたら今頃手にしていなかったでしょうし、経営自体も自分が好きでやってるボランティアみたいなものです。でも、もう私の人生の30年以上もこうやっているんですからね』。
彼女とマイケルはファッションワールドから遠く離れたアビーホテルで祝杯を挙げた。
『シャンパンとフィッシュ&チップスでお祝いしましたけど、ゲストは立会人の二人だけでしたね』。

シュリンプトンがこの西コーンウォールの田舎暮らしを気に入ってはいるとはいえ、本当に華やかな人生にいた頃の過去に未練はないのだろうか?
『いいえ、まぁ憂鬱な性格ですけどね。充実感が手に入るからわかりませんが、現代生活の陳腐さが恐ろしいくらいであることは知っていますよ。たまに自分が傷物だと感じるときがあります。でもマイケルとタデウスとアビーホテルが私の人生を変えてくれたんです』。
応接間の周りを囲むのは彼女とマイケルが収集した本の数々。W.G.ゼーバルトの<土星の輪>、<Russian Criminal Tatto>、<Diary of Art Dealer>や彼女のお気に入りの一つであるディラン・トマスの<The Burning Baby>など、ケイト・モスの家などではお目にかかれない珍しいコレクションだ。しかしシュリンプトンは彼女のファンだとか。
『好きですよ。彼女って自由な精神ですし自分に正直ですから。世間では悪い子と見られてますけど、世の中にはそういう人が必要なんです』。


-おわり-



シュリンプトンの本の趣味は面白いですね。ロシアの犯罪者のタトゥーを集めた本とか、<The Burning Baby>っていうのもちょいグロな内容だった気がする。やっぱりこう、無欲で名声嫌いだったんでしょうね、そんな印象を受けました。

そういえば最近ヴィヴィアン・ウエストウッドのインタビューを見たんですが、彼女はシュリンプトンの『セックスは私の中の優先順位の上位ではないわ。 』という名言(?)がお気に入りなんだそうです。