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 麗音

「麗音」とは、私の友達の書道家”翔鸞”さんが音楽好きな私のために

造ってくれた造語です。





音楽を楽しみながら、少しずつ、日々感じたことを皆さんに

「音信」していけたら・・・。

今日は娘の誕生日です。

1973年2月6日(火)午後2時に産声を発しました。

お茶の水の順天堂病院の廊下で、朝から長い間待たされていると、看護婦さんが生まれたばかりの娘を抱いて、私に“手も足も、指は五本ありますよ”と、言われたことを思い出します。


本当に長い間待たされ、その間、お腹の中に居る時の逆子のこともあり、何度と無く不安がよぎり、私は男でも女でもどちらでもよく、最後は母子共々健康で、五体満足の子の誕生を、ただただ祈る気持ちで待っていたのでた。・・・・・難産でした。


看護婦が抱いた子を見れば、真に私そっくりの顔をしていたのでした。


生まれた時は斜頸で、医師の指示に従い砂枕で矯正し、また、ミルクもあまり飲まず、妻が哺乳瓶の穴の大きさを何度となく変えていたのを思い出します。

今、思うに、親の心配を敏感に感じ取って、落ち着いて飲めなかったのでしょう。


娘が生まれるまで、子供は大の苦手でしたが、授かったその日からその性格は大いに変わり、心配しながらも娘の笑顔に救われ、娘優先の生活が始まったのでした。


休日は決まって乳母車で散歩をし、陽のあたる住宅街を、妻と乳母車の取り合いとなり、笑い声の耐えない時間を過ごしておりました。


神様から授かった私どもの子として一生懸命育て、35年間共に過ごさせてもらった事に、感謝いたしております。

父より

今日は娘の祥月命日。
娘が旅立って5年の歳月が過ぎようとしています。


毎朝、娘の部屋に入り“おはよう!”と声をかけ、カーテンを開け、
仏壇の前でお経を読むのが一日の始まりです。

何かある度に、娘に話しかけるがごとく独り言をいい、娘の返事を聞く。
・・・・・そんな5年間でした。


病室の窓辺から私を待っていたかのように、いち早く私の姿を見つけ、
大きく手を振ったあの姿、あの笑顔が、今でも目に焼き付いています。


病室では娘が居ることにより、同室の方々が皆明るく笑いが絶えないと
看護士さんが私に話してくれました。
娘はどこでも、誰とでも周りを明るくさせる、そんな子でした。
私の誇りの娘です。


今日という日をお心に留めて下さいました皆様に深い感謝の念で

いっぱいです。
娘と共に過ごした35年間にも、父として母として感謝しております。


きっと、どこかで、あの笑顔で、皆様にお礼のご挨拶をしていることでしょう。



父母

今日は姉の命日です。

この日ばかりは月日が止まってるような何とも寂しい気持になります。

私ごとですが、先日ある資格試験に合格しました。

平日夜、土日と実家の姉の仏壇の目の前で頑張って勉強しておりました。

勉強していると決まって、姉が発表会で演奏していた曲が頭の中で流れておりました。

気付くと頭の中であの綺麗で張りのある姉のヴァイオリンの音色が流れてるのです。

チャルダッシュやツィゴイネルワイゼン、シャコンヌなど♪

きっと応援してくれているのか、姉も天国の発表会で練習しているんだと励みとして勉強に集中しつつも頭の中で姉の演奏を聴いている感覚でした。

こうして合格したのも姉の応援、一緒に頑張ったからだと思っております。

きっと天国で褒めてくれてるかな~と思いつつも、姉の笑顔、声が聞けないのが残念で残念で仕方ありません。

これからも姉と一緒に上を目指し頑張っていこうと思っております。

今年も、沢山の方から綺麗なお花をどうもありがとうございます。

綺麗なお花に囲まれてきっとルンルンで喜んでいると思います。

どうもありがとうございました。 眞基

このところ体調思わしくなく、不安がよぎります。

こんな時、娘が居てくれたらどんなに心強いことかと思います。

と同時に、娘の闘病の姿を思い出し、あの当時の精神的、肉体的苦痛に比べれば、今の私など比ではない。もっと、もっと娘に寄り添うことが出来たはず・・・などと、つい思ってしまいます。


そんな時、電話が、『○○ 麗さんのお宅ですか?』

『はい、そうです。』 と答えると、

『こちらは、株式会社○○ですが、麗さんご在宅ですか?』 との問いに、私は何の躊躇いもなく、口をついて、

『麗は今、出掛けておりますが・・・・』 と答えると、

『それでは改めてお電話させて頂きます。』


そんなやり取りから受話器を置き、

 『麗は、今出掛けております。』 

と言ってしまったその言葉が、何とも久し振りで、懐かしく、嬉しく、今日にでも帰ってくるような気さえしました。


この言葉が現実であれば、どんなに私を幸せにしてくれたことでしょう・・・。



       母

今日、23日は息子の35回目の誕生日でした。


朝、息子へのメッセージをメールしようと思っていたところ、イチローの4000本安打達成との新聞の見出しが目に止まりました。彼のコメント、生き方に心を打たれ、息子の生き方にも生かしてもらいたいと思いを強くしました。



しかし、むなしい思いが心をよぎります。娘が旅立った歳でもあるのです。

息子が自分の可能性に掛け努力している姿と、この歳で志半ばで世を去ってしまった娘が重なり、何ともやるせない思いに駆られます。


確か去年は、お祝いの食事に出かけたレストランでのこと、私は何を思ったのか、4人で囲んだテーブルに、「何故、ここには麗が居ないの!」 と溢れる涙を堪えるのに必死だったのを記憶しています。


息子にも一日、一日を大切に生きてほしいと思います。



           母