麗音

 麗音

「麗音」とは、私の友達の書道家”翔鸞”さんが音楽好きな私のために

造ってくれた造語です。





音楽を楽しみながら、少しずつ、日々感じたことを皆さんに

「音信」していけたら・・・。

麗音

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娘が旅立って8年の歳月が過ぎました。

8年もの間、娘に逢えない生活を送ることが当然と思えない自分自身に、驚きを感じます。

夢ですら逢うことなど滅多にないのですから・・・。今すぐ追い掛けて行って、逢いたくてたまりません。

 

先日、娘の高校時代の恩師(絵本「れいちゃんのバイオリン」の作者でもあられる)が転勤先の盛岡から上京され、お墓参りをして下さいました。友人達も同行下さり、お懐かしい再会でした。

お花を見た友人が、「麗ちゃんらしい色ね~」 のひと言が私の心に響きました。

先生の嘗ての生徒達を見る目は変わらず温かく、心温まるひと時を過ごすことができました。

 

娘の会社の同期のお仲間の方々もお墓参りをして下さり、有難く感謝の念でいっぱいです。

   「私達の会話の中で普通に麗ちゃんが出てきます。たくさんの思い出がありますから~」

   「8年経ったとは思えないくらいに、麗ちゃんのことはいつも傍にいるように思い出します。

    これからもきっとそうだと思います。」

 

又、娘の友人からのお手紙には、

   「悲しみをお抱えになりながらも前をお進み下さること、 私達に麗ちゃんの光をずっと感

じ続けて下さることは、麗ちゃんにとっても何よりの安らぎでしょう。」 と書かれており、私の心に強く響きました。

 

皆様おひとり、おひとりが娘に思いを寄せて下さる温かなお言葉を頂き、ひたすら感謝と同時に私の心を後押しして下さいます。

1日、1日を大切に過ごしていきたいと思っております。

心から感謝を込めて、有難うございます。

 

         母

 

 

  

 

 

 

 

彼岸明けも過ぎ、キンモクセイが急に咲きだし室内にはあのかぐわしい芳香が、漂ってきました。今は亡き娘の幼い頃、キンモクセイの花を集めて遊んでいた姿を想い出します。父より

例年の如く送り火を焚き、娘を見送りましたが、何時も、何処かで私どもを見守っているに違いありません。


もう7年の歳月が過ぎ、娘への想いを巡らさないことはありません。

永遠にこの世に姿を現すことはないと解っていながらも、その現実を受け止めるのに、胸が張り裂けそうに息苦しくなります。そして、決まって短い一生を終えた娘に対し、この私が生きていていいのだろうかと、自問します。


人は、日より薬と言って、時が解決してくれるとよく言われたものですが、そんなことは決してありません。むしろ、時が経つほどに、娘との折々の想い出が甦り、その時の笑顔、笑い声、足音、指の長い白い手で奏でるヴァイオリンの音色、私と交わした会話など、もう想い出の中でしか生きて行くしかないのです。

かけがえのない者を奪われた時、今まで描いていた人生への期待感まで全て否定されるように思えるのです。


今までのように、時計に目をやり、もう起きてくるころではないだろうか・・・、丁寧に両手を前に合わせ、深々と頭を下げ、「おはようございます」と言ってくるのではないか・・・。玄関のドアの音に、帰ってきたのではないか・・・と思うことは流石に少なくなってきましたが、これも、娘の居ない生活に少しは慣れてきたのかもしれません。でも、寂しさは募るばかりです。


友人達と会い、笑顔でごまかし、帰宅すれば、私だけが時が止まっていることに気付きます。


本格的な夏がやってきます。暑い夏が嫌いな娘、昨日、今年始めて蝉の鳴き声を耳にしました。

「蝉が嫌いだったわよねー」と、娘に話しかけてみました。


             母

        

   

娘の43歳の誕生日がやってきました。


日々、愛しい娘の死と向き合って生きています。折々に、哀しみ、寂しさが胸を突き上げてきます。

何故私がこのような体験を強いられねばいけなかったのかと・・・。運命を恨むことさえあります。しかしその度に、病魔との闘いに、苦しみ、死への恐れを一つも口にすることなく、35年の人生を閉じた娘に対し、思わずその生きざまに敬服すら覚えます。

それ以来、私は死を恐れることは無くなりました。


2年前、我が身の命の危機に曝された時も、何の戸惑いもなく、やっと娘と再会できる時が来たのだと思ったものでした。

生きたくとも生きられなかった命、でも、私は今を生かされている。自分で自由に出来ない、かけがえのない尊い命、今までは、私が生きていてあの子に申し訳ないとの思いが強かったが、私にもできる何かがあるのだと、娘の生き方から学びました。

今は、同じ体験をした方々と慰め合い、支え合い、絆を大切にしています。


もうこの世には居ない娘なのに、お友達から、「お誕生日、おめでとう!」と今の思いを語り掛けるように綴られたお手紙、又、「これからも 変わらず ずーっと友達」とのメッセージを頂きました


娘が多くの人々に愛されていたことが私の最大の喜びであり、力となっています。


                 母

12月は、私共にとって特に心沈む月です。

1216日は娘を見送った日。七年の歳月が過ぎても、私共の心は時間が止まったまま、娘は35歳のままです。


命日には皆様から沢山のお花を頂きまして有難うございました。時を経ても、おひとりおひとりのお心に娘が息づいておりますこと、嬉しさと深い感謝の念でいっぱいです。



私共は毎年、巡礼の旅を続けておりますが、今秋立寄った京都広隆寺でのこと、たくさんの仏像の中、一体の吉祥天女像の視線を強く感じ、惹きつけられるように歩み寄ると、お顔が娘によく似ており、まさに麗の顔でした。・・・・・未だに心が震える思いでおります。




「人は思い出されているかぎり、死なないのだ。思い出すとは、呼び戻すこと。」―山田稔ー   この言葉が私共の心に響いております。






20151230

父・母