例年の如く送り火を焚き、娘を見送りましたが、何時も、何処かで私どもを見守っているに違いありません。
もう7年の歳月が過ぎ、娘への想いを巡らさないことはありません。
永遠にこの世に姿を現すことはないと解っていながらも、その現実を受け止めるのに、胸が張り裂けそうに息苦しくなります。そして、決まって短い一生を終えた娘に対し、この私が生きていていいのだろうかと、自問します。
人は、日より薬と言って、時が解決してくれるとよく言われたものですが、そんなことは決してありません。むしろ、時が経つほどに、娘との折々の想い出が甦り、その時の笑顔、笑い声、足音、指の長い白い手で奏でるヴァイオリンの音色、私と交わした会話など、もう想い出の中でしか生きて行くしかないのです。
かけがえのない者を奪われた時、今まで描いていた人生への期待感まで全て否定されるように思えるのです。
今までのように、時計に目をやり、もう起きてくるころではないだろうか・・・、丁寧に両手を前に合わせ、深々と頭を下げ、「おはようございます」と言ってくるのではないか・・・。玄関のドアの音に、帰ってきたのではないか・・・と思うことは流石に少なくなってきましたが、これも、娘の居ない生活に少しは慣れてきたのかもしれません。でも、寂しさは募るばかりです。
友人達と会い、笑顔でごまかし、帰宅すれば、私だけが時が止まっていることに気付きます。
本格的な夏がやってきます。暑い夏が嫌いな娘、昨日、今年始めて蝉の鳴き声を耳にしました。
「蝉が嫌いだったわよねー」と、娘に話しかけてみました。
母