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 麗音

「麗音」とは、私の友達の書道家”翔鸞”さんが音楽好きな私のために

造ってくれた造語です。





音楽を楽しみながら、少しずつ、日々感じたことを皆さんに

「音信」していけたら・・・。

我が家の年賀状から 「おめでとうございます」 の言葉が消え、七年になります。


娘を見送った平成20年12月16日、街中はクリスマス、お正月とカラフルなイルミネーションに彩られ、ことのほか華やいでいたようでした。

あの当時、どのように新年を迎えたか、全く記憶にありません。


それ以来、どうしても、「おめでとう」などと賀状に書く気にはなれないのです。

私が参加している「分かち合いの会」のスタッフの方に相談をしたところ、「新年のご挨拶を申し上げます」 でいいのよ。 と教えて下さいました。

以来、色々複雑な思いが去来する中、このようなご挨拶をしております。


娘の居ない生活を6年も過ごすとは想ってもみないことでした。

「会」の方々、友人達にも寄り添っていただき、何とか過ごしております。


この手で触れることのできない娘、せめて夢の中ででもと思っても、めったにお目にかかれない。でも、日々の生活の中、思い悩み、どうしたものかと思っていると、スーと答えが目の前に現れたり・・・・・・きっと、どこかで私を見守っていてくれているに違いない。そんな気がしてならない。心を研ぎ澄まして、静かに耳を傾ければ、娘の存在を感じるだろう。


泣き言など一切言わず、懸命に生きた娘の生き方に学ぶこと多く、私たちの娘として生まれてきてくれて有難う。そして、35年共に過ごしたことにひたすら感謝の念でいっぱいです。




昨日、娘の七回忌を妙法寺にて執り行いました。


実はこの日を迎えるに当たって、無事務めることができるだろうか・・・と不安でいっぱいでした。 未だかって、娘の写真をまともに見ることはできないのです。

お寺さんには、遺影とお位牌を持って行かなければなりません。遺影には、私の特別な思いがあります。


娘が自分の命の限りを知ってしまった時から深く考え込み、苦悩の日々が続きました。私も神に祈る思いで、奇跡が起こることだけを固く信じていました。

娘の鬱状態が続き、娘の手を握り締め病院に通い、そんな日々の中、娘が

 「これ、遺影に使って・・・」 と一枚の写真を私に託しました。 拡大した写真など私には見ることなどできません。心の中に大切にしまってある娘で十分です。ただただ目を閉じ、祈るのが精いっぱいでした。

久し振りに姪の子に会い、すっかり身長も伸び成長し、時が経ったことを知りました。

周りからは、もう七回忌?とよく言われますが、私共にとっては、もうなのか、やっとなのかわかりません。気が付いてみたら、6年の歳月が過ぎようとしています。


その間ずっと付きまとう哀しみ、寂しさに蓋をして何とか今日まで生きてきましたが、時には、折に触れ、その悲しみの蓋が開き、心が折れそうになる時があります。 街を歩いていても、ふとした時に娘との想い出が甦ってきます。

多分私がこの世を去るまで、この想いは変わることはないと思います。

そんな時は、仏教用語である 「倶会一処」 (あちらでは、愛する人に必ず逢える) と言う言葉を信じて、今後も娘のようには立派には生きていく事は到底できませんが、娘と共に過ごすことが出来なかった時間を、あちらで取り返したい思いで過ごしていきたいと思っています。


親戚が集まった食事の場でも、何処からともなくモンシロチョウが現れました。


無事法要も終わり帰宅、夕方6時を過ぎ、辺りはもう暗くなっているのに、買い物に出た私共の後を、小さな蝶がひらひらと私の後を追うように付いて来ました。 なんて、愛しい蝶だろう・・・・・。 蝶は魂の乗り物と聞いたことがあります。


娘の姿は見えねど、きっと何処からか私どもを見守っているに違いない。


麗と共に過ごした35年間に有難うと感謝の気持ちでいっぱいです。



              母





今日は、娘が初等科より12年間学んだ母校の元校長様のご葬儀ミサに主人と共に参列致しました。

校長様の歯切れのよい澄んだお声、凛としたお姿が忘れられません。


懐かしい学校の校庭では、マリア様が体育の授業の生徒達を見守っていました。



シスターは手術後、懸命にリハビリをなさったとのこと、常に周りへのお優しいお気遣いなど、きっと天国でもお忙しくお働きになられることでしょう・・・・・との神父様のお言葉に私は大きく頷きました。


娘が大学受験前、体育の授業で、運動神経の鈍い娘は右手の小指に跳ねたボールを当て骨折した時のこと、校長様はたいそう心配して下さり、お優しいお言葉を下さいました。

又、病気療養中には、お電話や、お優しいお言葉で励まして下さいました事がどんなに娘の生きる力になったことでしょう。

http://ameblo.jp/charigon/entry-10137548893.html   (麗音:2008年9月9日より)


奇しくもブログに書いたのは、6年前の今日のこと、偶然なのでしょうか・・・・


娘の葬儀にも御参列下さり、棺にロザリオをお納め下さいましたことが思い浮かびます。


御出棺の時、何処からともなくアゲハ蝶が現れ、お車の上をひらひらと舞っておりました。きっと娘も皆様と御一緒にお見送りしたのでしょう。


これからは天国で、シスターのお手伝いをさせていただくことでしょう。  



            母   





今日はお盆送り火でもあり、娘の月命日でもありました。

夕食後、夫と二人で送り火を焚き、炎の先をじっと見つめていると、娘との思い出が甦り、胸が熱くなりました。


娘は時々我が家に居るような気がしてなりません。折に触れ語りかけ、どうしたらよいのか相談を持ちかけてみたり、するとバシッと大きな音がしたり、ヴァイオリンの弦がひとりでにギィーと鳴ったりします。きっと、自分の存在を知らせ、私に寄り添ってくれているのだろうか・・・。


この6年間、片時も娘のことが頭から離れたことがありません。あの笑い声、あの笑顔、あの足音、そしてヴァイオリンの音色も私の心の中にずっとしまいこんでいます。時には、いたたまれず大きな声で、「麗ちゃん!」と叫んでみるが、返事があるはずもありません。


ひたすら逢いたくてたまりません。声が聞きたくてたまらないのです。夢でもいいから逢いたくてたまりません。

娘と過ごした何にも増して楽しかった時のことを、この身体がしっかりと覚えてしまっています。娘はどう思っているか知る由もありませんが・・・。


後ろばかり振り返る人生に何も進歩が無いことなど、自身の身体が実感しているのですが・・・。


夢での再会を念じています。


                          母









2月6日は、娘の41歳の誕生日でした。

奇しくも、私は検査の為その前日に入院し、6日は娘を出産した同じ病院で

無事検査を終え、ベッドに横たわっておりました。


元気でいてくれれば、どんな風にこの日を迎えていたであろうか・・・。

結婚をし、主婦として、母として忙しい日々を送っているかも知れません。

しかし、色々想像してみるのですが、やはり、私の頭の中では、35歳の娘の姿で止まってしまっています。あのちょっと高めの声も、ケタケタ笑う声も・・・。


ひたすら逢いたくてたまりません。


これからは時間をかけて少しづつ、娘が私共に与えてくれたあらゆる喜び、例えようのない寂しさ、哀しみにも堪え、共に過ごした35年間に感謝し過ごしていきたいと思っております。


再び娘に逢える時、『お母さん、頑張ったね”』 と言ってもらえるように過ごしていきたいと思っております。



        母