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 麗音

「麗音」とは、私の友達の書道家”翔鸞”さんが音楽好きな私のために

造ってくれた造語です。





音楽を楽しみながら、少しずつ、日々感じたことを皆さんに

「音信」していけたら・・・。

今日は娘の命日でした。



このところ、私共は娘の書棚の本を読むようになり、娘の気持ちの後を追っています。そこで、娘の気持ちに接したような感情を覚えた文章に巡り合いました。



書籍の名は「いい言葉が人生を変える」。その中に医学博士,神谷美恵子先生がこんなことを言われています。“人生の中で八方塞の状況から、抜け出す方法はないのでしょうか?”



・・・・・このような現実に対して、受け身に回るのではなく、逆に周囲の人を励ます、勇気つける側の立場に立って生きる習慣を身につけておくべきだと教えてくれています。



娘がブログを始たのは、心理学専門の幼馴染M氏のアドバイスを受けてのことですが、このブログで多くの方々からの励ましのお言葉を頂き、生きる希望を繋げておりました。その一方、多くの皆様より、生きる勇気や励ましを得たとの、お言葉を頂戴いたしました。



まさに、娘は神谷先生の言葉を実践していたのではと気づいた次第です。厳しい病と真正面から対峙し、その心の葛藤の中で、常に前向きに一日一日を過ごしていたのです。



私は一人、娘が読んだ本を読むにつれ、娘を褒めてあげたい気持ちと、寂しさに襲われます。もう一度逢いたい、逢ってこの手で抱きしめてあげたい。また、娘と好きなお酒を飲み交わしたいと、思わずにはいられないのです。






私共もまた、人生の中で八方塞の状況に陥っているようです。

・・・・・娘に負けないように生きなくてはいけないと、思い聞かせる毎日です。



今日はお墓にビールを置いて、娘を偲んでまいりました。






















 麗音


私の努力が足りないからなのでしょうか?

絵本の中のくまさんのように、なかなか一歩が踏み出せないでおります。


家中のいたる所に残る娘の生活の 跡、嫌をなしに視界に飛び込んでくるたびに、娘との想い出が重なります。

いまだに届く娘へのダイレクトメール。 今朝、ダスキンさんがモップの交換時に、「娘さんいらっしゃいましたよね。これをあげてください。」 と、差し出されたミスタードーナッツのカード。心にスイッチが入ったように、今迄堪えていた涙がどっと溢れ出ました。


毎日、泣いてばかりいる私に、息子からメールが届きました。 


・・・・・どうしようもない悲しみは僕も同じ。お母さんはいつも早くお姉ちゃんの処に行きたいと言うけれど、お姉ちゃんに会えるだけでよく、僕やお父さんに会えなくてもよいと言うことですか?そんなことで、お姉ちゃんは喜ぶと思いますか?今は時間に頼るしかないと思います。死にたい、死にたいと毎日泣くお母さんを、傍で見ているお姉ちゃんがどんなに悲しいだろうか。どんなに心配しているだろうか。僕は家に行くと、お姉ちゃんとお母さんの二人分の悲しみを感じます。と・・・・・


子供は娘だけではない。息子をも傷つけていると、ふと、我に返った瞬間でもありました。


頭と心が連動しないのです。やはり、寂しさが上回ってしまいます。娘の存在が私にとって、どれ程大きなものだったのか、今更ながら思い知らされる毎日です。最愛の娘を亡くした親にしかわからぬ深い悲しみです.。



                                                                    母



 麗音-芍薬


水面に浮かんだ桜の花筏がつい昨日のように感じられます。木々はもうすっかり瑞々しい若葉に覆われています。


ゴールデンウイーク真っただ中、娘と親しくお付き合いさせて頂いておりました友人達が娘のお墓参りをして下さいました。墓誌に刻まれた娘の真新しい名を目にし、何とも切なく涙が溢れます。


帰りに、彼女達とお茶をご一緒し、娘を偲ぶことができました。Mちゃんが、「麗ちゃんのことだから、今頃、なーんだ、こちらに来てみたら、年寄りばかりじゃない。なんて言ってそうじゃない?」 とのこと。私はその言葉に、今迄暗く沈んでいた心が何だかほっと軽くなった気が致しました。


彼女達とお会いしていると、、娘と重なって見えるのです。そして、彼女達と同様に歳を重ねていく娘の姿をそこに見る想いがいたします。


彼女達との別れは辛いのですが、今度お会いできるチャンスがあれば、又一つ、私の知らない娘の新しい発見ができるような気が致します。


                                                      母







 麗音



悲嘆に暮れる日々の私に、夫が1冊の絵本をプレゼントしてくれました。


「くまとやまねこ」 湯本香樹実ぶん 酒井駒子え


絵本を目にするのは何年ぶりのことでしょうか。

昔、子供達に読んで聞かせた数々の絵本、どれも子供達の大好きな絵本、何度となくせがまれ読んで聞かせたものでした。

あの時の目の輝きは今でも鮮明に想い出されます。


娘が亡くなる二か月程前のことでしょうか。

娘が 「綺麗な紅葉が見たい」 と言いました。

私共は早々娘の大好きな軽井沢に宿をとりました。


燃えるような真っ赤に色付いたドウダンツツジ、もみじの葉の黄色から先端の赤に変わるグラデーションの

目を見張る美しさに、しばし見とれたものでした。


そんな中、娘が 「絵本美術館に是非行ってみたい」 とのこと。


昔懐かしい絵本を見る娘の目は、あの幼き時と少しも変っておりませんでした。

美術館の庭に咲く白い愁明菊、燃えるように赤い楓の葉を一枚、大事そうに手に取っておりました。


私ども3人は、やがて来る娘との永遠の別れなど、想像だにしませんでした。


できることなら、あの時に戻りたい・・・・・・・。


私はまだ、くまのように1歩を踏み出すことができませんが、

いつも体いっぱい麗を感じて、何とか前に進めることができるでしょうか・・・・・。

溢れる涙を拭って、娘が後押ししてくれるでしょうか・・・・・。


やはり、私が生きている限り、悲しみは尽きません。


                               母





 麗音


桜が満開の季節となりました。

はらはらと散りゆく花びらが私の足を止めます。


この桜を見ずして逝った最愛の娘、麗・・・もう亡き後、百か日が過ぎたというのに、

娘への想いは募るばかりです。

日常のふとした動作からも娘を想い、今では娘の写真を目にすることすら辛くなってきました。


起死回生、我が娘が亡くなるはずがないとの強い思いと現実、娘がどんなに辛かったであろう

精神的、肉体的苦痛を、母である私がいったいどれだけ受け止めてあげることができたのか、

その思いが今も私の心を苦しめます。涙が止めどなく流れます。


この悲しみを背負って生きていく試練に、未だ立ち向かう気力が備わることがありません。

娘の居ない寂しさを受け入れ、どう一歩を踏み出してよいのやら、苦しみの中です。


いつの日か、自分の中で、何かが変わると信じて生きてゆかねばと思う毎日です。

きっと、娘への悲しみが感謝に変わると信じて・・・・・。


                                母