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 麗音

「麗音」とは、私の友達の書道家”翔鸞”さんが音楽好きな私のために

造ってくれた造語です。





音楽を楽しみながら、少しずつ、日々感じたことを皆さんに

「音信」していけたら・・・。


 麗音

2年前の12月16日、最愛の娘は永遠に私共のもとを去りました。

今でも、当時の様子は鮮明に私の脳裏から消え去ることはありません。時が経つに連れて、心の傷は深まるばかりで癒えることなどありません。当時は、悪夢でも見ているような気がし、現実として受け入れることはできませんでした。


娘はこの世に居ないという現実は消え去るわけでもなく、もとに戻ることもなく、悲嘆を背負って生きてゆかねばならない。明日など来なければよいと何度思ったことか、でも、又朝がやって来る。喪失の哀しみとはこんなにも私のすべてを奪っていくとは思いもよらぬことでした。


娘の存在が私の生きる喜びでもあり、最愛の娘の死は、どのような言葉に導かれようと、娘に会えるまで自分自身とどのように向き合い、折り合っていけばよいのだろうか。悲嘆を治す薬などないのですから。


家中何処へ行っても、娘の生活の跡に囲まれているからだろうか、ならば、すべてダンボールに封印しようとも思うが、この家での楽しかった想い出までも閉ざしてしまうようで、それさえもできない自分が居る。全く、進歩のない、愚かな母である。


朝からたくさんのお花に囲まれた娘の写真、いつもは伏せて見ることのできない写真と今日だけは向き合い、たくさんの想い出が涙と共に去来しました。


午後からお墓参りに行き、真新しいお塔婆が物悲しい音を立て、揺れておりました。

どなたでしょうか、ここでもたくさんのお花を手向けて下さいまして有難うございました。


2年の歳月が経っても、たくさんの方々が娘を忘れずにお心に留めて下さいましたことに、私共家族は感謝の気持ちでいっぱいになり胸が厚くなりました。心からお礼申し上げます。



                         母




今日1216日は姉の命日です。

決して忘れることのない、忘れられない日にち、数字です。


今日私は仕事を休み朝実家に向かうと、玄関には足の踏み場もないくらいのお花の段ボールが私を迎えました


思わずお姉ちゃんを思っているのは私たち家族だけじゃないんだと強く実感して感謝の想いで胸が一杯になりました。

と同時にこれだけの綺麗なお花が届いて、きっと喜んでいる姉の笑顔を見れず、生前の毎日のように見ていた姉の笑顔を心の中で思い描かなくてはならない現実に悲しみがこみ上げてきました。

姉の笑った笑顔を目の前でもう一度見たい・・・そう思いながら、

母と一つ一つ箱から出し、仏壇の前に、姉に語りかけながら供えさせて頂きました。


姉が大切にしていた友達、同僚の方々からのお花ブーケ1

姉がどれだけ喜んでるだろうか。

1216日という日を、姉のことを想って頂いて本当にありがとうございます。

全て写真に収められないくらいお花やらお菓子を頂きました。

この場をお借りしてお礼申し上げます。

友達思いの姉のことですから、皆様の所へもきっとお礼に訪れると思います。

その時はどうぞ宜しくお願い致します。

話好きの姉のことですから、長く居座っちゃうかもしれませんが(笑

午後はお墓に行きました。

すると誰か来て頂いたようで、かわいらしいヴァイオリンを持ったウサギの置物が飾られてました。

ありがとうございます。

今もなお、多くのお友達や同僚の方々に支えられているんだなと、私も嬉しいです。

きっと姉も天国から皆さんのご活躍を見守っていると思います。

今後とも姉の事をどうぞ宜しくお願い致します。


このブログをまだ見て頂いている方々、姉のお友達、同僚、先生方すべての方々にお礼申し上げます。

ありがとうございました。


今日からグッと冷えてまいりましたので、皆様どうぞお身体ご自愛下さい。


弟より


 麗音

 麗音



 麗音

娘を見送った日が間もなくやって来ます。


娘の居ない寂しさ、哀しみは生涯癒えることはありません。もう、もとに戻らないからです。この想いは、私でしか解らない哀しみです。

娘が生きようとしても生きられなかった時間を、今、私がこうして生きている。

そのこと自体、私には娘に申し訳なく、自分自身を許すことができません。

今の私には・・・・・。


先日、いつもの道を通って駅へと急ぐ途中、通りすがりのお宅の玄関に、鉢植えの

コスモスが風に揺れていました。

私は思わず立ち止り、そのコスモスを眺めているうちに、娘を想い出しました。

そそと咲いている可憐な花、細くしなやかな茎、葉、まるで娘のようでした。


ある日、 娘の本棚に目をやると、沢山の本の中で私の目に止まった本がありました。尼僧が語る「愛の法話」 人生の岐路に立つあなたへ 「幸せは急がないで」

と題した本でした。余命を知り、抗がん剤治療中にでも読んでいたのだろうか・・・。

結婚もせず、志半ばにし、35歳の若さで旅立った娘は薄幸だったのであろうか。幸せを求めていたのであろう。

娘の想いを想像しながら、複雑な思いで読んだものでした。


奈良に尼寺、法華寺があります。光明皇后をモデルとしたと伝えられる国宝、十一面観音立像があります。

私は主人と二人でここを訪れたのは、紅葉にはちょっと早い10月下旬でした。

法華寺に足を運ぶと、少しもみじは色づき、秋をそこはかとなく感じることができ、小雨降る中、鳥たちが私達を迎えてくれ、何処からともなく飛んできた一匹の黄色い蝶が、私には麗ではないかと想えてなりませんでした。


静寂に包まれ、苔むした庭、引き締まるような空気、自然の中に身を置き、しばし心が癒される時をもちました。

娘亡き後、法華寺を訪れたのは三度目のことでした。

娘に逢えるような気がして・・・・・。


  逢いたくて 面影探し 旅に出る 野辺のコスモス そっと手に取る


                              母


 






庭のミズキも赤い実を付け、葉も色づき始め、あちこちで秋を感じるようになりました。


娘が世を去り、早2年を迎えようとしています。


私にとっては、あっという間の2年です。毎日、娘の事が脳裏を離れず、日を追って、

寂しさが増してきます。日常その時々、何気なく交わした会話でさえも想い出されます。


駅前には、もうクリスマス・イルミネーションの設営が行われています。かつて、娘と二人で眺め、「何だか、センスないわねー・・・・・」 と語り合ったあのイルミネーション、2008年はとうとう見ることはできず、旅立ってしまいました。


今年も、あの時と同じように、又、輝くのであろうあのイルミネーション・・・・・。哀しく、切なく、私には見ることはできない。去年と同じように。


悲嘆からどのように再生の道を見出したらよいのか、未だにもがいている私。

そんな折、J大学にて、「愛する人をなくすということ」 と題して、「悲嘆」について学ぶ(グリーフケアー)公開講座に通い始めました。


 ・グリーフは誰かを愛したことに対して払う代償 (J..アーチャー)

 ・今ある悲しみはかつて幸せだったことの証 (C.S.ルイス)

 ・グリーフを避けるための唯一の方法、それは生涯、誰も愛さずに生きること

  (R.A.ニーメヤー)  


かつて、娘が大学時代に、J大学のクラブ、管弦楽団に所属し、4年間足しげく通った大学である。今、私は娘が歩いた同じ道を歩いている。最愛の娘を亡くし、悲嘆を学ぶ為に・・・・・。


12回の講義で、私はそこから得た学びを、次へと生かせることができるであろうか。


 

  我ひとり 娘来た道 たどりつつ 心寂しく 想いで探す



                                母



今日は十五夜、秋の訪れを待ち焦がれているうちに、いつしかそこ吹く風も秋風に変わり、虫の音も心地よく、娘の大好きなコスモスも可憐に咲いています。


夜空を見上げ、同じ月を麗も見ているだろうか・・・・・。


先日の集まりで、哀しみに寄り添い、私の心に響く詩を頂きました。




 「歩行」


                尾崎翠


   おもかげをわすれかねつつ

   こころかなしきときは

   ひとりあゆみて

   おもいを野に捨てよ


   おもかげをわすれかねつつ

   こころくるしきときは

   風とともにあゆみて

   おもかげを風にあたえよ



今、麗のすべてを心でしか感じ取れぬ寂しさに涙し、誰に訴えたとて解る由もない。


先日、麗のお墓にこの詩をそっと添えてきました。



                     

   9月22日          母