震災後、まだ余震の不安が残る中、木々は一斉に瑞々しい若葉を付け、あちこちの庭先では、色とりどりの花が目を楽しませてくれます。
娘が大好きだった近所の枝垂れ桜をひとり眺め、「私、この枝垂れ桜が一番好き」 と言ったあの笑顔、、あの弾んだ声を想い出し、涙がこみ上げてきました。季節はどんどん移り変わっていきます。
この頃、何だか時が経つのが怖い気がします。私の中には、未だにふっと娘が帰って来るような気がしたり(こんなことはあり得ないことだが・・・)、ひとり眺めた桜に、もう二度と逢えないことに、どうしようもない寂しさを覚えます。
先日も、某市会議員の選挙事務所から電話があり、「麗さん、いらっしゃいますか」 との問いに、「今はおりません」 と答えたものの、堰を切ったように涙が出てきました。
私は娘と過ごした35年間の想い出だけを語ることしかできないこんな寂しいことがあるだろうか。今一度、娘に逢いたい。話がしたい。あの笑顔、ちょっと高めの声、白い手、ほっそりした身体、娘が弾くヴァイオリンの音色にも耳を傾けたい。
私の心をこんなにも娘が占領していたのかと、今更ながら思います。
人は、声、顔、想い出の順に忘れていくとどこかで聞いたことがあるが、私は娘の全てを私の体の中に閉じ込めておきたい。
時間をやり過ごすため、夢中になるものをと始めた手芸も、娘の知らないものを私だけが楽しむことに罪悪感さえ抱き、手が止まり、結局のところ何も前に進まない。
哀しみを背負って歩んでいく道はまだまだ続くようです。来年の枝垂れ桜はどんな思いで眺めるのだろうか。
母