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 麗音

「麗音」とは、私の友達の書道家”翔鸞”さんが音楽好きな私のために

造ってくれた造語です。





音楽を楽しみながら、少しずつ、日々感じたことを皆さんに

「音信」していけたら・・・。

震災後、まだ余震の不安が残る中、木々は一斉に瑞々しい若葉を付け、あちこちの庭先では、色とりどりの花が目を楽しませてくれます。


娘が大好きだった近所の枝垂れ桜をひとり眺め、「私、この枝垂れ桜が一番好き」 と言ったあの笑顔、、あの弾んだ声を想い出し、涙がこみ上げてきました。季節はどんどん移り変わっていきます。


この頃、何だか時が経つのが怖い気がします。私の中には、未だにふっと娘が帰って来るような気がしたり(こんなことはあり得ないことだが・・・)、ひとり眺めた桜に、もう二度と逢えないことに、どうしようもない寂しさを覚えます。


先日も、某市会議員の選挙事務所から電話があり、「麗さん、いらっしゃいますか」 との問いに、「今はおりません」 と答えたものの、堰を切ったように涙が出てきました。


私は娘と過ごした35年間の想い出だけを語ることしかできないこんな寂しいことがあるだろうか。今一度、娘に逢いたい。話がしたい。あの笑顔、ちょっと高めの声、白い手、ほっそりした身体、娘が弾くヴァイオリンの音色にも耳を傾けたい。

私の心をこんなにも娘が占領していたのかと、今更ながら思います。


人は、声、顔、想い出の順に忘れていくとどこかで聞いたことがあるが、私は娘の全てを私の体の中に閉じ込めておきたい。


時間をやり過ごすため、夢中になるものをと始めた手芸も、娘の知らないものを私だけが楽しむことに罪悪感さえ抱き、手が止まり、結局のところ何も前に進まない。


哀しみを背負って歩んでいく道はまだまだ続くようです。来年の枝垂れ桜はどんな思いで眺めるのだろうか。



                 母

この度の未曾有の大地震、2011年3月11日は忘れえぬ日として、心に深く刻まれました。痛みを分かち合う大切さをつくづく実感いたしております。


連日の被災状況の報道を目にし、心が痛みます。特にご家族やご親戚、ご友人、知人などを亡くされた方々のお心の内を想い、胸塞がる想いです。


麗の絵本を作成して下さいました盛岡在住のM先生とご連絡がとれ、ご無事とのこと安堵いたしました。そして、当時絵本作成や励ましの言葉を下さいましたたくさんの生徒さん達のご無事を心よりお祈り申し上げます。


娘がこの地震を体験していたら、被災者の方々の為にどのような行動をしていたであろうかと考えます。生前、音楽を通じて病院や福祉施設でボランティア活動をさせていただいておりましたので、きっとヴァイオリン片手に忙しく駆け回っていることでしょう。


最愛の娘を亡くした深い哀しみは、生涯癒えることなどありませんが、あの 「千の風になって」 のように、やっと私は 「麗は死んでなんかいない」 と思えるようになってきました。いや、そう思うようにして自分自身を納得させるように仕向けています。


麗は何かの気配で、私に色々なことを気付かせてくれます。姿は見えねど麗と逢える、麗の想いを感じ取る心の目が私にはあります。心の目をこれからも研ぎ澄ませて行こうと思います。


皆様が心穏やかに過ごせる日が一日も早く訪れますよう切に祈ります。



                   母

2月6日、麗のご仏壇は、春を告げるお花でいつもより一層華やいでおりました。

 

38歳の誕生日、今迄していたように、お祝いの食卓を囲み、海老はちょっと匂いが苦手だったことなど思い出し、主の居ない誕生日を祝うことは、尚一層哀しいものでした。


先日、下駄箱を開け、探し物をしていると、娘の靴が片方落ちてきました。

お気に入りの見慣れた靴でした。

私はとっさに、玄関にその靴を揃えて置いてみました。我が家にもこういう靴を履いていた子が居たのよ。と言わんばかりに・・・・・。


揃えて置いたその靴を目にするたびに、麗が帰って来た様な想いに駆られ、姿は見えねど、一緒にこの家に居るような感情さえ抱きました。


しかし、3日もしないうちに、いつまでも最初に置いた位置から少しも動くことなく、きっちりと揃えられた靴を見て、やっぱり,あの子は二度とこの家に帰って来ることはないとの想いから、胸が潰れそうになり、泣き崩れてしまいました。


何とばかなことをしたのだろう・・・・・。


娘がこの世を去り、2年が過ぎたにも関わらず、未だに娘の死を受け入れることのできない自分が居る。何と、精神が未熟なのであろうか。


よく、周りの人から、日より薬と言う言葉があるように、徐々に、徐々に・・・・・と言われるが、最愛の娘を失った悲嘆から逃れる必要もなく、また、逃れられるものなど、この世に何一つあるはずもない。同じ体験をした人でしか理解できないことである。

あるとすれば、唯一、自分自身の心の成長と共に、どう自分と折り合いをつけるかではないかと思う。


逢いたくて、逢いたくて、いつまでも娘の姿を追い求める愚かな、愚かな母である。



                      母



冬晴れが続き、冷たい風が肌を突き刺します。


いつものように、6時起床、まだ暗い空に月が輝いておりました。徐々に、白々と夜が明け、東の空から煌々と太陽が昇り始め、見事な朝焼けに感動しました。


朝は、いつでも、どんな時でも、決まってやって来ます。


闘病中であった娘は、死の恐怖、身体的苦痛や様々な不安と闘いながら、一睡もまどろむことなく、同じような光景をこの窓越しから見ていたであろう。


当時、私は何となく娘の気配を感じ、そばに寄り添っていたく、私共と3人、娘の部屋で川の字になって寝たものでした。


まだ明けぬ空に浮かぶ月を見て、私共を残して逝った最愛の娘を想い、夫が一言、「麗は、かぐや姫のようだ」 と、つぶやきました。



   1月20日          母

晴天続きの穏やかなお正月を迎えました。


昨年末には、息子夫婦が大掃除を手伝ってくれ、私はひとり台所に立ち、お正月料理をつくりながら、娘と二人で世間話をしながらお料理を手伝ってくれた時の事を想い出しておりました。


元旦は、皆揃ってお節料理をいただくも、とびっきり明るい声、笑顔の娘の姿がないことが、何とも心寂しく、切ない思いを抱きました。


娘の部屋からは、革のサンタクロースのお人形が3つ、見覚えのある包装紙で綺麗にラッピングされたものが出てきました。誰にプレゼントするつもりだったのだろうか・・・・・。きっと、クリスマスまでには退院できると思っていたに違いない・・・・・そう想うと、思わず声を上げて泣き崩れてしまいました。


あんなに楽しみにしていたクリスマスもお正月も祝うことなく逝ってしまった娘を想い、それ以来、我が家では、年賀状にも ”おめでとう” と言う言葉を伝えることが

できません。


主人は、昨年末、娘のかつてのバイオリン教室のお仲間がひらいて下さいました

“偲ぶ会“ に出席させていただきました。

皆様それぞれに、娘との関わりや娘への想い、私共の知らない娘の姿などお聞かせいただき、大変心温まり、又懐かしく、娘の35年間を想い出しておりました。


この1年、娘の面影を抱きつつ、前向きな生き方に少しでも近づけることができますように過ごしてまいりたいと思います。



                        母