銀行や書店、スーパー等の店頭で別な物のセールスカウンターが設けられ、道行く人を勧誘していることがあります。声をかけてもほとんどの人に無視されてい るのを見ると、もし私が声をかける側だったらどんなに辛く悲しいであろう、話くらいは聞かなくては、という気になります。
 
 一説には、買う気もないくせに話を聞きたがる客はかえって迷惑だそうです。私は買う気もないくせに話を聞いて逆ギレするという最大限に迷惑な客です。(客ですらない)
 
 その、いかにも説教されそうなネタをあえてここに披露するのは、書くことによって脳内のブログ専用フォルダに特別保管し、今度同じ場面にあった時
「あんなに冷たくされてかわいそう、話くらいは聞かなくては」
→「いや、ここでガラにもないことを考えるから、後でもっとひどいことになるのだ」
という判断の流れをもたらそうとしているからです。
 
 私は自分の判断力に自信がないため、買い物や何かの申込は、日常の食料品を除けば、その場では決めず1度持ち帰り、ネットで調べたり身内に相談したり ノートに書き出したり(書いた方が考えやすい)するのですが、こういうセールスプロモーションの人はその場で成約してくれないと自分の売上にならないた め、ものすごい勢いで食い下がります。
 持ち帰って検討したいなどということは許してくれません。それで最後には私がパニクって騒ぎ出す展開になるのですが、お互いに(多分)不愉快になって、いいことは1つもありません。
 
 先方にも自分の売上を上げなければならないという事情があるので、最後しつこくなるのは仕方ありません。先方の貴重な時間を奪った上、下手に期待させるのは最悪です。
 その場で決める勇気がないなら、どんなに興味ある商品であっても立ち止まらず、無視して通り過ぎるのです。(自分に言い聞かせている)無視したら悪いなどと思うと、後で大変なことになります。
 
 
 3月29日の記事。最近アメーバニュースが面白くないのですが、はてなから抗議でもあったのでしょうか。あるいはよく人体実験させられていた人が身体を壊したとか。
 なお、自分はセールスプロモーションの仕事をしていたがしつこくはしなかったというコメントはしないで下さい。
 たりないもの占い によると、私は健康が足りていないと考えられているようです。100人に1人ですが。ちゅうねんともなると、健康への関心は深まるものです。深まるといっても、時間と手間とお金のかかるようなことはしないのですが。
 先日、GIGAZINEの
1日3杯の紅茶を飲むと心臓発作と脳卒中が防げる
という記事を見て早速実行したら、すごくトイレが近くなりました。よく考えると私は低血圧なのであまり脳卒中の心配はないかも知れません。
 
 朝食抜き健康法というのは、本屋で立ち読みして知ったのですが、世間の常識の逆を行っているという点で目をひくタイトルです。こういう健康法は、朝食を取らなければ頭が働かず身体に悪いのではないかというストレスとあせりから逃れられるという点で大変安心感があります。
 
 ネットで朝食抜き健康法を探すと、
「朝食を取らないと健康に悪いというのは嘘」
「現代病は全て朝食を取る習慣のせい、朝食をやめればアトピーもうつ病もガンも直る」
てな勢いです。そう言われるとそんな気がしてきます。
 
 今までも必ず朝食を取っていた訳ではないので平気だと思っていたのですが、取るのが原則で抜くこともある、というのと取らないのが原則というのでは全然違います。お腹が空いていても食べてはいけないというのは、それはそれでプレッシャーです。
 
 とりあえず1週間ほどそういう生活をしてみました。結果は。体調は特によくも悪くもありません。ただ、新しい記事が書けなくなりました。(いつの話でしょう)
 ネタはあるし、書きかけの下書きはいくつも溜まっているのに、投稿できる水準にならないというか、生意気ですが、文章に力が入らないのです。
 
 関係あるかわかりませんが、やめることにしました。今は
「お腹が空いていなければ朝食抜き健康法」
を実施しています。私の場合、食べるにしても食べないにしても
「食べなければならない」「食べてはいけない」
と化して柔軟性がなくなってしまうのがよくないのであろうと思います。
 
 
 3月28日の記事。アメブロ標準装備の(好きでつけている訳ではないと言いたい)アクセス解析によると、昨日突然検索ワード「テラ・インコグニタ」18アクセスも来ているのですが何かあったのでしょうか。18アクセスというと、雑誌ダカーポの最終号が発売された日の「ダカーポ 休刊」で来た数を上回ります。
 何かあったのでしょうかと問いかけつつコメント拒否にしているのは何なんだということですが、健康ネタはアドバイスが入りやすいのです。
 たまにASの身内の方から、だからどうしたらいいのか的質問があります。そんなの私に聞かれても困るのですが、それも不親切なので、弟に聞いてみました。
 
 
私「私は買い物に行くと店員と会話が成立しないのだが」
 
弟「しないなあ」
 
私「母とも会話が成立しないのだが」
 
弟「しないなあ」
 
私「母のように、私みたいな子供を持つ親が、子供と会話が成立しないのですがどうしたらいいでしょう、と相談してきたらどう答える」(おお、我ながら無理のない流れだ)
 
弟「怒らない方向に話を誘導することだな」
 
私「では、絶対叱ったりしないのがよいのだな」
 
弟「いや、叱るべき時は叱らないといけないのだが、それでお前が怒り出したら、一緒になって怒ったりせず、冷静に、怒らない方向へうまく誘導してだな」
 
私「難しいじゃないか」
 
弟「難しいんだよ」
 
私「私はわかりやすい性格だと言っていなかったか」
 
弟「お前がこういう時はこう考えるだろう、こうするだろう、というパターンは予測しやすいのだが、お前がなぜそういう思考や行動をするかまでは俺にもわからんのだ」
 
 
 という訳であまり参考になりそうにありませんが、当ブログのコメント欄にも、誘導するのがうまい人はいますわね。
 
 
 3月27日の記事。更新せずに寝るところでした。それにつけても説教する人は、自分が
「すごいですね」
と言われる方向に誘導するのがうざい、ではなくうまいです。
 履歴書大作戦 という記事のコメント欄で、おそらくご本人がコメントを削除して、私の返信だけが残っている状態になっています。別に削除するほどのものではなかったのですが、私の返信が感じ悪かったからですね。
 その前についた他のコメントも履歴書は手書きという話に触れる内容ですし、お仕事探し中 という記事でもそれ関連のコメントが続きました。
 
 よく言えば盛り上がりやすいネタで、いつものメンバーとの雑談レベルならまだしも議論には相応しくありません。なぜなら
「履歴書は手書きとパソコンどちらがよいか」
という問に対する答は、
「手書きがよい」
に決まっているからです。
 こう書くと、いやいやパソコンにはこんなメリットが、という人が現れそうですが、パソコン履歴書は駄目という会社はあっても手書きの履歴書は駄目という会社はなさそうですし、そういう会社なら募集要項に記すでしょう。
 
 パソコンのメリットはいろいろありますが、最大のメリットは
「手書きより労力負担が軽い」
に落ち着きます。そんなことは一生懸命言われなくてもこっちだってわかっていることで、わかっていてあえて他のメリットを優先しているのに、ひたすら正論で押し切ろうとする言葉は
「努力しないと始まらないのです」
と一緒です。
 
 ネット上で荒れるネタというのは、答が出せないことではなく、意外とこういう
「答が明らかなこと」
についてなのかなと思いました。振りかざす正論にあくまで正論で対抗する論客たちの言葉にはわくわくします。私は無理ですが。
 
 説教族の善意攻撃や努力攻撃の例を出すまでもなく、相手が何を言おうとも繰り返し正論をぶつけていけばいくらでも攻撃できます。失敗談でも書いた日には人格までズタズタにされ、生きる価値もないと断罪されます。反論は全て「言い訳」です。
「それは手書きで書かなかったあなたが悪いのではないでしょうか」
「言われるのが嫌なら書かなければいいのです」
黙れ、おまいらが地雷だ。自分がいかに立派な人間かだけを書き綴ったブログはつまらなそうです。失敗談の方が余程役立ちます。
 
 
 3月25日の記事。こう書くと今度は
「外資系企業はタイプ打ちが主流で手書きは印象悪いです」
と書かれそうだし、そんな何もかも書かないと知らないと思われるのがうざいです。
 こういう主張を「正論」と呼ぶのも少し違う気はしますがいい言葉がありません。前に、「知のファシズム」と名づけようとしたことがありますが、やっぱりイマイチでした。
 人様同士の議論に首突っこむつもりはないのですが、当方の常連様(特に私と対話できる方)にもご覧いただきたいので紹介します。
 
BUNTENのヘタレ日記様より 「アスペルガーの主張(1)
 
 簡単に経緯を述べますと、
AS当事者のブログ記事をBUNTEN氏がブクマ
→先方が記事にて反応
→それに対しての返信が上記
という流れです。リンクしたのはそれに興味持ったからではなく、純粋に記事の、特に後半部分に思うところあったからです。私と対話可能な方は、どれほどのコストを負担していらっしゃるのだろうということです。
 
 BUNTEN氏の立ち位置は、私の認識する限り
「当事者でも自称でも関係者でもない、発達障害に関心の深い人」
なのですが、上の記事の後半部分はそういう人でないと書けない内容です。当事者が自分で書くと反発食らいます。
 
 自分のブログのコメント欄での対話、傍から見ていると簡単そうに見えるのだろうけど、コメントする人はすごく気を使って下さっています。そこに
「こういう障害があるとみんな知らないからびっくりして怒り出すので、知っていればノー問題」
の可能性を見出してもいました。
 それはあくまでブログのコメント欄だからで、これを現実世界で応用できるのか、まだわかりません。アメブロ版の議論 の時にもそんなやり取りがありました。
 
わたりとり氏のコメントより
現実の壁は、心の壁と違い、そう簡単には撤去できない。現実の社会を動かしているのは「人」と「システム」だからです。(システムを作るのは人だが、個人ではない)
 
ちょっちぷん氏のコメントより
(AS的な性質、個人の性格的なもの)を推測し、一般社会で受け入れられる可能性があるかないかは全くの未知数です。現実世界のシステムで受容出来るか出 来ないか、出来ないのは何故でしょうか。何かシステム上大きなロスがあることなのでしょうか。それともそのシステム構築の際に暗黙の定型発達者のみに都合 の良い何かが組み込まれているのでしょうか。
 
 できるかも知れないけれど、それは自分のコストを「理解者」に転嫁することです。そんなことを当事者が口にしたらまた怒り狂われてしまいます。
 知能が高い方が適応の度合いが悪いとも聞きますが、努力して適応するほど努力が足りないと追いつめられる図式は、発達障害が世間に知られていってなお残る問題です。
 
 
 3月24日の記事。BUNTENさんの次の記事待ち。コストという言葉は好きです。「障害」より印象がよさそう。
「何がよくて何が悪いのかはっきりして示してくれているからコストには感じない」
とコメンテーターの皆様はおっしゃって下さいましたが、同じ注意書きを読んでくれてもうまくやり取りできない人もいるということは、向き不向きはあるのでしょう。