履歴書大作戦
という記事のコメント欄で、おそらくご本人がコメントを削除して、私の返信だけが残っている状態になっています。別に削除するほどのものではなかったのですが、私の返信が感じ悪かったからですね。
その前についた他のコメントも履歴書は手書きという話に触れる内容ですし、お仕事探し中 という記事でもそれ関連のコメントが続きました。
よく言えば盛り上がりやすいネタで、いつものメンバーとの雑談レベルならまだしも議論には相応しくありません。なぜなら
「履歴書は手書きとパソコンどちらがよいか」
という問に対する答は、
「手書きがよい」
に決まっているからです。
こう書くと、いやいやパソコンにはこんなメリットが、という人が現れそうですが、パソコン履歴書は駄目という会社はあっても手書きの履歴書は駄目という会社はなさそうですし、そういう会社なら募集要項に記すでしょう。
パソコンのメリットはいろいろありますが、最大のメリットは
「手書きより労力負担が軽い」
に落ち着きます。そんなことは一生懸命言われなくてもこっちだってわかっていることで、わかっていてあえて他のメリットを優先しているのに、ひたすら正論で押し切ろうとする言葉は
「努力しないと始まらないのです」
と一緒です。
ネット上で荒れるネタというのは、答が出せないことではなく、意外とこういう
「答が明らかなこと」
についてなのかなと思いました。振りかざす正論にあくまで正論で対抗する論客たちの言葉にはわくわくします。私は無理ですが。
説教族の善意攻撃や努力攻撃の例を出すまでもなく、相手が何を言おうとも繰り返し正論をぶつけていけばいくらでも攻撃できます。失敗談でも書いた日には人格までズタズタにされ、生きる価値もないと断罪されます。反論は全て「言い訳」です。
「それは手書きで書かなかったあなたが悪いのではないでしょうか」
「言われるのが嫌なら書かなければいいのです」
黙れ、おまいらが地雷だ。自分がいかに立派な人間かだけを書き綴ったブログはつまらなそうです。失敗談の方が余程役立ちます。
3月25日の記事。こう書くと今度は
「外資系企業はタイプ打ちが主流で手書きは印象悪いです」
と書かれそうだし、そんな何もかも書かないと知らないと思われるのがうざいです。
こういう主張を「正論」と呼ぶのも少し違う気はしますがいい言葉がありません。前に、「知のファシズム」と名づけようとしたことがありますが、やっぱりイマイチでした。
その前についた他のコメントも履歴書は手書きという話に触れる内容ですし、お仕事探し中 という記事でもそれ関連のコメントが続きました。
よく言えば盛り上がりやすいネタで、いつものメンバーとの雑談レベルならまだしも議論には相応しくありません。なぜなら
「履歴書は手書きとパソコンどちらがよいか」
という問に対する答は、
「手書きがよい」
に決まっているからです。
こう書くと、いやいやパソコンにはこんなメリットが、という人が現れそうですが、パソコン履歴書は駄目という会社はあっても手書きの履歴書は駄目という会社はなさそうですし、そういう会社なら募集要項に記すでしょう。
パソコンのメリットはいろいろありますが、最大のメリットは
「手書きより労力負担が軽い」
に落ち着きます。そんなことは一生懸命言われなくてもこっちだってわかっていることで、わかっていてあえて他のメリットを優先しているのに、ひたすら正論で押し切ろうとする言葉は
「努力しないと始まらないのです」
と一緒です。
ネット上で荒れるネタというのは、答が出せないことではなく、意外とこういう
「答が明らかなこと」
についてなのかなと思いました。振りかざす正論にあくまで正論で対抗する論客たちの言葉にはわくわくします。私は無理ですが。
説教族の善意攻撃や努力攻撃の例を出すまでもなく、相手が何を言おうとも繰り返し正論をぶつけていけばいくらでも攻撃できます。失敗談でも書いた日には人格までズタズタにされ、生きる価値もないと断罪されます。反論は全て「言い訳」です。
「それは手書きで書かなかったあなたが悪いのではないでしょうか」
「言われるのが嫌なら書かなければいいのです」
黙れ、おまいらが地雷だ。自分がいかに立派な人間かだけを書き綴ったブログはつまらなそうです。失敗談の方が余程役立ちます。
3月25日の記事。こう書くと今度は
「外資系企業はタイプ打ちが主流で手書きは印象悪いです」
と書かれそうだし、そんな何もかも書かないと知らないと思われるのがうざいです。
こういう主張を「正論」と呼ぶのも少し違う気はしますがいい言葉がありません。前に、「知のファシズム」と名づけようとしたことがありますが、やっぱりイマイチでした。