自閉症(じへいしょう)【広辞苑第四版より】 
 (1)自分だけの世界に閉じこもる内面優位の現実離脱を呈する病的精神状態。現実との生きた接触を失うもので精神分裂病の重要な症状の一。 (2)早期幼 児期に発生する精神発達障害。対人関係における孤立、言語発達の異常、特定の状態やものへの固着などを示す。早期幼児自閉症。 
 
 広辞苑から面白い言葉を選んで五十音順にタイトルにするシリーズ第12弾。
 「し」は、当ブログ的にはこれだろうなと思いつつ、説明文がやばすぎます。引用元の広辞苑第四版は1991年発行です。私が買い換えていないのがいけないのですが、引用文に手直しを加えるのも変なので、そのままにします。(ドキドキ)
 
 1992年に、ASでなかったかとネット上で言われている漫画家さん が自殺していますが、この時代にはまだ、
「知的障害を伴わない発達障害」
の概念は日本にありません。この版の広辞苑には、発達障害も学習障害もアスペルガー症候群も注意欠陥・多動性障害(ADHD)も載っていません。新しい版は確認していないのでわかりません。
 
 自閉症という名称が何とかならないかと言われるのは、上の(1)の意味合いと混同されるからでしょう。そういう知識がなかった3年半前の私は
「自閉症という名称は嫌ではありませんか」
と聞かれて、
「自分を世界とつなげてくれた言葉だから嫌ではない」
とアホな回答をしていました。
 
 ただ、外から見ると違う風に見えるのだろうなとか、自分も外の世界を違うものとして認知しているのだろうなと想像する時、
「閉じている」
という表現はイメージしやすいものがありました。そこに透明な壁のようなものがあって、それを通して情報を授受する際に、加工されてしまうのだろうな、と。今も、
「これがあちら側では球体なの?」
といぶかしく思いながら四角いボールを投げるのは不安だったりします。これ四角ですよ、と言われたら怖いではありませんか。
 
 
 8月27日の記事。アスペルガーの漫画連載中のBE-LOVEの最新号を見ました。ヒロインの夫と長男がおかしい、という描写が続き、本編中に診断名が出てこないため、まだ佳境ではありません。
分裂勘違い君劇場様
不運と理不尽に襲われたとき、うまく切り抜ける人と、逃げ切れずに酷い目に会う人の違い
 
 以前はてブで見つけたこの記事に、Yahoo!ブックマークの公開コメント で、
「不運と理不尽を人のせいにすることと、対策を考えないことは関係ないのでは。人のせいにして対策を考えるとよい」
と書きました。
 その後、意識して他のブログ記事を見ていると、人のせいにすることと対策を考えないことを、何の説明もなく当然のように結びつける意見は多くあることに気づきました。もしやそれが普通だったのですか。
 そういえば、前に説教していた人も、
「それはお前のせいだ、全部お前が悪い」 → 「言ってくれないとわからない」(対策を考えていたことか?)
という流れでした。いつものように、私が何かを間違えていると見るべきでしょう。多分間違っていますが(自己防衛表現)、私の考えはこんな感じです。
 
1 何もかも自分のせいだ、と自分を責めまくるのは精神衛生上よくない
2 自分を責めてばかりいても客観的に状況を把握することができず、対策が立てられない
例:○世の中には人の家のものを盗む悪い人間がいるから戸締りを厳重にしよう
  ×何か盗まれたとしたら私が悪いからに違いない、私が駄目人間なんだ、バカバカ
 
 全部自分のせいだと思いながら生きていける強い人、自分を責め続けて心身を病む人もいますが、たいていの人は、内心では自己防衛本能により自分以外の何 かのせいにしているんだけど、人に言う時はそう言うと性格が悪いと思われたり人間関係に支障をきたしたりするので、自分のせいのように言っている、という のが真相だと思っていました。
 それともそんないけないことを考えているのは私だけでしたか。
 
 思考の過程としては有りでも、表現としては問題あるでしょう。対策を考えるかどうかとは関係なく。公開のブログに書くなら一定の配慮が必要です。私が過去出会った人など、特定できなければ問題ないと思ったら、むしろそちらの方が怒られるようです。人のせいにするなとか。
 すると思考の過程を公開すること自体に問題があるのでしょう。一切書かないか、どこかに嘘を書くか、どちらかで済ませるのが大人の対応というものです。よし、私も大人の対応をするぞ、と思っても、数ヶ月したらまた面白いことを思いついて書くかも知れません。
 それは私のせいです。全て私が悪いのです。
 
 
 8月25日の記事。心の中で思うならよいが人に言うのは駄目、とすると、ブログに書くのはどうなんでしょうね。私のせいだ、私が悪い、自分が駄目なんだ、バカバカ、とばかり書いていたらそれはそれで怒られそうです。
 47都道府県女ひとりで行ってみよう  益田ミリ著 幻冬舎 ¥1,365

 益田ミリといえば「すーちゃん 」を描いた漫画家さんでありますが、このエッセイ集も面白いです。サイトでの連載が元になっているだけあって、文章はブログ風です。旅の様子を淡々とリアルに綴っていて、自分でも小旅行気分になれます。
 1ページ目から読むのもいいですが、出身地や行ったことのある県をピックアップして見ていくのも楽しいです。県によって盛り上がりに欠けたり、目当てのものが行ってみたらなかったなどのアクシデントが発生しますが、それもリアルです。私もやりそうで。
  
 47都道府県に月に1都道府県ずつ(という数え方なんだろうか)行ってくるという企画は、32歳から37歳までかかったそうですが、32歳といえば
「まだ結婚できる」「まだブラックでない企業に正社員で就職できる」「自分を試すチャンス」
と悪あがく年齢です。ここが正念場だ、とじたばたしたのも思い出です。
 日経ウー○ンには、32歳でもう結婚はないと思ってマンションを買ったら間もなく結婚が決まり、子供も生まれて手狭になり、売却して損をしたというエピソードが紹介されていました。(私は無駄な妄想をさせられただけで終わりました)
 
 著者も後書きでこの年代を
「若者でもなく中年でもない」
と記していますが、何かが大きく変化し、その変化の方向性が想像つかない5年です。
 32歳という年齢からこういう息の長い趣味系の企画に挑むということは、私のように器の小さい者には考えられなかったでしょう。すぐにでも大きな変化があるかも、と想像してしまうからです。帯にも「32歳から37歳」という文字が目立っていて、それを強く意識しながら読むと別な趣があります。
 
 ひたすらこの企画よく続いたなと感心します。ご本人もすぐ飽きたりしている記述もあるのですが、
「楽しみにしています」
というファンレターに励まされて復活します。私がブログで嫌なことがあっても励ましのコメントで復活するのと似ています。失礼ながら。人は100%自分だけのためには生きられないのです。楽しみにしている人がいるから来月も行くぞ、というのが自分の楽しみにもなっていきます。
 
 最後の1都道府県まで文章は淡々としているけれど、達成感はあった、と信じたいです。つまらなくない自分 にはなれなかったけど、結構やるな自分、みたいに。著者は何冊も本出していて、つまらなくない自分になれた人ではありますが。
 
 
 8月22日の記事。この日Yahooで10000コメントを達成したので、おめでとう記事のようになってしまいました。まだ1000記事行っていないので、1記事平均10以上コメントがついていることになります。さすがYahoo様です。半分は私の返信なのですが。
 占いや古い漫画レビューを書いていれば危険な目に合わないのに、時々危険な記事を書いてしまい、変なコメントもらって暴れるのは私が悪いのですが、時々危険な記事を書くためにブログをやっているのです。
 
 わたりとりさんの「芋掘り遠足ノ壱 」を読んで、はてな界隈でのトリアージ議論の大元となった、「ケーキ 」という記事を読み直してみました。これはよく読むと
 
「経営」学の講義を、「災害」時という特殊状況下で生じるトリアージという概念を用いて、「福祉」を学ぶ学生に対しておこなった
 
ということなんですね。
 この記事、前にも読んだのですが、他のトリアージ論考のリンクから行ったので、リンク元の意見というフィルターを通して読んでおり、そこまで突っこんで考えませんでした。
 
 改めて読んでみて、経営資源の分配をトリアージで説明しようとするのも無理はありますが、それを福祉を学ぶ学生に教えるなら、教える方も工夫しないといかんのかなと思いました。
 福祉という概念は、より重篤な対象者に対して、より手厚い支援がされることを理想としたものです。
 
 トリアージは、説明を1回聞いただけだと、軽傷者を重傷者より優先して治療することのように受け取れます。福祉とは方向性が正反対です。それで、福祉の学生は違和感を受けたのかと推測しました。
 全ての学生がそうだということではなくて、容易に頭を切り替えられる学生も少なくはないでしょう。子供じゃないんだから、それが社会というものなんだから、自力で納得しろよというのも妥当な線です。
 
 トリアージが悪いということでも福祉が悪いということでもありませんが、それで荒れたのですね、この話題。医療と福祉はひとまとめに語られることも多いですが、一緒にしたらまずいこともありますね、はい。
 直接関係ありませんが、今日担当医の無罪判決の出た「大野病院産科帝王切開死亡事故 」なども、どちらも間違いではない複数の概念のぶつかり合いという点で、なかなか考えさせられるものがあります。ホットな話題過ぎて書けませんが。
 
追記:投稿後のお勧め記事で、看護学生さんの書いたトリアージ という記事が出てきたので、リンクします。ここのチャートを見ると、トリアージは重傷者を見捨てることではない、とわかります。
 
 
 8月20日の記事。トリアージする側、される側、傍観者のうちどこに自分を置くかで、当然意見は分かれると思います。ところで、阪神-ヤクルトはまだやっていて、9回裏ツーアウト満塁3対3です。毎日接戦です。
 マイコは内線電話の受話器を取り、4桁の番号を押した。
「チキンカレー持ってきて」
10分ほどして、個室のドアをノックする音がした。マイコは立ち上がってドアに近づき、合言葉を言った。
「月」「さらしな」
ドアを開けた。ワゴンの上に鍋と皿、スプーン、水差し、グラス、そして福神漬けを入れたタッパを乗せて運んできたのは、似合わないピンクのエプロンをつけたハヤミだった。
「ナンもライスもないのね」
「太るよ」
「もういいわよ、太っても」
マイコはワゴンの側にキャスターつきの椅子を移動させ、紙ナプキンを広げた。
「できそうなの」
ハヤミはワゴンの上で、皿にカレーをよそった。
「朝までにはね」
マイコはスプーンを手に取った。
 
 キングオズに会いに来たトルネードブルーが、受付の紺ブレに案内されたのは、殺風景な事務所だった。ソファに座って待っていると向かい側の壁にパッと映像が映った。
「ようこそトルネードブルー、私がキングオズだ」
Yahoo村の住人そっくりの被り物を被った人物が映像に登場した。
「もしかしてYahoo村の人ですか」
「失敬な、私ははてなアイドルであるぞ。FC2では顔出ししていないだけだ。スーパースターに何の用かな」
会話が成立するということは、生中継のようだ。
「えーと、日本に帰りたいのですが」
「日本ならどこでもよいのだな」
「できれば長崎。東京でもいいです」
「このキングオズの力をもってすれば簡単なこと、しかしそのためには、FC2のスパマー、AYAKAを倒さなければならない」
「倒すというのは殺人ですか。殺人はいけないのでは」
「AYAKAはホストコンピュータなので人ではない」
「それにしても器物破損か何かで捕まりませんか」
童話の世界というのはファンタジーに見えて、殺人あり誘拐あり窃盗ありと、現代社会においては教育上よくないことばかりだ。
「正義の味方が何言っておる。毎週見ておるぞ。東京タワーを33回も壊したではないか。訴えられたことがあるのか」
あれ、トルネード戦隊ってそんな話だったのか。自分も出演しているのだろうか。
「では頼んだぞ」
プツンと映像は切れてしまった。これではどこでどうすればいいかわからないではないか。
 
 ブルーが部屋を出ると、イエロー、ブラックもほぼ同時に、同じ並びのマンションの1室から出てきた。
黄「どうだった」
青「AYAKAというホストコンピュータを倒せって」
黒「同じ同じ」
青「でもコンピュータを倒すってどうすることだろう。それにAYAKAはどこにいるの。あるの、というべきか」
黄「レッドはまだなのかな」
受付の紺ブレが、1枚の紙を乗せたトレーを持ってきた。
紺「お連れ様からです」
ブラックが紙を受け取った。AYAKAの居場所を示しているらしい地図だった。その下に
「壊せばいい。文字通りの意味で」
と走り書きがしてあった。
 
 
 次回で終わらせようと毎回思っているのですが、終わりそうにありません。そして、意味ありげな展開に見えますが、全く先を考えていません。フニャコフニャオ並です。あちらはプロの漫画家なので失礼ですが。ところであやかさん消えましたね。
 
 
 8月18日の記事。フニャコフニャオは、ドラえもんに登場する、連載の締め切りに追われてやっつけ仕事をしたばかりにその続きが思いつかずに困る漫画家です。私は今もあの漫画「ライオン仮面」の続きが気になります。