Yahoo!ニュース Blog 記事の編集を読者に任せることができる「gooseGrade」
 
 まだ日本語バージョンはないようですが、ブログ記事に貼りつけて、読者に間違いを指摘してもらうウィジェットだそうです。(ウィジェットって何ですかと私に聞かないで下さい)
 最初このニュースを見た時、何とつまらないものを、と思いましたが、誤字を指摘したい人されたい人双方にとって有用なツールです。
「自分の記事に間違いがあったら自分でも嫌なので指摘して欲しい」
というニーズもあると聞きます。
 
 誤字を指摘したい人は、このウィジェットを設置しているブログを探して思う存分指摘すればよいのです。ニュースのコメントにあるように、揚げ足取り合戦にはなりそうですが、棲み分けという点で重要です。誤字指摘うぜーと考える私のような者にとっては。
 
 すべからく を書いて以来、表現の稚拙さと正しい表現を使う責任について、考えています。なぜ、正しい日本語で書かないといけないのでしょう。
 
1 伝えたいことを正しく伝えるため
2 読んだ人がそれを正しい文字、言い回しだと勘違いして使うといけないから
 
 1は、誤字だと気づくということは、誤った意味で伝わっているのではなさそうです。文法的には正しいのかも知れないけど、何が言いたいのかすごいわかりにくい文章というのもあります。そっちを何とかして欲しいものです。
 2は、文章を書く人全てが国語教育に責任を負うこともない、というのは言いすぎですか。学校の国語教育は読解中心で、
「正しい日本語で表現する」
ことに重点を置いていません。「リアル鬼ごっこ」や「あたし彼女」が文学として認められつつある現状を考えると、個人のブログに国語の教科書並の正しさを求めることもないでしょう。
 私が、誤字もまた表現の自由である推進委員であるため、ひいきの引き倒しではあります。次代を担う小中学生のよい子に間違った日本語を見せてはならないという考えの方が、きっと理にかなっています。
 
 それでも、生意気ながら、どうしてもこの表現を使いたい、文法的なつながりはおかしくても句点を用いず一気に一文でつなげたい、ということはあります。それを間違いですよの一言でつぶされたくありません。
 
 
 10月12日の記事。こういうことを書くと
「誤字を放っておけと言うのか、直さないといけないのではないか」
と言う人が必ず出て来るんですが、思いつきで誤字だと決めつけるのは失礼だということです。
 誤字指摘する時は最低2種類(できれば3種類)の辞書を引いた上、ググってみるくらいの準備が必要です。辞書によって漢字が違うケースはあるし、気性の意味の気象も、老舗をろうほ、滑らかをすべらかと読むのも辞書的には正しいのです。2ちゃんねる語やはてな語などのような、いわゆる流行語もあります。
 すると今度は辞書に書いてあることが正しいとは限らないみたいなのが出て来るのですが、辞書まで間違いと言われては、どこで正確な表現かそうでないかを判断するのでしょう。おまいの脳内かいな。誤字指摘したがる人は自分の脳内日本語が最も正確だと思っていそうですが。
 ブログ記事の主張と違う意見をコメント欄に書きこむ人は、ブログ主にどうレスして欲しいのでしょう。
 
1 あなたの考えは間違っています、私が正しいんです。
2 あなたの考えが正しいです、私が間違っていました。
 
 たった1つのコメントで考えがひっくり返ることはありません。いきなり2になったら変だろということで、記事内容に補足する形で自分の主張を繰り返すと
「人の意見を聞かない」
とえらいことになるのですが、人の意見を聞くって何なんだ。誰かに何か言われる度に
「そうですね、あなたの言うとおりですね」
とコロコロ変えたらおかしくありませんか。うざいので反論禁止です。意見はご自分のブログに書いて下さい。
 
 他のブログで上手にレスしているのを見ますと、相手の意見も自分の主張も否定しないように、白黒つけないように、いわゆる
「相手の意見を尊重しつつ、自分の意見ははっきりと」
を実践されているようです。難しいです。そういうやり取りは長文レスレスになりがちで、何が言いたいのかわかりづらいです。読んでわからないようなことを、果たして書けるでしょうか。
 
 記事同士ならお互い思い切り自分の主張を書けばよいのです。コメント欄だと、お互いひとり言を書き続ける訳にもいかず、直接対応するとどうしてもケンカ腰な感じになります。お前がケンカ腰なだけだよ、と言われるとそうなんですが。
 人のブログのコメント欄に反対意見をわざわざ書く人は、何が言いたいのかわからないやり取りを望んでいるのでしょうか。これは結構技術が要ります。
「ホニャララであることも時と場合によってはあり得るかも知れない響きのある秋の日です」
なんて訳にもいきません。これでも初期よりは断定表現を避けているのですが。
 
 ブログでは、もう面倒くさいから反論禁止を続けますが、中庸的な返し方というのはコミュニケーションテクニックとして研究する余地はあるでしょう。実践するかどうかは不明です。
 
 
 10月11日の記事。妊婦受け入れ拒否事件のテレビニュースはネットの反応とは反対で、大病院を責める傾向。
私「ブログをやっていると大変なんだぞ。私はこんなにひどくてもう駄目だ、と書くと怒られるし、こんなにがんばっている私ってすごい、と書いても怒られるんだぞ」
 
弟「お前は正気で言っているのか」
 
私「うん」(あれ、まずい?)
 
弟「お前が言っているのは、右翼の人が右翼だと怒られるから左翼になったらやっぱり怒られた、と言っているようなものだぞ」
 
私「そおなの」
 
弟「右から左へ発想が極端過ぎるんだよ。真ん中の発想はないのか」
 
私「なかった。というか真ん中なんてどうやって取ればいいんだ。職場でもこうすると怒られたからと逆のことをしたらやっぱり怒られて、どうしろちゅうねんということが」
 
弟「そういうこと人前で言わない方がいいぞ」
 
私「はい」(書いちゃったけど)
 
 
 真ん中ったって、たくさんあるので難しいです。男と女の真ん中も、オカマだったりオナベだったり川だったり、いろいろではありませんか。ブログは書かなければいいということなんだろうけど、仕事はしなければいいという訳にはいきません。
 下手な取り方すると両方の陣営に怒られそうだし、その場にいない人にこういうことがあったけどそういう時はどうしたらいいんでしょうと聞いても、私が知 覚していない重要情報がその場面に関わっていて、それがないと判断つかないことかも知れないので、難しいです。このブログに書いていることも、私から見た 世界なので、きっと肝心なことは私の見えていないところにあります。
 
 
 10月9日の記事。劇団ひとりのキャスターは割とよかった。
 ドラマ「僕の歩く道 」をやっていた頃、他のブログで、主人公のような人が入社してきたらどうするかという話を職場で振ったら
「障害だと知らなければ受け入れがたいけど、言ってくれれば配慮できる」
と言われたという話を読みました。その職場の人は嘘をついてはいないと思いますが、そういう障害の存在を知った上で、同じ人を前にして名称の有無で態度を変えられるというのは信じられません。
「発達障害があるのでこれこれができません」
という説明では、発達障害とこれこれの間のつながりが見えにくく、
「障害のせいにして、やろうとしていないだけではないか」
と思われそうです。アスペルガー症候群という名称も、何がどう不自由なのか伝わりにくいし、実際人によって千差万別です。
 
 私が職場でカムアウトするとしたら、
「学習障害と軽度の難聴がある」
と表現した方が、相手もイメージしやすいしこちらも説明しやすいでしょう。
「学習障害があるので、他の人と同じ方法で仕事が覚えられないことがあります。方法を合わせてもらえれば覚えられます」
「軽度の難聴がありますが、電話応対や来客応対は可能です。複雑な話はなるべくメールでいただくか、筆談を併用していただくと助かります」
おお、何か
「発達障害があるので・・・」
よりはよさげではありませんか。これ以外にも難点は多々ありますが、極端に非常識なことはもうしないし(そうか?)、失業の直接の原因になりやすいのは上の2点です。
 
 しかし現実には使えないことでしょう。学習障害は許容範囲かも知れませんが、難聴は明らかに嘘です。無理やり言い換えれば
「聴覚認知能力に難あり」
ですが、これもこういう分野の知識がないとイメージしにくいでしょう。
 
 発達障害は、名称から症状がイメージしにくく、人によっても異なるため、個々の困難を説明しないといけないのですが、その説明が
「言い訳」「できないと思いこんでいるだけなんでは」「そういうことは誰にでもある」
と受け取られがちなところが、理解を得た上で社会に出ようとする時、難しいところです。
 
 
 10月7日の記事。悪気はないんだろうけれど、こういうものだと理屈抜きで納得してもらわないといつまで経っても話が通じない。「こうすればいいんじゃないの」→「こうしたら」→「言ってくれないとわからない」みたいに、疑問に対して丁寧に説明しようとすればするほど否定の応酬みたいになって、最終的には相手の怒りを増幅させる。
 最初に断っておきますが、レスレス(コメントのレスに対するレス)が全部困るということではありません。カレーライスから共同体感覚まで、混成チャットのように盛り上がったのは楽しい思い出です。
 現実世界の会話は一往復で終わることはなくて、何度も往復するのが普通ですが、ブログでやると荒れているようにも見えます。「荒れている」と「盛り上がっている」は見た目が似ています。
 これまで経験した、「荒れている」に向かう方向性を持ったレスレスを分類してみました。傾向と対策です。
 
1 説教型
 「こうするとできますよ」 → 「それはやったけどできませんでした」
→「ではこうしてみたら」 → 「それもできません」
→「できないできないばっかりで、努力しようという気が感じられない」
→「努力は十分しました。普通はこれくらいできるだろう、のラインには人によって違います。あなたは今すぐ月へ行けと言われたら行けますか。普通行けるだろう、努力が足りないと言われたら困りませんか」
→怒り爆発
 
 今は、「こうするとできますよ」の段階で削除しているので絶滅。削除型に移行。現実であれば嘘でも
「参考になりました」
と返すのが礼儀なのですが、自分のブログ内に心にもないデタラメを自分で書いておきたくありません。
 
2 削除型
 「こうするとできますよ」 → 削除
→「あなたの勘違いだ、そういう意味ではない」 → 削除 or 「それでもそういうコメントはしないで下さい」
→怒り爆発
 
 内緒コメントが使われやすいパターンで、周囲の助力が得られず、レスにも(怒りを爆発させないよう)神経を使うため疲労します。これで内緒が怖くなりました。削除しても削除してもコメントされるパターンもこちらで。
 
3 ループ型
 「ごめんなさい」 → 「そんなことはありません、こちらこそごめんなさい」
→「いいえ、こちらこそ」 → ループ
 
 謝罪したら通常否定されるし、謝罪されたら放っておく訳にいかないので、レスレスにつながりやすく、意外と厄介です。やたら謝罪する人には(自分なりに)言葉に気を使うのに、細心の注意をこめたレスにも謝罪されると私の怒りが爆発。
 
 1、2は削除しかないとして、3は、相手の性格による場合もありますが、こちらがレスレスにならないようなレスを心がけることも必要です。
 ループ型レスレスが発生するのは私の最初のレスに問題があるからですが、よく知らない人だと予測がつかないので、最初のレスレスにどういうレスをつけるかがループさせないために大事なことです。
 
「レスレスはやめて下さい」 → 謝罪される(または怒り爆発)
とにかく無難に → 不機嫌だと思われて謝罪される
違う話題を振る → その話題に反応されてさらにレスレス
 
 うーん、うーん、もう少し考えます。
 
 
 10月4日の記事。なぜかコメント欄でレスレスが続くのでした。しかも私がノリノリで。ところで、阪神の新監督は真弓氏という報道が出ていますが、明日からCSだというのに気分はシーズンオフです。盛り上がらないな。