メモっ。
 
【わたりとりさんの記事「異文化交流考察>穴・断層・スタート地点・破壊 」より】
 
【穴】なら、つまり取るに足らない「こだわり」といった程度のものなら、お互いに回避しつつ交流を続けてゆけばいいけれど、グラフ空間を大きく横切ってい る【断層】つまり避けて通れないモノであったとき、二者(あるいは二つの集団)はどうやっても一定以上の友好関係にはなれない、と感じます。
 
【自分の経験より、対話が訳わからなくなる時】
 
1 行動に対して心情で返す、またはその逆
「職場は禁煙と聞いたのですが、社員の方は皆さん席で喫煙していらっしゃいます」
「ストレスのたまるお仕事なんで仕方ないんですよ」
「禁煙の職場という話は嘘だったんですか、それともご存じでなかったんですか」
「社員さんも大変なんで仕方ないんですよ」
 
2 言葉の定義合戦
「ものを教えないで下さい」
「これは教えているのではありません」
 
3 勘違い
(1)自分が勘違いしていることに気づかない
(2)相手が勘違いしていることを見抜けない
 
(1)×(2)泥沼
(1)×(1)平行線
(2)×(2)のれんに腕押し
 
 勘違いというキーワードをもっと重大に考えないといけません。勘違い自体は誰にでもよくあることです。コミュニケーション能力の高い人たちは、勘違いが発生していることに「直感的に」気づき「すり合わせ」をおこない、「認識を共有」するのです。
 勘違いしているのが100%相手である、あるいは自分であると思っていると「すり合わせ」がうまくいかないものであります。
 
 
 3月13日の記事。面接で泥沼化することは多々あります。危なそうな時は相手の切り返しに引きずられず、よく言えば自分のペースを守り、悪く言えば聞かれたことに直接答えず用意してきたシナリオに戻すのです。
 今月で今の仕事は終了します。あまりそのことを書いていなかったのは、昨年早い段階でぶちあげて 、結局継続が決まった のが恥ずかしかったからです。
 何もしていなかった訳ではありませんが、派遣の仕事は即日開始が基本なので、2月くらいでは全然案件が出ません。できれば今の会社の他部署で働きたかったのです。
 
 しかし、みぞゆうの危機で雲行きが怪しくなってきました。4月には内定切り世代の新卒が入社してくるし、派遣を減らす理由はあっても増やす理由はなさそうです。
 派遣という雇用形態で働いている以上、3年おきくらいに就職活動をする宿命があり、さらに年齢を重ねるほど決まらなくなってきます。いつかは野たれ死にすることでしょう。
 
 今後の活動予定メモ。
 
1 履歴書用写真撮影(昨年撮った のは不細工なので撮り直したい、元々不細工とか言っちゃ駄目)
2 派遣サイト、転職サイト等に登録しているweb上のレジュメを修正
3 自分のPC内に保管している履歴書を修正
4 昨年からプリンタが壊れている ので代替手段を考える
5 派遣サイト、転職サイトのマイページや新着求人情報を毎日チェック
6 過去に登録した派遣会社から登録時にもらった書類を探す
7 マイページのない派遣会社で、作ることができるようなら作る
8 それぞれの派遣会社に電話を入れ、あいさつがてら求人状況を聞く
9 面接対策として発声練習
10 決まらないまま最終日を迎えた時に備え、保険の切り替え手続きについて考えておく
11 失業保険の申請書類や方法について調べておく
 
 いやはや、これをこなすだけでもかなり大変です。3月中に全部できるんでしょうか。どうなることか、次回にご期待しないで下さい。
 
 
 3月12日の記事。やっと転職ブログらしくなりました。これを書いた時は在職中だからまだ余裕あります。
『トラブル白書ブログ』(不動産・その他・・・)様 "常識って?”
 
 常識、は私にも困る言葉なんですが、上のリンク先にある
「危篤の人に棺をプレゼントする」
ようなことを好意のつもりでしてしまい、相手やその家族が怒りだしたら
「理由がわからなくても引っ込めないといけない」
「そういう時は棺をプレゼントしてはいけないと学ばなくてはならない」
「なぜ怒られたかわからなければ信頼できる人に聞いて理解しなければならない」
「それができないならプレゼントする時の商品を自分で選んではいけない」
「それも駄目なら人にプレゼントなんかしてはいけない」
ということなんだろう、と思います。
 
 私どものような者にとって最悪なのが
「発達障害者だから常識がないんです、人の気持ちがわからないんです」
と言ってしまうこと。棺をプレゼントされた人や家族が相手を発達障害者と知っていて理解があったとしても、そう行動されるのが嫌なのは変わりはありません。心情までは理解できたとしても。(参考:行動と心情
 
 似た話題ですが、前にはてなで、知的障害者に突然殴られた問題が盛り上がったことがありました。確かにその母親が発言したという
「知的障害者だからわからないんです」
は理解できるけど殴られるのはやだなあ。自衛策としては殴る人には近寄らない、以外にないのですが、それだと差別しているみたいです。(参考:差別してはいけない
 
 自分より重篤な人を追いつめる側にはなるまい、という思いがあって、発達障害者側の落ち度には触れないようにしてきました。そのために、私自身に反省がない、人のせいにしていると非難されてもきましたがそれは仕方ありません。しかし私が書いたことを、
「他の人が嫌がることを繰り返しやっても構わない」
と解釈する発達障害者(未診断者含む)がいたら、それはお断りします。
 
 私はその場所特有の不文律を理解する能力は低いけれど、本に書いてある程度の常識や知識はある、誰がどう見てもおかしいことであればわかる、皮膚感覚は劣ってもそれに変わる軸は育っている、それを信じます。
 
 
 3月8日の記事。ASの人は自分も空気読めない発言をして怒られた経験があるから、他の人が空気読めない発言をしても攻めないようにしようとする傾向があるが、やめろと言ってもやめない人というのは別な病気であると断言する。やめろと言われてもやってしまう、わざとではない、という人は、人のブログや掲示板に書き込みをするべきではない。
 異文化交流議論の頃 、今は無きみつくるさんのブログに「知りすぎ線」という言葉が登場しました。相手に対する理解度と「敬意あるいは軽蔑」度合は一定の線まで比例するけどその線を越えてしまうとしんどくなるみたいな話。
 
 相手を知りすぎるというだけでなく、近づきすぎとか、好意がマックスまでいくとそれ以上はないとか、いろんな意味での、人間関係の進行が止まってしまうライン、というのは存在するように思います。つき合いが長くなればそこに向き合うことを避けられません。
 
 愛情は4年で冷めるみたいな本がありましたっけ。愛情が冷めるといっても嫌いになる訳ではなくて、ほどほどのところで止まって静かなものになってしまうのでしょう。結婚した人は
「男女ではなくて家族になってしまう」
とよく言いますが、変化はするけど、それは後退ではなく進化で、でも喪失は確かにあります。
 
 知りすぎ線に当たった時、反動で興味を失うか、そこをマックスとして静かなものになってしまうか、こう書いてみるとあまり変わらないですね。
 このブログは4年以上やっているので、つき合いの長い人も4年くらいになります。大学に入学した人は卒業するのです。変わっていないつもりでも、内も外も否応なく変化していきます。
 コメント欄で盛り上がることも少なくなったし(私がレスレスにうるさくなったせいなんですが)遠慮したりされたり興味の方向性が離れたりして、うまく話し合えなくなったと感じることはあります。
 
 現実でも、卒業や結婚などの実生活の変化で友人との間柄は変わっていきます。ネット上の文章でしか知らない間柄で友情という表現がこれに当たるのかわか りませんが、それが薄くなったのではないけれど形は変わっていって、それに抵抗するのではなく受け入れていかないと、もっと大事なものを失ってしまいま す。
 静かな関係になるのかも知れないし疎遠になるかも知れない、また昔のようになれるかも知れないけれど、同じ形は同じ時間にしかありません。
 
 知りすぎ線と同時期に書かれた、海風さんの「異文化コミュニケーション論 -コミュニケーションの駆動力- 」の2つの図は何度見ても深いです。感情軸、理論軸のグラフ、そこに理解速度を加えた三次元グラフ。私たちは今どこにいるのかな。コメント欄での
「(二次元グラフで)時計まわりはあっても逆はない」
という言葉は、人間関係を考える度に思い出します。この先何が起こっても、道が分かれることがあっても、幸福なフォーラム を忘れはしないのです。
 
 
 3月7日の記事。4月1日開始のアメブロ新ジャンル、Yahooで投票までした割に、選択肢になかった「転職」「闘病」で出発してしまいました。投票して下さった皆様ごめんなさい。転職ブログになっているとは(すなわち4月に失業しているとは)思いませんでした。これから転職ブログとしてがんばります。
 そんなことでちょうど10まで来たので今回を最終回とします。途中から4年前の3~6月のような流れになってドキドキしましたが、あの時中断して以来、4年ぶりのリベンジもかないました。
 このシリーズでは的を絞るトレーニングに的を絞りましたが、成果があれば、コミュニケーションスキルなど他のトレーニングにも着手したいです。また変な人に邪魔されなければ。
 
 たまたま仕事覚えられないシリーズ復活まで行きましたが、当初の目標は分類まででした。禁断のカテゴリーと名づけたのは、アスペルガー症候群を
「非言語性学習障害型」「高機能自閉症型」「ADHD型」
に分けることが、新たな危機を招きかねなかったからです。
 
 私も考えたものです。この3つに分けることができ、対社会的スキルアップもその分野を参考にするのならアスペルガー症候群という診断名は不要ではないかと(危険危険危険)。
 診断名は、治療、訓練、支援のためにあると思いますが、診断名のために適切な手段を選べなかったら本末転倒です。
 
 2004年頃に比べるとASの範囲が広く取られ、特徴があいまいになってきました。断定的なことを書くと
「ASとは関係ないと思います」「それは違うんではないでしょうか」
というご意見が殺到して何もかも書きづらいです。
 だからできるだけ自分個人の特徴として書き、定型発達者は、発達障害者は、みたいな対比表現も避けてきました。このシリーズではそのタブーを破りました。対比させることで問題点が鮮明に浮かびました。
 
 私自身のソーシャルスキルを磨く上でもこうしたテーマは積極的に書いていきたいです。何事もなければ。あれ、風かな・・・
 
 業務連絡。コメント欄開けました。
 
禁断のカテゴリー1 トンデモ説
禁断のカテゴリー2 学習障害
禁断のカテゴリー3 言語型映像型
禁断のカテゴリー4 非言語性学習障害
禁断のカテゴリー5 情報処理障害
禁断のカテゴリー6 学習のメカニズム
禁断のカテゴリー7 中心の違い
禁断のカテゴリー8 現実の壁
禁断のカテゴリー9 トレーニングプラン
 
 
 3月5日の記事。私がピリピリしていたせいかこのシリーズにはほとんどコメントが入らなかったのですが、最終回は、検索トラバのために来てついでにコメントした人がいました。Yahooにはトラバの時はコメントをしろという人が多いのでそれに従ったものと思われますが、いきなり
「それは違うんではないでしょうか」
で、読んでからコメントしろよです。