言語シリーズ。努力という言葉には、とってもマイナスイメージ持っております。
「やってもできなかった」
的ニュアンス。説教の時に主に使われ、努力が実って達成した時にはあまり使われない気がします。達成した時に努力と言われるとけなされた感じです。

努力賞→成果は大したことないけどがんばったことは一応認めてあげる

ひがみ過ぎですか。

 要するにあまりに説教に使われるのでイメージ悪すぎるのです。元はそんな意味ではなかったのでしょうけど、
「努力しろ」→「挫折しろ」
に聞こえます。他人が一生懸命やってできないのを見るのはさぞ楽しいでしょう。楽々達成するのを見るよりも。

 結果の出ない努力はただの徒労です。先日昔の荷物を整理していたらこんな切抜きが出て来ました。雑誌の1ページを破って取っておいたもののようですが、出典不明ながら、紹介。
「苦労にはして良い苦労としてはならない苦労があります。
 してよい苦労は将来の実りに結びつくような苦労、
 してはならない苦労はやみくもに我慢するだけでどこにもたどりつかない不毛の苦労です。
 これはその人の性格を歪め、かえって不運を呼びます」
苦労と努力を入れ替えても通じそうです。確かに性格歪んだし。定型発達者よりも、そういう苦労を見分ける能力弱いです。

「結果は出なかったけどがんばってよかった」
というのは本人が自然に思うならいいけど強制されると私は脳内で暴れます。
 そういえば、大学受験では希望の大学に入れなかったけど、勉強したことはプラスになったしよかったと今も思っています。それを私は努力とは呼びません。楽しい思い出です。努力は説教、挫折のイメージワードです。

 

 

 2月23日の記事。こういう記事を書く時はおおむね機嫌がよくありません。ご機嫌ナナメの時はナナメなりに。今日はご機嫌です。朝の目覚めがすごくよかったです。いつも休日は昼過ぎまで寝ていて、頭痛に耐えかねて起きだすパターンなので。

 今はそうでもないようですが、昔の少女漫画は
「複数のイケメンに奪い合いをされる平凡な少女」
が王道パターンでした。今のレディコミもそういう作りです。(レディコミを愛読している訳ではありません。もうやめました)女子なら(イケメンを美女に入れ替えれば男子でも)1度は味わってみたいシチュエーションです。

 何でも本気にする私、小学校高学年くらいの頃は
「大きくなったら必ず複数のイケメンに奪い合われるに違いない」
と妄想しまくったものです。当時はイケメンとは言いませんでしたが、少女漫画の彼氏役は美男子(死語)よりイケメンの方が合っています。
 白馬の王子願望というのもよく聞きますが、現代日本の道路事情を考えるといくら子供時代でもあまり現実味がありませんでした。現代日本を舞台にした少女漫画は、いかにも中学、高校へ進学するとこういう生活が待っていると妄想させてしまう要素満載でした。

 もちろん1度としてそんなことはなく、そういう訳で
「なりたい自分を具体的にイメージするほどその願いは実現する」
という話を私は信じません。あれはできそうなことをイメージするからいいので、どう考えても不可能なことをイメージしても挫折体験が増えるだけです。

 本当に複数のイケメンに奪い合われるつもりなら、髪や肌の手入れをする、仕草や言葉遣いに気を使う、知性を磨くなどそれなりの努力をしないといけませんが、少女漫画では男にもてるために努力する女は悪役になります。
「私ってば何もしていないのに勝手に男性が寄って来て困っちゃうわ」
みたいな女が主人公です。キャンディ・キャンディのキャンディとかタッチの南ちゃんのような。よく考えるとやな女です。

 イケメンまでは行かなくとも、常に複数の男性が寄ってくる女性というのは、私は会ったことありませんが実在するようです。そしてそういう人は、どこが魅力的なのか女性からはわからないのだそうです。そんなの知りたくもないぞ。

 

 

 2月22日の記事。またスキン変えてしまいました。やっぱりピンクっぽいのがいいな。新しくてきれいなスキンは3カラム限定が多くて、2カラムでなかなかお気に入りにめぐり合えません。

 私は2カラムが見やすいのですが、3カラムがいいという記事をよく見かけます。そういえば2カラムが積極的によいという記事は見かけない気もします。

 わたりとりさんの記事 で知ったはてなブックマーク (以下はてブ)。はてなユーザーが、自分の気に入ったネット上のエントリー(ブログでなくてもよい)をクリップし、タグ(分類項目?)と自分のコメントをつけて保存しておけるものです。(この説明で合っているか、あるいは通じるかやや不安)
 
 トップページの「最近の人気エントリー」や検索もよいですが、面白いのは、はてなダイアリーから自分と趣味の似ていそうな人を見つけ、その人のブックマークを見て行くことです。(非公開の人もいます)
 ストレスなく面白記事が巡れます。新着狩りや検索に比べて全然外れなしです。はてブにクリップされるとすごい訪問者増えるそうですが、よくわかります。
 はてなの記事中心になるなど偏りが出るのはやむを得ません。タグも便利です。タグをたぐって(駄洒落です)いろいろ興味ある分野を見て行けます。
 
 最大の関心はトラックバック問題です。この分野は案外狭いのか、いつも特定の人のダイアリーに着きます。
 こんなに問題になっているのになぜトラックバックがあるのでしょう。ブログはアメリカ生まれですよね(多分)。ということはトラックバックもアメリカ生まれですね(多分)。ズバリ、日本人には抵抗あるアイテムです。
 
 最初トラックバックの説明を受けた時、
「他人のサイトに勝手に自分のところへのリンクを貼るなんて、そんな失礼なことしてよいのか」
と半信半疑でした。ごく初期に
「トラックバックって何だかわからない」
と騒いだのも、きっと私が解釈間違っているに違いないと思ったからです。ルールが定まれば根づいていくのでしょうけれど。
 
 自分が貼る時は
1 相手の記事に触発されて書いた記事であること
2 リンク、言及を入れること
を守ることにします。
 
 並べ称するには土俵違いすぎますが、トラバが自薦ならはてブは他薦、他薦の方が日本人の奥ゆかしさ、謙譲の美徳の精神に合っているようです。

 

 

 2月20日の記事。私はトラックバック擁護派のつもりだったのですが、だんだんいらないんではないかと思えてきました。理由は上記の通り。1年前はこんなではありませんでした。こんなトラックバックに誰がした。

 スパムトラバのせいで迷惑メールの存在感が薄れてきていますが、依然がんばっておられます。今日来たのは
「ご連絡ありがとうございました。落札した商品の代金は○○にてお支払いいたします。
 商品の発送よろしくお願いします」
てなものでした。
 
 は? 落札って、私オークションに出品もしとりませんが。タイトルが
「Re:なんたら」
だから、届いたメールにそのまま返信したのではないのでしょうか。
 
 似たような迷惑メールありました。間違いを装って送り、
「間違いですよ」
と返信させるのを目的とするものと推測できます。迷惑メールは個人情報収集が目的なので、返信したり示されたサイトをクリックしてはいけないと聞きます。
 
 一応「迷惑メールとして報告」しましたが、万一本物の間違いメールだったら何かまずいことがあるでしょうか。何だか巧妙になってきていやです。
「間違いメールがきっかけでメルトモになった」
「恋が芽生えた」
などという映画のような話はもうあり得ません。

 

 

 2月19日の記事。予想:先日は失礼いたしました。メルトモになりませんか→知り合ったばかりなのにこんな気持ちになるなんて→お会いしたい→サイトで連絡を取りましょう→終了。だったのですが、1週間の間にそれらしいメールは来ませんでした。(ちぇ)迷惑メールをうれしそうにチェックしていた自分。

 以前、
「太ってしまって困っている」
と言った友達に
「そうだよね、太るのいやだよね。ダイエットは辛いしね」
と答えて怒られた話を紹介しました。いくら私でも
「本当に太ったね」
とは言いません。(小さい頃なら言ったかも知れませんが)それは失礼だということくらいわかります。困っている、という気持ちの方を汲もうとしてすべりました。

 昔、拒食症関連の本を読んだ時、ガリガリにやせた患者でも
「やせたい」
と言っている言葉を
「全然太っていない。もっと太らないと駄目だ」
などと否定してはいけない、やせたいという気持ちにまず寄り添ってあげないといけない、みたいなことが書いてありました。
 もちろん私の友達と拒食症の方とは違いますが、他にもあちこちの本で
「相手の言葉を否定するのは失礼」
「肯定する言い方を心がけましょう」
というのを見かけたので、それが正しいと思っていました。
 
 現実には多くの人は会話の時普通に相手の言葉を否定します。
「そんなことありませんよ」
「それはこういうことなんじゃないの」
それが流れであるかのようにごく自然に話の腰を折られて、私は気持ちを汲んでもらえません。私が見たこと、聞いたこと、感じたことを嘘だと断言されてしまいます。私は本で読んだことが正しくて、人をいちいち否定する人が何もわかっていないと思っていました。
 
 相手が謙遜している時はそれを否定しないといけない、というのは当然のマナーのようですが、本で読んだ記憶がありません。書いてあったとしても、自分に都合のいい方を信じたのかも知れません。
 それともあまりにも言語体系の本質に組みこまれているので書く必要のないことだったのでしょうか。自分のことは謙遜しないといけないというのは知っていましたが、どこでどう謙遜していいかわからなかったので、あまり謙遜したことはありません。謙遜もしていないのにやっぱり否定されます。
 
 謙遜→否定は法則的に理解できますが、自分が経験したこと、見たことを話した時に、その場にいなかった人に否定されると見下されたような気持ちになります。
「意見が違うと自分を全否定されたように思いこむ」
というのはこのあたりのことのようです。ブログで否定されるのと同じです。否定の範囲がすごく違うみたいですが。

 

 

 2月18日の記事。Yahooの「書庫」とアメブロの「テーマ」が段々違ってきています。とりあえず「言語」は追加します。多分今後主要テーマになってくると思うので。

 Yahooで言語関係の記事をエントリーすると、訪問者がいつもより増える、ような気がします。言語関係の時だけ見に来ている人がいらっしゃるのでしょうか。わたりとりさん以外にも。