以前、
「太ってしまって困っている」
と言った友達に
「そうだよね、太るのいやだよね。ダイエットは辛いしね」
と答えて怒られた話を紹介しました。いくら私でも
「本当に太ったね」
とは言いません。(小さい頃なら言ったかも知れませんが)それは失礼だということくらいわかります。困っている、という気持ちの方を汲もうとしてすべりました。

 昔、拒食症関連の本を読んだ時、ガリガリにやせた患者でも
「やせたい」
と言っている言葉を
「全然太っていない。もっと太らないと駄目だ」
などと否定してはいけない、やせたいという気持ちにまず寄り添ってあげないといけない、みたいなことが書いてありました。
 もちろん私の友達と拒食症の方とは違いますが、他にもあちこちの本で
「相手の言葉を否定するのは失礼」
「肯定する言い方を心がけましょう」
というのを見かけたので、それが正しいと思っていました。
 
 現実には多くの人は会話の時普通に相手の言葉を否定します。
「そんなことありませんよ」
「それはこういうことなんじゃないの」
それが流れであるかのようにごく自然に話の腰を折られて、私は気持ちを汲んでもらえません。私が見たこと、聞いたこと、感じたことを嘘だと断言されてしまいます。私は本で読んだことが正しくて、人をいちいち否定する人が何もわかっていないと思っていました。
 
 相手が謙遜している時はそれを否定しないといけない、というのは当然のマナーのようですが、本で読んだ記憶がありません。書いてあったとしても、自分に都合のいい方を信じたのかも知れません。
 それともあまりにも言語体系の本質に組みこまれているので書く必要のないことだったのでしょうか。自分のことは謙遜しないといけないというのは知っていましたが、どこでどう謙遜していいかわからなかったので、あまり謙遜したことはありません。謙遜もしていないのにやっぱり否定されます。
 
 謙遜→否定は法則的に理解できますが、自分が経験したこと、見たことを話した時に、その場にいなかった人に否定されると見下されたような気持ちになります。
「意見が違うと自分を全否定されたように思いこむ」
というのはこのあたりのことのようです。ブログで否定されるのと同じです。否定の範囲がすごく違うみたいですが。

 

 

 2月18日の記事。Yahooの「書庫」とアメブロの「テーマ」が段々違ってきています。とりあえず「言語」は追加します。多分今後主要テーマになってくると思うので。

 Yahooで言語関係の記事をエントリーすると、訪問者がいつもより増える、ような気がします。言語関係の時だけ見に来ている人がいらっしゃるのでしょうか。わたりとりさん以外にも。