会話で失敗があると何日もムカムカきます。仕事ならお金をもらっているから我慢しなければなりませんが、買い物やレジャーでは、何で金を払って嫌な思いをしないといかんのだと考える訳です。
 
 失敗の中心は、しつこく話題に出していますが、敵がこちらの言葉に文字通りに返してくれないことです。
「すみません、閉店時間は何時ですか」
「トテチテター」
のような感じです。本当にトテチテターと聞こえるのではなく、それと同じくらい意味不明なことを言われたようで混乱する、ということです。
(閉店時間聞いているのに何が「まだ大丈夫ですよ」だ、そんなの見ればわかるんだよ)
 
 診断前は
「聞いたことに答えて下さい」
と高圧的に出ていたのですが、今は自分が悪いらしいことがわかったので、トテチテターと言われようととにかく我慢して態勢を立て直し、自分のわかる言葉に翻訳しないといけません。
 
 聞いたことと違う言葉が返ってくる会話が正常で、言葉を文字通りに使うのが障害であるなどと、どこの誰が予想できたでしょう。トテチテターが頭に残ってムカムカが収まりません。
「その人はこういう意味で言ったんだと思います」
「こう聞いた方が伝わりますよ」
というコメントをする人はもういないと思いますが、書き出せばわかります。その場ではトテチテターなのです。
 
 これは実は簡単な解決策があります。筆談を使うことです。会社では無理ですが、買い物では試してみる価値ありそうです。対話の記録が残るので、メモをためればそれ自体がマニュアルになってくれそうです。
 びっくりされるでしょうか。耳が聞こえない訳でも話せない訳でもないのに。筆談に抵抗があるのは、そういう人たちでないと筆談をしてはいけないという社会的合意があるからです。説教族なら絶対許しはしないでしょう。詐病とののしられるかも知れません。

 

 

 3月17日の記事。実際に試しましたが、メモ帳を持ち出す時点で向こうも警戒し(どう理解されているかは不明)あまり複雑な会話の応酬をされないので役に立っていると言えば立っています。何となく恥ずかしさが先に立ちますが。

 否定会話ルールをもう少し検証してみます。日本で否定会話ルールがなぜ成立したのでしょう。
 
Ⅰ 謙譲の美徳は否定しなければならない。
Ⅱ 自己PR語である。
Ⅲ 少しずつすり合わせて妥協点を見出し、表面上だけでも意見の一致を見ようとしている。
 
というあたりでしょうか。Ⅲは新しい話題なので、これを元に展開します。A⇔Bという相反する考え方があるとします。
 
 
1 Aさんの主張Aに対し、Bさんが3分の2ほどBよりに傾いた[3分の1]Aを主張。
 
2 Aさんはもう少しAよりの[4分の3]Aを主張。
 
3 Bさんはもう少し譲って[5分の3]Aを主張。
 
4 最終的に[17分の10]A=[17分の7]Bで終了。
 
5 異なる意見を交わし合い、新たな考え方、知識を吸収できて大いに満足。
  次に別な人とこの話をする時は[17分の10]A=[17分の7]Bを踏まえつつ
  自分の考えを述べるようにすれば、広い視野を持ち、異なる立場にも立てる人だと思われる。
 
 
 自分で展開しておいて何ですが、分数がすでにわかりにくいし、日本人でこんな日常会話を交わしている人は多くなさそうです。私がAさんなら1の段階で自分を全否定されたと思いこんで駄目です。
 
 すり合わせて妥協点を探るというのがいいのか微妙です。意見が異なっていてはまずいのでしょうか。それに、AさんもBさんも自分の考えを変えた訳ではなくて、相手の考えを聞いて受け入れた、ということです。やっぱりいいことか。
 
 相手の意見を変えるためではない、という大前提さえあれば私にも抵抗なさそうです。ただ、こういうルールで話し合おうとあらかじめ決めておかないと、どっちかが逆ギレしないでしょうか。お互いが完全に対等でないと成立しなさそうです。
 
 話が戻りますが、最もストレスフルなのがⅠです。相手に全く悪気がないだけに辛いところです。私は謙譲の美徳なんかしていないのに、否定されたらさらに否定し返さなければなりません。いわゆる否定会話の典型的な応酬です。どこでどうやめればいいかわからないアレ、ムキになりすぎてぎょっとされたり、かと言って肯定したら後で何言われるかわかりません。
 
 これも
「私っていい人で礼儀正しいでしょう」
という一種の自己PR語と解釈した方が楽かも知れません。何でも自己PR語にする私は何と嫌な人間に見えていることでしょう。
 
 正直、自己PR語だと思えばこちらにも心の余裕が出ます。矛盾なく相手の言葉を捕らえることができ、便利です。自己PR語に悪いイメージつけ過ぎてしまったことは反省します。愛する隣人たちの言葉を混乱せずに少しでも理解して生きやすくするための分類だったのに。「言語体系の違い」であってこれ自体が悪い訳ではないのです。

 

 

 3月16日の記事。分数部分を理解するために分度器を持ち出した人、図を書いてくれた人。

■■■■■■■■■■□□□□□□□=17分の10

 私も図で表した方がずっとわかりやすいです。図を書ける環境にあれば。脳内で考える時、図を思い浮かべるのが難しく、最初から分数で思考していました。

 「なぜ書けるのか 」の時に、自分は他の言語思考派の人よりも、ビジュアルで考える力が弱いんじゃないかなと思いました。上の図も書けばむしろわかりやすいけど、脳内で思い浮かべる時はうまく描けず数字になります。

 高校生になって初めての、大学受験模擬試験、志望大学を記入する欄がたくさんあります。まだそんなに大学名知りませんから、東京大学も入れました。他にも何人か、東大を書いた人はいました。
 1ヵ月後戻ってきた試験結果に
「東京大学を目指す○○さんへ」
というプリントがついていて、赤面しました。赤面というのは比ゆ表現で、私は感情の変化や飲酒により顔が赤くなることはありません。
 
 担任の先生が、何かで(原因忘れた)クラス全員を叱った時、
「君らは東大志望とか簡単に考えているようだが、それなりの努力をしてから言ってもらいたいものだな」
とおっしゃいました。別に本当に東大志望だった訳ではありませんが、
(希望を言ってはいけないんだ、できそうなことしか言ってはいけないんだ)
とものすごく深く刻まれました。
 
 目標や希望は基本的に否定されませんか。
「そんな甘いもんじゃない」
私は口に出して言うことと心の中だけで思うことが正反対でも構わないことをまだ知らなかったため、心の中で思うのもいけないのだと考えました。
 
 定型発達者の言語が、夢や希望や予定を伝えることに重点を置いていると知ったものの、あれだけ否定されてもそんなものに重点を置きたくなるものでしょうか。
「そんな甘いものじゃない」
というのは、私が特別に言われた言葉ではなく、ほとんど反射的に出る言葉で、深く考えて言っているのではなさそうです。否定しあうのが当たり前過ぎて、がっかりもしないのでしょうか。
 
 絶対無理そうな夢ならまだしも
「私は絶対犯罪を犯さない」
まで
「犯罪を犯そうとして犯す人はいない。みんな自分だけは大丈夫と思っているんだ」
と否定されます。じゃあ自分は犯罪を犯すかも知れないと思いながら生きていけということなんでしょうか。
 
 今書きながら気づいたのですが、これ自己PR語でしたね。
「私はあなたより視野が広くて知識が豊富で立派な考えを持っている」
という意味です。書けばわかりますが、聞いた記憶だけだと文字通りの意味しか認知できません。
「そんな甘いもんじゃない」
というのもそういう意味臭いです。否定会話の基本はこれだな。自分はお前よりすごいと主張さえできれば内容はどうでもいいのです。他の人は子供のうちからそんなことわかるんですか。
 夢や希望や予定は人に言うことではない、言えば否定されるから、という気が、ずっとしていたのです。

 

 

 3月14日の記事。犯罪という例がよくなかったようでした。なぜ犯罪という言葉が出てきたかというと、時折報道される、アスペルガー症候群の犯罪者のこと・・・1回何か書いた方がいいのかなという迷いがこの頃ありました。私の見解を聞きたいという方もいらっしゃいましたが、このネタで書くと絶対説教されそうです。上記のように否定されるのも恐ろしいです。こう書くだけでも怖すぎるので、コメントは拒否。

 妊娠初期の、見た目でわからない妊婦のためにマタニティーマークというものが考案されたそうです。
 自動車に貼る車椅子マークや赤ちゃんがいますマークが、たまに話題に上りますが、私はこういうのはよい試みだと思います。自分の口から周りに妊娠中なので配慮して下さいなどと言おうものなら総攻撃を受けるからです。
 
 私は他人が望んでいることを見抜くのが難しいので、電車の中でこういうマークをつけている人を見たら
「席を譲って欲しいんだな」
とすぐわかるのはありがたいです。
 
 父が初めてバスで席を譲られた時、ひどくがっかりしてそのことをいつまでも気にしていました。父は年齢の割に足腰が丈夫で自信もあったのです。さらに、私に似てつまらないことをいつまでも覚えています。
「そんなに年寄りに見えたのかな」
あまりに悲しそうな姿で、席を譲るという行為がいかに暴力的か知りました。私も親切と信じてしたことで誰かを傷つけたのでしょう。
 
 現在では露骨に譲るのでなく、降りるふりをしながら隣の車両に移動するのが礼儀のようです。バスだと無理ですし、目の前の人ではなく、少し離れたところにいる人に譲りたい時は使えません。
 その人が座りたいかどうかわからないし、遠慮し合うやりとりなんか始められたら(私が)大変です。座りたい人が
「すみません、私は足が弱いのでどなたか席を譲って下さい」
というスタイルには、絶対になりません。
 本人が自分で言ってはいけなくて、なおかつ言われなくても気づかないといけない、というのはとても厳しいシチュエーションです。

 

 

 3月13日の記事。その後このニュースの話はあまり見ませんがどうなったのでしょう。うちの両親やその周辺の世代の人の話だと

「席を譲られたことがない」

というのは自慢話として展開されます。

「席を譲りましょう」

というのは席を譲る人のためのマナーであって、譲られる人のためのマナーではないようです。頼まれて譲るよりは頼まれずに譲る方が親切でよく気がつくように見えます。今にも倒れそうな人はまず電車には乗っていないし、乗っていたら親切にされるどころか迷惑そうな扱いを受けます。

 マナーや感情論を度外視すれば、譲って欲しい人が譲って欲しいと言うのが一番わかりやすそうですが、座っている人にも事情があるでしょうから、こういうマークを使って、それを見た人で自分は立ってもいいと思っている人が譲るのがスマートな気がします。

 もう忘れられたと思いますが、前にチラッと登場させたものの誰も知らず、すべってしまったマイナー特撮作品「メガロマン」、メガマロンだのデカメロンだの呼ばれてしまうかわいそうなネーミングです。
 このままではあんまりなのでちょいと紹介。私も見たことはありませんが、古いアニメ雑誌によると、こんなです。(この作品自体はアニメでなく特撮です、念のため)
 
・主人公獅子堂たかしは地球人の科学者の父と異星の王女の母の間に生まれた。
・巨大化してカツラをかぶった薄汚いウルトラマンに似た姿に変身する。
・変身せずともウルトラマンのように空を飛べる。
・ゴレンジャーのような5人組の1人で、保積ぺぺがキレンジャーの役。
・実は双子で、片割れが敵の幹部、キャプテン・ダガー。主人公役が2役を演じる。
 
 おお、これはゴレンジャーとウルトラマンとゴッドマーズを足して3で割ったようではありませんか。その割にえらいマイナーです。いろいろな面白要素をてんこ盛りにしてみましたで終わってしまったのでしょうか。
 オープニングから着ぐるみが泥だらけで、汚いです。戦っていればそれは汚れるでしょうけれど、ウルトラマンは毎回きれいにしていたのです。
 主な出演者で名前がわかるのは保積ぺぺだけでしたが、保積ぺぺすら若者は知りませんね。

 

 

 3月12日の記事。女子大生はゴッドマーズを知らないのです。あの頃はあんなに流行ったのに。しかしもっと古いウルトラマンやゴレンジャーやハイジは知っているのでした。私もセーラームーンくらいは知っているが。