否定会話ルールをもう少し検証してみます。日本で否定会話ルールがなぜ成立したのでしょう。
Ⅰ 謙譲の美徳は否定しなければならない。
Ⅱ 自己PR語である。
Ⅲ 少しずつすり合わせて妥協点を見出し、表面上だけでも意見の一致を見ようとしている。
というあたりでしょうか。Ⅲは新しい話題なので、これを元に展開します。A⇔Bという相反する考え方があるとします。
1 Aさんの主張Aに対し、Bさんが3分の2ほどBよりに傾いた[3分の1]Aを主張。
2 Aさんはもう少しAよりの[4分の3]Aを主張。
3 Bさんはもう少し譲って[5分の3]Aを主張。
4 最終的に[17分の10]A=[17分の7]Bで終了。
5 異なる意見を交わし合い、新たな考え方、知識を吸収できて大いに満足。
次に別な人とこの話をする時は[17分の10]A=[17分の7]Bを踏まえつつ
自分の考えを述べるようにすれば、広い視野を持ち、異なる立場にも立てる人だと思われる。
自分で展開しておいて何ですが、分数がすでにわかりにくいし、日本人でこんな日常会話を交わしている人は多くなさそうです。私がAさんなら1の段階で自分を全否定されたと思いこんで駄目です。
すり合わせて妥協点を探るというのがいいのか微妙です。意見が異なっていてはまずいのでしょうか。それに、AさんもBさんも自分の考えを変えた訳ではなくて、相手の考えを聞いて受け入れた、ということです。やっぱりいいことか。
相手の意見を変えるためではない、という大前提さえあれば私にも抵抗なさそうです。ただ、こういうルールで話し合おうとあらかじめ決めておかないと、どっちかが逆ギレしないでしょうか。お互いが完全に対等でないと成立しなさそうです。
話が戻りますが、最もストレスフルなのがⅠです。相手に全く悪気がないだけに辛いところです。私は謙譲の美徳なんかしていないのに、否定されたらさらに否定し返さなければなりません。いわゆる否定会話の典型的な応酬です。どこでどうやめればいいかわからないアレ、ムキになりすぎてぎょっとされたり、かと言って肯定したら後で何言われるかわかりません。
これも
「私っていい人で礼儀正しいでしょう」
という一種の自己PR語と解釈した方が楽かも知れません。何でも自己PR語にする私は何と嫌な人間に見えていることでしょう。
正直、自己PR語だと思えばこちらにも心の余裕が出ます。矛盾なく相手の言葉を捕らえることができ、便利です。自己PR語に悪いイメージつけ過ぎてしまったことは反省します。愛する隣人たちの言葉を混乱せずに少しでも理解して生きやすくするための分類だったのに。「言語体系の違い」であってこれ自体が悪い訳ではないのです。
3月16日の記事。分数部分を理解するために分度器を持ち出した人、図を書いてくれた人。
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私も図で表した方がずっとわかりやすいです。図を書ける環境にあれば。脳内で考える時、図を思い浮かべるのが難しく、最初から分数で思考していました。
「なぜ書けるのか 」の時に、自分は他の言語思考派の人よりも、ビジュアルで考える力が弱いんじゃないかなと思いました。上の図も書けばむしろわかりやすいけど、脳内で思い浮かべる時はうまく描けず数字になります。