私の少女時代の男性トップアイドル、トシちゃんこと田原俊彦、たまに名前を見ると思うとあの人は今的取り上げられ方です。女子人気ナンバー1の大スターだったのに。
 とはいえ、当時でも私にはとてもかっこいいとは思えませんでした。ライバルのマッチ近藤真彦もニキビだらけで汚かった(ファン及び元ファンの方ごめんなさい)し、何でみんな素敵とか言っているのかわかりませんでした。
 顔の造作でいえばひかる一平の方が整っていたような記憶があります。似たような顔がいつの時代にもいる、いわゆる甘いマスク(死語?)だったような気はします。現代だとインパクト弱くて芸能人やれるかどうか微妙です。今の若手芸能人の方がいろんな意味でレベル高いです。あの頃は歌が下手なのもアイドルの条件だったし、80年代文化という独特の世界でした。
 
 田原俊彦は今出てきたら、どうでしょう。演技も歌もトークもうまくない、なのに思わず見てしまう、今もいそう・・・新庄? 
 それは失礼でしょうか(どっちに?)。でも新庄が突然記者会見で
「俺はビッグだから」
と言い出したら人気急落しそうです。あの謙虚でお馬鹿っぽいところが好感もたれているのですから。
 トシちゃんのビッグ発言があんなにバッシングされるとは思いませんでしたが、彼もお馬鹿っぽいところが魅力だったのでしょうか。
 
 新庄は野球選手としては面白いけどタレントとしては長くもたないとか散々言われていますが、デザイナーを始めたところは手堅いです。どこまで計算があるのかわかりませんが、
「野球選手として」
タレントをやる分にはよかったように
「デザイナーとして」
タレントをやるなら結構もつのではないかと考えられます。仮にデザイナーとして大した仕事ができないとしてもです。
 近藤真彦もレーサーに転進したのはよかったし、橋下弁護士も弁護士でタレントやっているから面白いけど単体でタレントだったらイタそうです。開店休業になっても弁護士の肩書きは外せないでしょう。
 
 トシちゃんもダンスはうまかったのだから、何か本業を確立しておけばよかったのでしょう。今からでも遅くないので(ダンサーとしては遅いか)また何かで出てきてくれることを期待します。

 

 

 11月19日の記事。カッタウェイさんとこでトシちゃんのスニーカー の話題が出て懐かしく思い出しました。最近株で3500万儲けたとニュースで見ました。あやかりたいものです。

 一昨日、テレビドラマ「僕の歩く道」第6話のこと を書いたのですが、この回のメインである、自閉症の息子を受け入れられずに離婚したお父さんのことに全く触れていませんでした。
 ここは感動するところだというのはわかりますが、複雑で書きづらかったのです。うん、何かね、今いじめ自殺問題が新聞、テレビ、ネット上を賑わしていますが、あれで
「辛かったら逃げてもいいんだ」
という話が出てきますね。それは賛成ですが、だったらこのお父さんも逃げていい訳ですね。
 
 それとも、いじめの被害者と人の子の親は責任の度合いが違うということでしょうか。やっぱり親になるのは大変です。私は駄目だな。
 見ていないけど「14歳の母」というドラマがあります。その主人公は、自分に子供がいてなおかつ学校ではいじめられっ子である、というシチュエーションもあり得ますね。いじめからは逃げていいけど子供から逃げてはいけませんね。
 
 多分変なこと書いているな自分。どんなに世間から罵倒されようと
「生きて生きて生き抜く」
ことが、人にとっては最優先です。これは他人なんかより自分が大事、というエゴと隣り合わせです。
「他人に何と言われようと」
という条件がつきます。
 いじめられた子には同情的でも登校拒否やニートに厳しい人は普通にいそうです。学校から逃げる、ということは、その逃げたことを背負って生きることでもあります。
 
 迷惑をかけたっていい、他人を傷つけたっていい、それでも生きるというエゴを通すことは悪いことではないのだ、などと書くとまた説教族に襲撃されそうです。
「他人に迷惑をかけてはいけない」「嘘をついてはいけない」
は2大教育方針みたいですが、どっちも本気にするとえらいことになります。
「迷惑をかけてはいけないという気概が欲しい」「嘘をつかないという気概が欲しい」
くらいにとどめておかないとです。
 
 なお、「エスケイプ」というタイトルは少女コマンドーIZUMI の挿入歌のタイトルから取ったので、エスケープが正しいですというコメントはしないで下さい。変換したら、「辞書にない単語が含まれています」と叱られてしまいました。
 
 
 11月18日の記事。「逃げていいんだ、学校になんか行かなくていいんだ」という報道に一抹の違和感を感じて。それなら登校拒否やニートを批判してはいけません。いじめっ子を出席停止にするという話もありますが、私は集団でボコボコにされている時に一発でも殴り返すと私が先に暴力を振るったかのように言われたので、陥れられて無実のいじめっ子が出る可能性もあります。
 個人的には警察が介入して、嘘をついたことが後でわかったら偽証罪で逮捕すると言えば周りの同級生も本当のことを証言するだろうと思います。なお、私がそう思うだけで、違う意見の人を否定するものではありません。
 11月16日の解禁日にしっかり(コンビニで)買ってしまいました。確か去年おいしかったんだよねーとワクワクしながらふた部分をはがすと、コルクが待っていました。うええ、開けるの大変。去年飲んだ時の記事 に書いてあるやん。こういう時のためのブログなのにあらかじめ読んでいないし。いつも買っている425円のワインがキャップだったから、ワインはコルクだという事実が抜けてました。
 
 しかしさすが、学習しています。去年は大変でしたが今年は難なく開ける自分に、ワインを飲む前から酔ってしまいます。そこまではよかったのですが、ワインを開ける道具(グルグルねじれたの)からコルクを外そうとして、勢い余って今開けたばかりのボージョレヌーボーのボトルにトン・・・
 
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 幸いにも流しの方に倒れてくれたので、拭かないといけないような汚れはありませんでした(そこかい)。こぼれたのは4分の1くらい、どうせ1人で1本は飲めないし・・・くすんくすん。
 今度から、グルグルについたコルクは放っておいて後で片づけることにしますので、他の場所にボトルを移しておけばよかったのにというコメントはしないで下さい。
 来年の手帳をもう買ってあるので、11月16日のページにこのことを記しておきます。これで安心です。
 
 ふたがコルクだと、余った時困ります。さすがに1晩で1本飲みきるのはよほどの時です。ラップでもかけておくか、と出そうとしましたが、ラップとは何年も放っておくとくっついて取れなくなってしまうのですね。残り物があった時はタッパー使うから、ラップは年単位で使っていませんでした。
 なお、ラップはこのように保存するとよいというコメントもしないで下さい。トラックバックなら可 です。
 
 2400円でしたが、いつも飲んでいる425円のワインの方がおいしく感じるのは負け惜しみ(何に負けた?)でしょうか。去年と少し味が違う気もしますが年によって違うものなのでしょう。私の味覚では、去年より渋みが強いです。解禁の味でした。今夜はこれから昨夜の残りを飲みます。
 
 
 11月17日の記事。今月は寒いのにビールばかりです。去年の同じ記事からもう1年経ったことに驚嘆してしまいます。
 第6回は視聴率が落ちたそうです。前回、正直面白くないと感じたのですがそのせいもあるのでしょうか。今回もあまり感情移入できなかったのですが、今後は主人公よりも周りの人たちに話がシフトしていくようです。ドラマの方向性としてはよいのだと思いますが、ネタにしづらくなります。私が。
「お母さんにもしものことがあったら輝明さん(主人公)施設に入れてくれるのよね」
という兄嫁は悪役っぽい扱いですが、これは兄嫁の立場からすれば仕方ないでしょう。
 
 血のつながりのない、夫の弟が障害者で一生面倒を見なければならない、相当理解のある人でも自分の立場に置き換えると厳しいです。母親や兄妹、甥は血縁だから他に考えるところ(情愛だけでなく社会的責任のようなもの)あるでしょうけれど、兄嫁は他人です。画面には出そうにありませんが、結婚の時だって葛藤があったでしょう。いざとなったら、実際に苦労するのは奥さんです。
 私は福祉関係には詳しくないのですが、施設というのは入りたくなったら入れるものなんでしょうか。すごい順番待ちで審査厳しいのではという気がします。生活保護みたいに、兄弟がいてそこそこ裕福なら駄目、ということにならないでしょうか。
 
 主人公の妹にも、自分が面倒見ないといけないかも、と悩むシーンがありましたが、自分もそういう立場になったらそんな気持ちになるのか、想像つきません。
 想像しようとすると、面倒を見る、というのがちょっと抽象的で、どういうことなのかわかっていませんでした。漠然と大変なんだろうという気はしましたが。下の世話をすることなのか、一緒に住んで生活費を出すことなのか、ドラマの幼馴染の子みたいに扱いを心得て周りの人間との通訳になることなのか。
 画面を見る限り、家庭ではおとなしいし決まりはきちんと守るし、カレーは必ずチキンカレーとかそういうことを心得ていればそんなに有害な感じはしないのですが、私の想像力不足ですねきっと。
 
 ところでこのドラマ、全然説教族が出てきません。いると凄みが出そうです。
「やろうと思えばできる、努力が足りないだけ」「周りが甘やかすからだ」
このドラマにこれを出すとホラーというよりすごい間抜けな人みたいで、視聴率さらに下がりそうです。
 
 
 11月16日の記事。ここ2週ほど視聴率は上昇しているそうです。「面倒を見る」ことの大変さですが、想像力働かせると、お兄さんであるご主人が先に亡くなって息子が独立して年取った障害ある義弟と2人暮らしという状況になったらかなり嫌かもです。兄弟は他人の始まりともいうし、普通は親よりも長いつき合いになるし、扶養義務はあるし、まあいろいろ複雑な位置関係です。
 前の記事 で紹介したマキャべリの著書「君主論 」を近所の本屋で探しましたが見つかりませんでした。もっと大きい本屋でないと駄目ですね。
 
「かく生きるべしという理想からではなく、かく生きているという現実から手がかりを引き出すべき」(再引用)
 
とはいいこと言うと思ったのですが、この人の残した言葉はまさに悪語です。
 
「人民は優しく手なずけるか、さもなくば抹殺してしまうかだ」
「隣国を援助する国は滅びる」
 
この部分だけ取り出すととんでもありませんが
「君主は人格者である」「君主は徳が高い」「君主に必要な資質は気概だ」
などという、当時流行っていたらしいお間抜けな理想論に比べて
「だからどうすればいいのか」
という、はるかにわかりやすい真実を述べています。
 
 近年でこそ見直されていますが、生存中は追放されるは著書は禁書になるはろくな目に合わなかったようです。当時の識者も
「気概が欲しいということです」
と怒ったに違いありません。迫害されながらも多くの支持者が当時も存在したのは、悪語に隠された真実が読み取れたからでしょう。
 
 私も死後見直されるでしょうか。(無理だな)マキャべリは
「現実主義」「目的のためなら手段を選ばない」
と言われますが、どちらかというと理想主義者なんではと受け取りました。理想があっても、ただ理想を語るだけで、今現在との間がぽっかり空いていては存在しないのと同じです。
 たどりつけなければどこかで妥協するか、ゴールを変える必要も出てくるでしょう。そこには気概が欲しいということですな立派な思想はないかも知れません。私は残念ながら立派な人間ではなく、気概なるものも持っていないのかも知れませんが、自分のできることを一生懸命やって生きていきたいです。(善語でシメる)
 
 
 11月12日の記事。「説教族は優しく手なづけるか、さもなくば抹殺してしまうかだ」
本当はマキャヴェッリというらしいですが、発音しづらそうです。
 Yahoo版のブログタイトルを変更して半年、同じ記事を写しているのに、別なテーマになったように雰囲気が異なってきました。変える時は散々迷いましたが変えてよかったです。こちらはこちらで大事にしたいとは思いますが。