ちゃ~べんの「がははは人生」 -239ページ目

僕と音楽(第六章?)

娘の病気との闘いに音楽は欠かせなかった

娘たちの好む音楽を一緒に聴き、僕の好きな音楽もみんなで聴いた

SPEED

浜崎あゆみ

GLAY

ゆず

19

ドリカム

ミスチル


家族で車で出かけるときは車内で歌合戦(笑)


仲良く笑顔を取り戻す中にみんなの好きな歌があった


しかし、僕ら夫婦の気持ちのズレから

隙間に入り込んだ奴とかみさんの...

娘たちのいる前での夫婦喧嘩

またまた明るさを失う我が家


娘たちも精神的に荒れたり落ちたり...

最終的には離婚という形をとった


愛し合って、必ず幸せにすると誓ったはずなのに...


そんな離婚して1ヶ月経つか経たないかのころ

久しぶりによったCDショップで目に付いたのがnavy & ivoryの「指輪」だった。

ちょうど発売日だったみたいで店員のコメントを見てなんとなく買った。

帰り道、どんな歌だろうと聴いて、号泣したしょぼん

心に刺さった。

そして何度も何度も聴いた。

この歌が僕のかみさんへの憎しみを和らげ感謝の気持ちを新たに強くしてくれ、娘たちへの愛情を強くしてくれた。


その年の暮れに浜松でのライブに行き、ご本人たちと偶然にも帰りの牧之原SAで出会うことになり、いずれ僕が送った「光」と書いた書が「指輪」のアンサーソングを作るきっかけとなり、曲のタイトルがそのまま「光」とつけられシングルとして発売されることになろうとはこのときは思いもしなかったのである。


そしてゆきみが車椅子の卓球で全国のクラス別の大会で優勝したことから、パラリンピックへの夢の実現のため、世界大会へ出場してポイントをかせごうと思ったのだが、資金がなく、友人がゆきみ応援団としてホームページを立ち上げて資金協力を呼びかけるから俺にはmixiで人脈を作れと言ってきたのがこの頃だった。


僕はmixiでゆきみの病気と闘う様子や、我が家の泣き笑いを日記に書き続けた。


いろんな人がマイミクになってくれた。

そんな中のひとりがジンボーさんというギタリストの方だった。




つづく


よ!(笑)

僕と音楽(第五章?)

結婚式の披露宴で使った曲は

さだまさしの道化師のソネット

小泉今日子の艶姿ナミダ娘とヤマトナデシコ七変化

愛と青春の旅立ち

エンドレスラブ

山口百恵の秋桜

など


時代ですなぁ(^^;)


子供が産まれてしばらくはおかあさんといっしょで唄われる歌やポンキッキーズの歌など、子供中心の音楽とふれあっていた。

僕が高校時代から好きでよく聴いていた谷山浩子の歌も子供たちとよく聴いたものだ。

おはようございますの帽子屋さん

ネコの森には帰れない

まっくら森の歌

おはようクレヨン

しっぽのきもち

などなど

そして、娘たちが小学校にあがるころ槙原敬之の「どんなときも」を聴き衝撃を受ける。

FMラジオをよく聴くようになったせいかいろんなジャンルの音楽を聴くようになる。

いいと思うものはチェックしまくった。

でも、軸になってよく聴いたのは槙原敬之だった。


そんな平成10年4月にゆきみが突然下半身麻痺となり我が家が真っ暗になった。


静岡のこども病院に見舞いに行く車の中では毎回松山千春の「大空と大地の中で」を流し、一緒に唄いながらひとりでよく泣いたものだ(笑)


他にも大事マンブラザーズの「それが大事」とか、槙原敬之の「MILK」とか、歌に励まされていた時期である。

音楽って楽しいときもつらいときも、めでたいときも悲しいときも、どんなときも必要なんだとつくづく思った時期であります。



つづくなり(^^ゞ

僕と音楽(第四章?)

大阪に就職

寮生活

六畳一間に先輩と二人部屋

なのにシステムコンポなどを持ち込む迷惑な奴でしたあせるあせる

給料が入ると身の回りのものを買うよりなによりレコード屋に走ってました。

あと、大阪ということでコンサートがたくさんある!

チェックしまくりました。

と同時にこの頃から会社の同期の友人の影響もあり、ジャズを聴くようになる。

ジャズというかナベサダぐらいは聴いていたが、マイルスデイビスとか聴くようになったのはこの頃だ。

京都のジャズ喫茶にもよく足を運んだ。


人前で唄うことのなかった僕も、会社の仲間や上司と飲みに行く機会が増えると、カラオケで唄うことが増えてきた。

当時はまだ8トラ。

歌詞は本になっていて広げて見ながら唄った。

当時よく唄ったのは雅夢の「愛はかげろう」とかアリスの「遠くで汽笛をききながら」とかチャゲアスの「ひとり咲き」かな


この頃中古のシビックを購入

カセットに好きな歌を編集するのが日課になった。

車を持つと女子寮の暇そうにしてる子や男子の後輩なんかを連れて夜のドライブとかよく行きました。

誘う女の子の音楽の趣味をチェックしてテープに編集しておくマメさが当時はありました(笑)

今もあればもう少しモテるかなぁ?(爆)

とにかくこの頃は給料のほとんどがレコードとコンサートチケット、そしてガソリン代で消えていきました(^^;)


遠距離恋愛だった沼津の彼女と破局を迎え、会社の同期だった元かみさんと付き合い始めた21歳のころ

一番よく聴いていたのは佐野元春、尾崎亜美、ユーミン、浜田省吾あたりだったと思います。


22歳で結婚して、長女が生まれてからは...




つづく


なり(笑)