文教祖が穴倉に連れ込んでレイプした少女は、朴サムエルの母親なのか? | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■劉孝元(36家庭)の親戚の劉信姫が証言した「文教祖が少女をレイプした時期」と「17才の朴サムエルの母(崔淳華)が文教祖にレイプされた時期」が一致

文教祖は1953年末頃は釜山で避難生活を送っており、劉孝元(36家庭)の親戚(劉信姫)の夫である申聖黙の家で修練会を開いていた。
そのとき朴サムエルの母(崔淳華)も参加しており、また喜進の母(金明煕)もその修練会に参加したその日に文教祖と性関係をもっている。
文教祖は17歳の高校生だった崔淳華をレイプしただけでなく、崔淳華の母親(李得三)と姉の崔淳実とも性関係を持った。つまり文教祖は母娘姦淫を犯したということになる。
((※注)崔淳華、崔淳実は文教祖の妻のいとこ、李得三は文教祖の妻の義叔母。文教祖は最初の妻(崔先吉)と婚姻中にいとこと義叔母とも性関係をもった)




■文教祖の隠し子(朴サムエル)の証言

(ビデオ4:48)
<父は17歳の母をレイプ> 
 母と文牧師の関係は、母が17歳のとき、彼(文鮮明)が母(崔淳華)に強制的に迫り母の処女を奪った1953年に始まりました。
 その時、私の父が言うには、私の母は彼の永遠の花嫁あるいは統一教会の言葉で言うと「真の母」になる運命にあるので、彼は母と性関係を持たなければならない、元返すために・・・すみません、統一教会用語を使わせていただきます。教会に関心があるみなさんの一部はそれをご存知かもしれませんが、多くの方々は知らないでしょう。このビデオを見るかもしれない統一教会員が大勢いて、彼らの助けになるかもしれないので、ちょっと大目に見てください。
 父は母にこう言いました ―基本的に父は母をレイプしました― 天使長ルーシェルが若いエバにしたことを元に戻すために、私はあなたと性関係を持たなければならない。聖書のエバは17歳の時に天使長ル―シェルに誘惑され、これが聖書に書かれている人間の堕落の本当の原因だと文牧師は教えました。それが統一教会信者の理解する人類の堕落です。

<朴サムエル氏の質疑応答にて>
 ウィキペディア(英文)によれば、「レイプは、同意していない人に対して行なわれる、通常、性交を含む性的暴力の一種である。その行為は、腕力、強制、職権乱用によって、または意識不明の人、精神障害のある人、法定承諾年齢以下の人のような有効な同意ができない人に対して行なわれる。」
 母(崔淳華)は、性が全く議論されない風潮の当時の良家の出身で、そういう事柄に関してとても純真(ナイーブ)だった。教師を非常に尊敬する傾向がある東洋の文化の中で、父は彼女の母親の先生であり、彼女に対して支配力と権限のある位置にいた。
 また身長わずか150cmの母(崔淳華)に比べ、父(文鮮明)ははるかに大きく力も強かった。韓国では承諾年齢は19歳。父(文鮮明)は母(崔淳華)とセックスをした後、「私がしたことは誰にも言うな、特にお母さん(サムの祖母:李得三)には言わないように」と母に言った。
 時とともに、また宗教的な条件付けで、母(崔淳華)は起こったことを「摂理」として受け入れるようになったが、その時のトラウマの記憶は今日までまだ残っている。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-632.html




■六マリアの一人で劉孝元協会長(36家庭)の親戚の劉信姫の証言

--文鮮明との復帰について詳しく話してくれますか?

:ある女性信者一人にだまされて、夜遅く真っ暗な文鮮明の部屋に行きました。
そしてそこで復帰を受けたのです。私の場合、ごく短い時間で瞬きするほどの早さで終わりました。
サタンの血をきれいにするためには、まだ後2回復帰を受けなければならなかったわけですが私は1回だけで終わりました。

--それはなぜですか?

:文鮮明は複数の女性との関係が多くて、次はいつ私の番が回ってくるかはわからなかったし、また、よくない話を聞いたためでした。同じく避難民時代に、それはほかでもないボンネッコル(今は聖地として指定され統一教会信者たちが世界各地から崇拝しに来る)当時、ある彼女はその近くに住んでいたため彼女の父と文鮮明は毎日、一緒に登山したり散歩したりする仲でしたが、ある日彼女も一緒に手をつないで朝、登山していた途中で、文鮮明がまだ世間知らずの彼女を穴倉に引っ張って行き、性暴力をしひどい出血をしたと泣きながら話をするのを聞いたんです。どんなに復帰と言う名分とはいえ、堕落だとか、復帰だとかまだ全然聞いたこともない世間知らずの幼い彼女に、そんなひどいことをするなんてできますか? その話を聞いて私は残り2回の復帰を断念しました。
http://ameblo.jp/chanu1/entry-10718275750.html




■17歳の高校生だった崔淳華も1953年に釜山の修練会に参加していた

<喜進の母(金明煕)の証(ファミリー2005年6月号)より>
 国際市場から出て、叔母について影島にある統一教会に行きました。あとから知ったことですが、そこは申聖黙氏の家であり、劉孝元先生と劉孝敏氏、そして劉孝永氏たちが、一九五三年十二月二十四日に入教し、真のお父様が修練会をしていらっしゃるときでした。そして、その修練会が二週間目になる時期だったのです。
 わたしたちが到着したとき、礼拝はすでに始まっており、家の外の近所まで祈祷の声と泣く声が騒がしく聞こえてきていました。門の前に行くと、真のお父様が泣きながら祈祷される声がしていたので、外で二十分ほど待ちました。
 祈祷が終わり、部屋に入っていくと、部屋の戸は一つだけでした。わたしは、あまりにも多くのうわさを聞いていたので、ズボンを三つはいてきました。そして、万が一の場合に備えて、戸の前に座りました。何かあれば、飛び出していこうと考えていたのです。
(中略)
 午後に、しばらく休む時間がありましたが、見るといつの間にか高校生が前に来て、座っていました。その人が、天然色で啓示を受けるという崔スンファさんでした。真のお父様は、崔スンファさんに「あなた、何か受けましたか?」と聞かれると、何かを答えていました。


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