文教祖が小学校(普通学校)を卒業したのは18歳ではなく16歳(2) | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

「文教祖が小学校(普通学校)を卒業したのは18歳ではなく16歳(1)」の続きです。

統一教会史では、文教祖が18歳で小学校(普通学校)を卒業したことになっています。
しかしよくよくみ言葉を読んでみると、文教祖自身が中学校時代が満16歳(数え17歳)だと述べているのです。
なぜソウルの中学校入学年度をわざわざ改ざんしたのでしょうか。
そしてイエスからの啓示年齢も16歳から15歳に変更したのでしょうか。
結論からいうとソウルの中学校に入学した直後の16歳の時に「淫乱宗教」に傾倒し始めたからです。それを隠蔽するために、啓示を受けた年齢も場所も変更したと考えられます。
文教祖が儒教からキリスト教に改宗した最初の宗教が、正統なキリスト教ではなく異端の淫乱宗教だったとしたら・・・。

文教祖は故郷を離れてソウルの中学校に入学する16歳までは「人生(原理)のこと」や「神のこと」について、真剣に考えたことはなかったと語っています。
初めてキリスト教(異端)に入信したのも、ソウルに上がってからだと推測されます。
実は文教祖の家庭は両親も兄弟も自分も、もともとはキリスト教を信じていなかったのですから。

本来先生は、キリスト教を信じていませんでした。私の両親はキリスト教を好んではいませんでした。なぜ、イエス様だけが救い主なのでしょうか。イエス様よりもましな救い主もいるであろうに。イエス様は、イスラエルの国を救おうとしたのですが、失敗して亡くなりました。世界の救い主となれなかったのに、どうしてメシヤなのでしょうか。こう考えると、世界の救い主となれなかったので、世界の救い主となるためには再び来なければならないのです。』
(根本思想 1990年1月12日 韓国)

『今度は長男の龍壽氏が精神異常をきたしたのです。
文昇龍氏によれば、(※文教祖の兄の)龍壽氏は屋根の上にあがったり、包丁を持って、
「キリスト教徒は皆殺しにしてやる」などと叫び出したそうです。

(1995年光言社刊 武田吉郎著「聖地定州」より)

家族中でキリスト教を嫌っていた環境で育った文教祖は16歳でソウルに行き、異端のキリスト教にはまります。

(信者の質問「先生は何時頃からこういうこと(原理)をお感じになられましたんですか?」)十六歳の時かな。その以前も大いに感じたんですね。十二歳からズーッと。』
(統一旗授与式後の和動会および御言 1965年1月29日 本部教会(渋谷区南平台))

文教祖は「原理(神)をいつごろから感じたか」の質問に対して「16歳」と答えて、そのあとすぐに「12歳」と言い直していますが、文教祖は12歳の時にはキリスト教と関係なく、まだ博打(賭博)にのめりこんでいたときです。
16歳から神や原理のことを考え出したというのであれば、故郷(定州)にいたときは、家族はキリスト教に改宗せず、キリスト教会にも通っていなかったとも考えられます。

さて文教祖のいう中学時代とは「ソウル下宿時代」を指します。
小学校(普通学校・国民学校)の卒業式の年齢が16歳だったというのは、(1)で検証済みですが、今回は中学校時代の年齢を検証してみたいと思います。


<この道(宗教)を出発したのは満16歳(数え17歳)>
『そのように理解して、きょうのこの「天宙統一国開天日」が何回目ですか? (「十六周年です。」)十七歳です。先生が十七歳で出発したのと同じなのです。
十七歳の時、イエス様もマリアと自分の行く道はこのようなものではないと談判したのです。
ザカリヤ家庭においてです。それとちょうど同じです。新紀元の覇権を握っているのです。十五を超えれば、一人前の男だというでしょう? 男性は十五歳で、一人前だというではないですか?そして十七歳で、すべてのことを始めたのです。』

(第十七回「世界統一国開天日」の御言 2004年10月3日 韓国九里市 中央修練院)

つまり啓示を受けたのも、異端のイエス教に入った16歳のときの1936年。ちなみに「4月17日の復活節(イースター)」は異端イエス教で決めていた復活節です。


<中学校時代にソウルで日曜学校の先生>
『昔、先生は中学校時代、学生時代、青年時代は主日学校の先生として有名だったんです。』
(神を感動させる歩みを 1976年6月3日 ニューヨーカー・ホテル)

中学校時代(ソウル上京後)から異端イエス教の日曜学校を担当。


<中学校時代(=ソウル下宿時代)は満16歳>
(嘘の経歴を出しているため設定が定まらないのか年齢がまちまちなのに注目)

『放浪者のように(全羅南道)長興から、中学校時代ですから、16歳のとき長興から・・・旅行を始めたのです。』
(「文鮮明先生御言選集」481巻より)

ここではっきり「中学校時代=16歳」と述べています。懐かしい話をしていて、瞬間的に、つい本当の年齢が口から出てしまったのでしょう。
教会史では満18歳で中学校入学したことにしているため、ソウルの中学校時代は満18歳、19歳、20歳、21歳のはずなのですが。

『(全羅南道)長興というところ、私が15、6歳のときに韓国の全地域を巡回したのですが夏になる前の・・・長興から出発しました。』
(「文鮮明先生御言選集」463巻より)

『昔、学生時代に行って見ました。・・・全羅南道長興から先生が15、16歳の時、全国を巡回するために出発しました。』
(「文鮮明先生御言選集」435巻より)

『私が17歳から長興を、15歳ぐらいになったときだったか...。』
(「文鮮明先生御言選集」472巻より)

『昔、長興を中心として4月頃、麦が青い色になる頃、16、17歳頃に三千里半島を出発しましたが・・・』
(「文鮮明先生御言選集」439巻より)

『先生が14、15歳の時に八道江山(韓国全土)を遊覧しながら長興から出発しました。』
(「文鮮明先生御言選集」420巻より)

『私が17歳のとき全羅道の長興、孝律(金孝律)の村から旅行を出発しました。』
(「文鮮明先生御言選集」484巻より)

『私は幼い頃、八道江山(韓国全土)を歩き周りながら、全羅道を歩き周っていましたが一人で行って見たら長興まで行きました。』
(「文鮮明先生御言選集」383巻より)

別のみ言葉をみると長興から出発したのは「二人で」だったようです。
そして「南北が分断されたのは、この時(16歳の時)、私が全国を周りきれなかったから」と誇大妄想炸裂発言しています。

『放浪者のように(全羅南道)長興から、中学校時代ですから、16歳のとき長興から・・・旅行を始めたのです。
そこの若者、私の相手としてカインのような人を連れて、そこ(長興)を出発して、どこに行くのかいうと、内陸に入るのです。次は大きな通りに出て車を運転していく人を立てようといって、トラックや三輪車の運転手が乗せてくれなければ喧嘩をしてでも連れて行ってくれなければ駄目だと言いながら、八道江山を遊覧して周りましたが、すべては行けませんでした。私がすべて(朝鮮半島全土)を周れなかったために、南北が分かれたと考えているのです。

(「文鮮明先生御言選集」481巻より)

文教祖が16歳で出会ったイエスは、異端淫乱教義の中のイエス像だということです。
そしてその後、文教祖は独自の淫乱教義で、婦女子を巧みな話術で騙し、凌辱し、金品を騙し取っていくことになります。


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