文教祖の父が牧師の推薦でアメリカ留学しようとしたのに何故キリスト教に改宗していないの? | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■文教祖の父が牧師の推薦でアメリカ留学しようとしたのに何故キリスト教に改宗していないの?

「真の御父母様の生涯路程1」にも文教祖の父親のことについては少し書かれていますが、文教祖の父親がアメリカに留学予定だった」ということは、バッサリ削除されています。
文教祖は自分の父親がどれほど頭がよかったかということを自慢したくて話したつもりだったのでしょうが、もしかしたら事実と違っているため、あとあと問題になるといけないのでカットされたのかもしれません。

信者の方もあまり聞いたことがないのではないでしょうか?

しかし疑問なのは、そんなに頭脳明晰な跡取りの長男なのに、結局、中学校も卒業させてもらっていないということです。優秀なら何か道もあったはずでしょう。
しかし結局、家業の農家を継がせただけです。人一倍に出世欲の強い韓国人であるのにです。

それに船が来なかったから留学に行けなかったという話しがあるでしょうか。
アメリカのキリスト教宣教師指導の下に留学が決定されたとするならば、キリスト教に改宗していないとおかしいのではないでしょうか?

外国人宣教師は単に人助けのために「留学生制度」を行っているわけではありません。それは植民地支配の一戦略として他国の原住民をキリスト教化するとして行われるものなので、頭がいいというだけでなく、思想や宗教に関して受け入れた者を支援したはずです。
叔父が牧師だというだけでアメリカ宣教師が留学まで支援するでしょうか。

しかし文教祖の両親は、文教祖が15歳になるまでキリスト教に改宗しませんでした。
何故なのでしょうか。

文教祖の息子を不倫でしかも未婚で生んだ金明煕女史ですが、彼女も統一教会に入信する前は、キリスト教宣教師の支援で留学する予定でした。実体血統転換儀式で妊娠してそれは適いませんでしたが。

ですから宣教師主導で留学する場合は、基本がキリスト教信者のはずなのですが・・・。

文教祖はその時のことをこのように語っています。

『長老教の宣教師アンダーウッド(アメリカ長老会の韓国最初の宣教師)の養女が金明煕だったのです』
(「文鮮明先生み言葉選集」407巻より)

『金明煕は延世大学に通いながらアンダーウッド長老教宣教師の養女だったといっただろう?』
(「文鮮明先生み言葉選集」421巻より)

※アンダーウッドは統一教会の霊界メッセージにも登場しています。

金明煕女史の証しでは

『わたしが幼稚園に通っているとき、父親は改宗して洗礼を受け、伝道師になりました。・・・父親は、キリスト教の家庭教育を徹底して行いました。・・・また、小学校二年生のときから、早朝祈祷にも通いました。そして、復興会があれば、三里余りの道も歩いて通ったのです。・・・わたしが小学校四年生のとき、父親は平壌神学校に通い、牧会も平壌近郊の大同郡斧山面南宮里(現在の平壌市)という所で行うようになりました。・・・当時、わたしは延世大学校で、学校のYWCA(キリスト教女子青年会)の代表でもありました。・・・わたしは、個人指導を受けて英語の勉強をし、一九五四年三月に米国に行くことを、宣教師と約束していました。
(「精誠の道、原理の道」より 金明煕の証)
 
話をもどします。
文教祖の父が留学しようとしたのは数えの16歳くらいのときですから、1908年で併合直前です。

文教祖の父:文慶裕(称号:忠父様 陰暦1893年7月11日生~1954年10月11日他界 享年61歳)
文教祖の母:金慶継(称号:忠母様 陰暦1888年10月15日生~1967年1月7日他界 享年78歳)

(「真の御父母様の生涯路程1」より)

文教祖の両親が結婚した時期が、母親が20歳の頃だそうなので、数え年20歳(19歳)で計算すると1907年です。おかしいですね。結婚したてで、しかも跡取りがアメリカ留学???
母親が満20歳で結婚したとしても、1908年です。
それとも留学できなかったので5歳年上の女性と結婚させたのでしょうか。

それに併合前の李氏朝鮮は儒教国でキリスト教弾圧国でした。
文教祖の故郷の定州は李氏朝鮮末期の1899年に長老派のキリスト教会が出来ます。
そして1909年(1913年という説もある)には文教祖の父の叔父が牧師を務める長老派教会が地元に設立されるのですが、そんな環境でも文教祖が15歳になるまで両親は熱心な儒教徒で改宗しなかったといいますから、文教祖の父親はまったくキリスト教の素地がなかったようです。

それに文教祖の兄は悪霊に取り付かれ包丁を持って「キリスト教徒を皆殺しにしてやる」と言い出すくらいに、キリスト教を嫌っていたようです。
改宗したのは息子・娘が精神異常をきたして仕方なく、キリスト教会に通いだしただけなのです。

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(悪霊に取り付かれ包丁を持って「キリスト教徒を皆殺しにしてやる」と気が狂った文教祖の兄の文龍寿氏)

そういう家庭環境で生まれ育ったのが文教祖です。

説明が長くなりましたが、み言葉を読んでみてください。

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頭脳明晰だった真のお父様の父について

父は学者タイプであり、活動を中心とした創造の能力は母が持っています。ですから私は母の血筋を受けました。私の父の記憶力というのは、偉大な学者になれるくらいです。そのような頭を持っているのです。

元々は父が16歳のときにアメリカに行って勉強しようとしました。それは大叔父(※祖父の弟の文潤国)がすべてコーチしたのです。神学校の先生たちがすべてアメリカ人ではないですか? それでよく理解し、勉強もよくできたので希望すれば留学させてあげるという約束があって推薦したのです。私の父は直系長男です(跡継ぎです)。16歳の時にアメリカ留学に行こうとしました。

留学に行くにはですね、大学に入るためには中高等学校を出なければなりません。 4年以上の中学校を出なければならないのです。ですから16歳、17歳の時、中学校過程を完全に覚えてしまいました。そのように頭が良いというのです。勉強した本をみてみたら全て新しい本です。それはなぜかというと父がそれを覚えたというのです。その時、化学の問題を解いてみると、父が "お前、それは私がわかるか、わからないか" といいながら"何ページを開いて見てみなさい。こうこうなっているだろ?" そうやってずっと覚えるんです。

だから自信があるので五山中学校を中心として、学校の責任の下に名前を付けて、そのような実力があるので、中学校にも通いませんでしたが、校長の許可を引き受けて父に米国留学に送るために支援をして留学に行く予定になっていたのです。

その時、船が(平安道の)鎮南浦から出ることになっていましたが、いまでいう南浦というところが鎮南浦ですよ。平壌から100里ほど離れていますが、仁川とちょうど同じです。(平安北道の)定州から船に乗るには鎮南浦に立ち寄らなければならないのです。しかし船がいつ来るか分からないのです。いつ来るか知らないのです。会社も約束にどおりに来ないことがあるので、いつ来るか分からないのです。

そんなこんなで長男が留学に行くといって家では、その時、豆を180俵を売ったそうです。何と何と何を売って、数年間勉強できるくらいのお金を預けて旅立つようにして送ったのですが、鎮南浦に出てずっと待っているのです。一ヶ月待っても船が来ないのです。(笑)六ヶ月たっても来ないというのです。来ないのだから(留学)することができますか?

ですから曾祖母が直系長男(跡取り)が滅びると言って連れ戻しにいきました。連れ戻すときに「お金はいくらでも使っても大丈夫だ。あげたのだから」といわれて、(結果的に)美味しいものを食べて泊まって家に帰ってきました。(父が)戻ってこなかったら先生が生まれますか? アメリカに行って勉強して・・・私も学博士になれる素質が豊富にあるのです。父の記憶力がすごかったのです。それで(父は)教会に行っても賛美歌400ページもあるのを"何ページ!"といって全て覚えました。賛美歌を持たずに通いました。

(「文鮮明先生み言葉選集」322巻より)
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