延命治療中止(安楽死)なんてとんでもない!植物人間になっても生きたかった文教祖 | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■延命治療中止(安楽死)なんてとんでもない!植物人間になっても生きたかった文教祖

人間は年を取れば誰でも不安になるものです。
妻、子供、弟子は自分が痴呆や寝たきりになって身体の自由が利かなくなっても、果たして自分を見捨てないだろうか。
それは自称メシアである文教祖も例外ではなかったようです。

2004年、文教祖が84歳の時のみ言葉ではこのように吐露しています。
100歳、120歳、1200歳まで生きることを願わないといいながら、自分(文教祖)が「痴呆」になっても、「植物人間」になっても長く生きることを願いながら弟子や家族は孝子として侍ることが出来るのかと。

『さあ、先生が百歳まで生きることを願いますか、願いませんか? (「願います」)。百二十歳まで生きることも願うのですか? (「はい」)。三百歳まで生きることも願うのですか? (「はい!」)。千二百歳まで生きるのも願うのですか? (「はい!」)。私は、何も願いません!

 どうするつもりですか? 願わないのに、それを願う者たちは、反対する群れですか、協助する群れですか? 答えてみてください。(「協助する群れです」)。口を閉じて黙っていなさい。恥ずかしいことも知らずに、何がどうだこうだと言うのですか? 恥ずかしいことを知らなければなりません。先生が日付を決めて、「私はいつ(霊界に)行きます」と祈祷するならば、それよりも長く生きることを願う人は、どれほど野蛮人ですか? 反対する敵だというのです。

 見てください。先生が痴呆になり、右側に行っているのに、「私は左側に行く」と言うようになるのではないですか? そのようなとき、何と言いますか? 正常な人で、そのような人は一人もいません。統一を論じ、世界の正しい道を正常に論じていた人が、百二十歳まで生きて痴呆になり、そのような話をすれば、みなどのように思うでしょうか?

 そのような主人が残っていれば、「統一原理」を信じている人たちが、「ああ、先生。御言の権威を立てるためには、このような恥ずかしい現象が現れる前に、早く(霊界に)行ってくれればよかったのに」と思うようになるのではないですか? 「統一原理」を信じている人たちは、先生が「もっと狂ったことをしなさい」と言えば、どうするつもりですか?

 先生が十年、二十年、植物人間になったとすれば、そこで「孝子になりたい」と思う人は、手を挙げてみなさい。日本人。十年、二十年、四十年間、植物人間になっていても、「孝子になり、国の忠臣、世界の忠臣、聖人、聖子の家庭にならなければならない」と教えてあげたのですから、四十年間、植物人間に侍ることができなかったということが事実ならば、家庭までも否定され、息子・娘までも否定され、子供まで否定される、ということを知らなければなりません。正しい話ですか、正しくない話ですか? この者たち!

 「先生のために生きました。私たちを理解してくれなければならない」と言って、肩をいからせて威張るなというのです。それが何の役に立つというのですか? 神様が願われる、原理原則に合う人が一人もいません!』

(「以北出監五十四周年・霊界統一解放四周年」記念式でのみ言葉 2004年10月14日 天宙清平修錬苑)


このみ言葉からわかることは、文教祖はたとえ痴呆になっても、植物人間になっても100歳、120歳まで生きたいと思っていたということです。
「真の孝子(真の親孝行者)」なら、親が植物人間になっても延命治療を中止せずに何十年も侍るべきだ、もしそうできない子供や弟子たちは家庭破綻し災いが起きると言っているのです。

ですからどんな理由があろうと文教祖の妻や子供や弟子たちは、延命治療をしてでも長く生存させることに尽力しなければいけなかったということです。
このみ言葉からは、そう読み取れます。

もし文教祖をどんな理由であろうと、延命治療の中止(安楽死)させたとしたら、それは統一教会的(み言葉的)にいえば「天法に反する」となるでしょうね。

七男(文亨進)は文教祖が入院したとき弟子たちが「お父様を殺せ」といって安楽死させたと暴露していましたが、そういうことを文教祖は望んでいなかったわけです。

どんな方法をとっても長生きしたいと思っていたのですから。



文教祖は80歳になった2000年ごろから、自分がボケたらどうしようと不安な気持ちをみ言葉で語っていました。
妻や子供、弟子に捨てられたらどうしようとよっぽど不安だったんでしょう。
実際、文教祖は周囲からボケ老人扱いされたいたために「ボケ老人扱いするな!」というみ言葉を語ったのでしょう。
(参照:文鮮明教祖は2000年ごろから痴呆になるのを恐れていた

『わたしがその病気(痴呆)にかかれば、「千年万年、健康な父母として侍ります。」と言う孝子、忠臣家庭が何家庭あるでしょうか?』
(2004年10月3日のみ言葉)

面白いのは、「痴呆症はサタンによる悪霊現象」だと文教祖が言っていることです。では、文教祖の痴呆症も悪霊現象ですか(笑)

痴呆が起こることも、世の中で良心自体が麻痺して肉体に主管されれば、地獄の霊人体と対話しながら痴呆が起こるのです。そのような人は、善の霊人を通し天国の理想を記憶させて、順次浄化して昇華、昇天するようにしてあげなければなりません。』
(「人間の生と霊魂の世界」より 1994年3月17日のみ言葉)

「痴呆症」に関するみ言葉を年代順に並べましたので、文教祖の心境の変化がわかると思います。

だから、ぼけが必要なのです。ぼけ現象。「日本はだめだ」と記憶したまま霊界に行って、忘れなかったら大変です。みんな忘れて行ったのだから、(きみたちに)会えばほほえむことができるし、きみたちが「どこかに案内してほしい」と言えば、先生は「案内してあげるよ」と…。
 全部忘れて、そういう軽い身になって、子供の友達、青年の友達、女として愛を中心として旦那さんの友達、お父さんの、おじいさんの、王様の、神様の友達(になるのです)。変わらない思想です。』

(南米巡回時最後のみ言葉 1996年3月6日)

先生は、おかしな人です。1度しっかりと記憶すれば忘れてしまわないのです。それが心配なのです。何も知らないで、今……。何、痴呆? 80になったのですが、まだそうなっていないのです。おじいさんでも、賢くてはっきりとしたおじいさんです。コンピューターが私に来てあいさつをする、そのようなおじいさんだと思えば間違いないのです。私の頭に入れれば永遠に忘れません。霊界まで行っても記憶しているのです。地上で自分が誤ったことがあれば、解かなければなりません。』
(「人間の生と霊魂の世界」より 1999年1月1日のみ言葉)

『それゆえに、年齢が八十になれば、痴呆症になって町内にうわさが立つこともありますが、自分が愛する人は忘れません。自分の夫の名前もすべて忘れてしまいます。自分の母を、「お」と言って「かあ」という言葉を忘れてしまい、「かあ」という言葉がどこに行ったのか捜すのです。自分の妻の名前が金某ならば、「金」と言って次の言葉を捜し回るのです。忘れてしまうのです。思い出せそうで、思い出せません。
 そのようになったとしても、愛する息子よりも愛する孫は、いつでも訪ねていくことができるというのです。ですから、おじいさんの愛を受けることが幸福であり、おばあさんの愛を受けることが幸福なのです。おじいさんとおばあさんに侍ることができず、一緒に暮らすことができなかった人は、不幸な孫、孫娘であり、不幸な男性、女性なのです。』

(第十三回「世界統一国開天日」記念礼拝のみ言葉 2000年10月3日)

八十歳を超えれば、“ぼけ”というものがあるでしょう? そのようなとき、皆さんは、どのようにするのですか? もっと混乱が起き、「先生が来る。」と言えば、皆、隠れるのではないですか?
(私たちの家庭はどうすべきか 2001年1月29日)

『ぼけたおじいさんは、「お母さん」であるか何であるかを忘れて、「おおおお、(笑)かあああ。」と、捜して回るのです。そのような年齢の先生であるにもかかわらず、六十年前に使った日本語を堂々と語って、皆さんの耳に逆らわず、聞き取ることができるような話をし、発音するということは、偉大なことです。(「はい。」)ですから、この韓国語を完全に勉強して、流暢に話せるようにすれば、世界の言語を語ることは問題ありません。』
(第十四回「世界統一国開天日」記念礼拝のみ言葉2001年10月3日)

『しかし、老人ぼけにかかって、頭のおかしくなった父親であっても、その父親に対して、幸福な母親に対する以上に侍って、慕っていくような孝子、国に対しては忠臣、聖人、“聖子”とならなければなりません。その栄光の道は、“私でなければ、完璧に成すことができる人はいない。”と考えて、主体的な観念を持って、越えて行かなければなりません。』
(第四十三回「真の子女の日」記念礼拝のみ言葉 2002年11月5日)

今からは、痴呆と言うのか分かりませんが、わたしがその病気にかかれば、「千年万年、健康な父母として侍ります。」と言う孝子、忠臣家庭が何家庭あるでしょうか?
(第十七回「世界統一国開天日」のみ言葉 2004年10月3日)

『見てください。先生が痴呆になり、右側に行っているのに、「私は左側に行く」と言うようになるのではないですか? そのようなとき、何と言いますか? 正常な人で、そのような人は一人もいません。統一を論じ、世界の正しい道を正常に論じていた人が、百二十歳まで生きて痴呆になり、そのような話をすれば、みなどのように思うでしょうか?
(「以北出監五十四周年・霊界統一解放四周年」記念式でのみ言葉 2004年10月14日)

『忘れてしまってもよいのです。百回読めば一人でも読むようになっています。ぼける時が来たのですが、そうならずに参席してくれればよいのです。分かりますか?
(「分かりました。」)それを決めますか? (「はい。」)決めれば、その横の人と決めたのかを尋ねてみて、決めたのなら握手してください。(笑い)』

(「神様王権即位式四周年およびイエス様ご聖誕記念式典」のみ言葉 2005年1月3日)

『先生は、間違った話をしているのではありません。年を取ったおじいさん、ぼけたおじいさんではありません。賢いおじいさんの話は、一つも間違いがなく、いくらあらを探そうとしても探すことができません。答えなければ追い出されるようになっていることをはっきりと知らなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かります!」)。』
(「天一国五年特別祝福」候補者へのみ言葉 2005年2月8日))

『「おまえもぼけたことをするおばあさん、おじいさんになってみなさい。」として、おじいさんやおばあさんが来て、「あなたがおばあさんやおじいさんによく接待できなかったことを、おまえも一度、味わってみなさい。」と言うのです。』
(「双合十勝日」二周年記念式典のみ言葉 2006年5月5日)

『わたしが年を取っているからといって、「あの老人は、ぼけているから、あのような話をする。」と考えてはならないのです。』
(第十回「七・八節」記念礼拝のみ言葉 2006年7月31日)

『「侵害」です。「害なので沈んだ」という話です。役に立たないということです。かえって妨害です。長生きしようとすれば、朴正敏さんのように痴呆にかからない自信がありますか? 今、九十四歳だそうですね。わたしは九十二歳だと思っていたのですが、二歳上の九十四歳だそうです。』
(「双合十勝日」三周年記念式典のみ言葉 2007年5月5日)

『二番目は、街を清算したならば、川の水を清算しなければなりません。川の水がすべて腐りました。山にいる動物たちも、川の水を飲んで痴呆になっています。それを飲んで病気になるようになっていて、伝染病をうつすものになっているのです。それを燃やして新しい種を培養し、散布しなければならないというのが事実だと考えているのです。』
(「天宙平和の王真の父母様天正宮博物館奉献・戴冠式二周年記念午餐会」のみ言葉 2008年6月13日)

80歳をすぎての韓国語のみ言葉選集にも「痴呆」「植物人間」のみ言葉は物凄くたくさんあります。
よっぽど不安だったんですね。
2000年から2008年ごろまでは、三男がいたのに不安がっています。
ということは弟子だけではなく三男も不安原因確定です。

しかし結局、文教祖は弟子によって延命治療中止(安楽死)という最後でした。
お金(利権)が絡むと、私利私欲のために真の家庭なのに弟子も妻も子供もないんですね。
こんな方たちが「世界平和や地上天国、人類一家族、家庭完成」をスローガンにしているのですから、笑えます。





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