文教祖の大叔父(文潤国)が独立運動家だったのも嘘だとしたら | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■文教祖の大叔父(文潤国)が独立運動家だったのも嘘だったら、文教祖がメシアとして生まれた根拠の説明も嘘ということになる

大叔父(文潤国)の逸話は嘘が多いのは確かです。
李承晩大統領は友達である大叔父(文潤国)にヘリコプターを送って」などというみ言葉は嘘です。なぜなら李承晩大統領が就任した1948年はまだヘリコプターは実用化される段階ではありませんでした。
あと大叔父(文潤国)は3.1独立宣言文の作成者の5人のうちの一人だったとか、文教祖は李承晩とともに自由党創立の5人のうちの一人だっけけれども既成キリスト教会に追い出されたとか、怪しいみ言葉が盛りだくさんです。

<当ブログに寄せられたコメント>
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9. 文潤國の雲隠れ
独立運動に関わったという話は後付けです。当時の親族は誰も知りませんでした。
同姓同名の故人の墓を探し、遺された漢詩の束という証拠品を利用して独立運動に参加していたことにしたという経緯です。
ちなみに文姓の本貫は半島の数ヶ所あり、この墓地は、韓国東北部の山間を起源とする別系統の文氏の発祥地のものであり、その中の一人と見ます。

(真の伯父/じじい50 2015-02-04 20:12:51)
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(※このことを説明している文教祖のみ言葉はこの記事の最後に載せました)

じじい50さんにはぜひもう少し詳しく説明していただきたいところです。


(文鮮明教祖家系図)

じじい50さんは文教祖の大叔父(文潤国)と同姓同名の別人を大叔父(文潤国)に仕立てあげたということですが、もし文教祖の大叔父(文潤国)が独立運動家だったのも嘘(捏造)なら、現在教会が説明している文教祖のがメシアとして生まれた根拠も崩れます。

しかしその前に、文教祖の両親にはヨセフとマリアの失敗の蕩減が残っているはずです。文教祖の母親が10代の処女でもなく、文教祖の上にすでに姉兄がいて、文教祖を産んだ後も両親がメシアとして侍ることもなく、両親が夫婦関係(性関係)を続けていたことも矛盾しているのですが。

教会が文教祖の母親がメシアを産んだ最大の要因に「命がけ(命の危険にさらされた)」ということを挙げています。
タマルやマリアのような神からの啓示や命令による「命がけの信仰」ではありません。
文教祖の母親はキリスト教徒ではありませんでしたし、「あなたはメシアを生む」という神や天使からの啓示も受けていません。
命がけというのは、文字通り信仰に関係ない「命の危険のみ」を指すはずなのです。
さらにその当時は、朝鮮半島は日本です。文教祖は日本に誕生したのです。
さらに韓半島のキリスト教人口は2%もおらず、キリスト教国家ではなもありません。文教祖の家はキリスト教徒ではなく、儒教徒です。
つまり、文教祖はキリスト教国家でもない、日本に儒教徒として誕生したのです。

原理講論の選民はユダヤ人からキリスト教徒に移ったということさえも、文教祖には全く当てはまらないのです。文教祖も母国も「選民=キリスト教徒」ではなかったわけです。


教会の説明ではいろいろ理屈をつけて(太田朝久講師「真の家庭の十字架路程と勝利(4)」再臨主の誕生と血統転換より)では、「命がけの信仰」としていますが・・・。


『先生が生まれた一九二〇年代の韓国は、三年続きの凶年となり、非常に困難な時でした。また、三・一独立運動を中心として、日本に対して反旗を翻し、新しい闘争が始まった時でした。三・一独立運動が起きた翌年である一九二〇年に、先生は生まれました。先生の一家が独立万歳事件を中心として試練を受けたその基盤の上で、先生は生まれるようになりました。』
(「文鮮明先生の教育哲学」より(選集168巻 1987年9月1日のみ言葉))

文教祖を妊娠した1919年5月21日頃には、独立運動家の親族にまで捜査の手が伸びるかもしれない、そういう弾圧の厳しいときに、夫婦でセ○クスに励んだことが「命がけの絶対信仰」らしいです。加えて文教祖を妊娠した当時は飢饉で食べるものがなく、文教祖の母親は木の皮を食べて飢えをしのいだことが「命の危険にさらされた=命がけの信仰」だという説明もあります。

しかしもし大叔父(文潤国)が独立運動家でもなく、独立運動時に関係なくいつもどおりに平穏に暮らしていたとすれば、「命がけ」ではないということになり、タマルやマリアの「命がけの信仰」を相続したという教会の説明の根拠が崩れるわけです。
(その前に「文教祖はキリスト教国家でもない、日本に儒教徒として誕生した」こと自体、すでに選民ではないのですが)



<大叔父(文潤国)についてのみ言葉>

『以前、文長老も霊界に通じて、こんなことがありました。愛国者の第一級の首謀者として生きてきた私の大叔父さん(文潤国翁)がいました。その人は立派な牧師であり、崔西南善と友達でした。李承晩博士が独立宣言書の起草をする時、大叔父さんも参与したといいます。大叔父さんは神学を勉強したので文筆を大変得意としました。しかし、愛国運動のために全財産を売り払ってしまい、牧師としてもやっていけず、官憲に追われて一生を逃げ回った人です。また独立軍のための資金が必要なとき、兄の家までも皆売り払ってしまった人です。上海臨時政府の軍資金として、当時のお金で七万円を贈りました。これは、当時としては大変な額です。また、おびただしい米やラジオなどを買って、ソウルを中心にして独立運動の組織も造りました。ある時には正にギャンブルのように、鉱山を買い、独立運動をして、兄の財産すべてお売り尽くして夜間に逃避しました。その時代は他に方法がなかったのです。私の母はそのような大叔父さんを見て、祖先の財産をすべて売り尽くしてしまったと思うのです。

 先生が幼いころ見たその大叔父さんの姿は、とても背が高くて美男子でした。李博士とも友達であり、李博士が大統領になった時、旌善(ゾンソン)警察署からヘリコプターを二度も三度も送って、「李政権を助けてくれるように」と頼んできたそうです。その時に、李博士を助けてあげていれば、李起鵬が(注:当時副大統領であり、朴マリアの夫である。一九六〇年「四・一学生義挙」時、息子に殺される)あのようにはならなかったことでしょう。大叔父さんは宗教がどこに向かっているのか正しく知りませんでした。世界を救うために宗教家としてどうあるべきかが分からなくて、協助を拒んだのです。それで、私のような者が苦労することになったのです。 
 それで大叔父さんは霊界に行ったのですが、その功労のゆえに旌善の文氏の宗家で勲章を授与されています。そこには漢学者が多く、慶尚北道、江原道の東海岸一帯に住んでいましたが、彼らがつくった詩を大叔父さんは批評してあげていたからです。そのようにして他界したのですが、そのことを誰も知らなかったのです。それがある時、文長老の夢の中に大叔父さんが現れて旌善のある人の住所を教えて、「私はその人の庭のどこどこに埋葬されているから、訪ねてくるように……」と告げたのです。そこでその住所に手紙を書いて出したところ、返事が来たのです。

 文氏の家系にはこのような霊的な出来事が非常に多いのです。それで文長老は大叔父さんお墓を移葬したのです。先生はこの大叔父さんを無視することができません。それで文社長と文長老を通して、坡州(パジュウ)に安住させるようにしました。今、坡州にあるお墓は、その牧師の大叔父さんの墓なのです。もし、上海の臨時政府に送った大叔父さんの手紙や記録が残っていれば、銅像を立てなければならないのです。先生はそういう愛国者の家の出身なのです。分かりましたか?(はい)。』

(韓国は人類の祖国 1989年6月18日 韓国・ソウル本部教会)

私のおじいさんは三人兄弟だったのですが、おじいさんの末の弟(文潤國氏)は牧師でした。この方は、三・一独立運動当時、平安北道の総責任者をしながら、全国の責任者と内的な計画をしていました。そのようにして、五山学校の職員と教会の信徒、五山の住民たちを率いて万歳示威運動を展開しました。この時、首謀者として日本の警察に逮捕されることによって、獄中の苦しみの生活を二年間しました。獄中の苦しみから解かれて出てきても、故郷で平穏に暮らすことができず、一生の間、他郷暮らしをしました。日本の警察の迫害から逃げ回りながら、江原道の旌善で生涯を終えたのです。
(「文鮮明先生の教育哲学」より(選集29巻 1970年2月のみ言葉))

私の大叔父さん(文潤國氏)が、孫秉煕先生と独立闘士の同志でした。崔南善先生とは友達です。李(承晩)博士とも、おれおまえという友達でした。大叔父さんは、神学校を出ていて、英語が上手で、漢学者でもありました。漢字を書く人は、みな天才的な頭があります。その系統に因縁をもっているので、私も悪い頭ではなかったようですね。李昇薫氏がその教会の長老です。』
(「以北出監五十四周年・霊界統一解放四周年」記念式でのみ言葉 2004年10月14日 天宙清平修錬苑)




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