文教祖がキリスト教に改宗したのは10歳ではなく15歳 | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■文教祖がキリスト教に改宗したのは10歳ではなく15歳。しかも発行物では年代を追うごとにキリスト教改宗年齢が下がっている

文教祖は儒教の家庭に生まれましたが、統一教会の公式HPには「文鮮明師は愛国心の強いキリスト教の家門で育った」とあるのは、大叔父(祖父の弟)の文潤国が牧師であり独立運動家であったとしていることを受けてこう説明しているようですが、もともと文教祖の家系は、キリスト教徒ではありませんし、家族は3.1独立運動にも参加していません。

そんな儒教家庭がキリスト教に改宗するきっかけを作ったのが、文教祖の姉や兄が狂い(霊が憑依=一般的には精神病)、キリスト教の按手で治ったことから一家がキリスト教に改宗したとしています。

しかしその改宗年齢が年度を追うごとに改ざんされていくのです。

1975年主の路程(15歳で改宗)
文少年の十五歳の頃、わざわいはさらに文少年自体の家にやって来た。
二番目の姉さんが発狂し、上を下への大騒ぎをしている時、兄さんまでが精神異常となった。
ふだんは大人しい性格なのに、ばか力を出し、自分に従わぬ者は殺してしまうとどなって、屋上に飛びあがったり、飛び降りたり・・・仕方なく手錠をはめたら、監視の目を盗んで手錠のまま逃げだし、はては怪力で手錠を壊してしまうという始末、文家の人々はこれはただごとではないと悟り、勧められてキリスト教に入信した

(野村健二(43双)1975年著 主の路程「文鮮明先生の半生-血と汗と涙」より(1975~1976年に「新天地」に連載))

1978年主の路程(15歳で改宗)
『そして一九三四年、十五歳の春、平北定州にある私立五山普通学校三学年に編入、初めて新学問を履修し始められた。丁度この頃、文一族には蕩減の役事としての大きな試練が始まっていた。結婚した二番目の姉と兄が恐ろしい精神異常となり、末の叔父の家では大艱難が相次いで押し寄せた。十六歳になられた一九三五年四月、先生は定州公立尋常小学校四学年(現在の中学校)に転学された。この時から先生は、自転車で遠距離の道を通学された。この頃既に先生は、幼年日曜学校の教師として子供たちを指導しておられ、特にそのみ言により多くの子供たちから深い尊敬を受けておられた。』
(1978年刊「統一教会史 上巻」より)

しかし1978年以降、15歳で改宗したのが10歳ごろまで引き下げられます。
15歳まで文教祖の兄に悪霊が入るなどの災難が起こったためキリスト教に一家そろって改宗したということですから、2009年に発行されている自叙伝(10歳改宗)は間違いということになります。
嘘や捏造・改ざんは統一教会(文教祖も同様)のお家芸なようです。


以下捏造・10歳に改ざんされていく過程・・・・

1995年主の路程(10歳少し超えたころ改宗に変更)
『文少年が十歳を少し超えたころ、家族は儒教からキリスト教に改宗しました。』
(1995年光言社刊 武田吉郎著「聖地定州」より)

1995年には15歳に改宗したことは10歳改ざんされています。それに加えて満16歳でイエスから啓示を受けたのも満15歳に変更されています。

しかし同じ著書の中で失態を犯します。
改宗のきっかけとなった災難の年度をはっきりと書いてしまいます。
1935年は文教祖が満15歳のときです。

『文少年の家庭においても、一九三五年の一年間で五人が死去するという代償を払っています。』
(1995年光言社刊 武田吉郎著「聖地定州」より)

現在統一教会は、最初16歳だったイエスからの啓示を15歳にしましたから、15歳で改宗したとすると、キリスト教徒でもないのに啓示を受けたということになります。
統一教会幹部は、この矛盾を認識しているのでしょうか。

2000年主の路程(10歳余りで改宗)
『先生は北朝鮮にある、地方の篤実な儒教の家庭で生まれました。十歳余りの時、全家族がキリスト教に改宗しました。』
(2000年光言社刊「真の御父母様の生涯路程1」より)

教会は2000年代に入っても15歳ではなく「10歳余りに改宗」したことにしましたが、同じ「真の御父母様の生涯路程1」で編集ミス(ボロを出す)をします。15歳のときまで文教祖の家に災難があったということはそのまま載せてしまったのです

『我が家門、従兄弟から七親等まで、全部が蕩減を受けるのです。事が起こり始めれば、一回りするまでいいことはなく、全部打って過ぎていくのです。それで我が家は、私一人生まれることにより廃虚になったのです。私が数えの十五歳になる前まで、そうした災難が家庭から離れませんでした。こっちで苦しめられ、あっちで苦しめられて、むちゃくちゃに責め立てられたのです。』
(2000年光言社刊「真の御父母様の生涯路程1」より)

下記のもとになっているみ言葉は「数えの十五歳」とは言っておらず、編集で「数え」を挿入しているのがわかります。

『それで、私の一族においては、先生一人のためにめちゃめちゃになったのです。そして先生が十五歳になるまで常に、患難が家族につきまとうのでした。
(昨日と今日 1986年2月16日 ソウル本部教会)

2009年自叙伝(10歳改宗)
私が十歳の頃、牧師である潤國大叔父の影響で、私たち一家は全員キリスト教に改宗しました。次姉と兄の精神的な病が按手祈疇を通して治癒したことから、猫頭山(標高三一〇メートル)のふもとにある徳興長老教会に入教し、熱心に信仰生活をしたのです。』
(2009年金寧社刊 文教祖自叙伝「世界を愛する世界人として」より)

2009年に至っては「10歳の頃」と断定になってしまいました(^^; おそろしや。
それにキリスト教改宗を勧めたのは祖父の弟の文潤國氏ではなく、教会の長老であった文慶天氏(いとこの文昇龍氏の父親)の勧めで、長男の病気を治すため、文教祖一家は教会に通うようになったのです。それに改宗したときは、一生の間、逃亡生活で1935年当時、潤國氏は定州にいないはずです。

10歳でキリスト教に改宗したとすると下記のみ言葉はどう説明するのでしょうか。

『パチンコを一回やってみた、フロリダのホテルで。一つパチンコをやってみた。しかし先生は、十二、三才まではバクチの選手だった。よくやった、これは男の気質に合う。全ての一晩もうけた金でもいっぺんになくなってしまったあとの気持ち、ムッスリした姿、男として体験すべきだよ。だからといってあんた方、それをやれ、と言うんではない。しかし、負けて負けて、もと返さねばならない希望の心というものは、男としては実にすばらしいものだよ。そういう体験もしたことがある。それもやったら負けるという思いでやったらすぐ交替する。やり方が非常におもしろいんだ、けれども勝てなくて、結局周囲にはマイナスになるんだということをはっきりわかった場合にはやるとしてもやらない。宇宙の原則である。』
(神と我々 1972年5月6日 東京・狭山湖)

キリスト教信者になってもバクチ好きだったといいたいのでしょうか。しかもまだ12歳。(博打デビューは8歳)
ああ、そういえば文教祖は死ぬまでバクチ好きでしたね。ラスベガスに念願のカジノを計画し買収しようとしていました。ウルグアイにはすでにカジノを持っています。自叙伝には書かれていませんが。
さらに、カジノを全世界のアベルUN加盟国家に建設しろとみ言葉でも語っていました。


キリスト教を迫害した国や人物は、サタンだと原理講論に書かれていますが、文教祖の兄は悪霊に取り憑かれて、キリスト教に対してこのように言ったそうです。

『今度は長男の龍壽氏が精神異常をきたしたのです。
文昇龍氏によれば、龍壽氏は屋根の上にあがったり、包丁を持って、
「キリスト教徒は皆殺しにしてやる」などと叫び出したそうです。』

(1995年光言社刊 武田吉郎著「聖地定州」より)

そしてサタンと化した文教祖の兄は悪霊払いの牧師に対してこのように叫んだそうです。

『その長老派教会は、文少年の生家から東へ徒歩三十分ほどの所にありました。
 文家の家族が通うようになったとき、教会の牧師は崔宅奎氏(一九〇二-四九?)でした。崔牧師は信者の人から尊敬されていた人物で、またどんな精神病患者でも癒すことのできる人としても有名でした。
 文昇龍氏の話では、崔牧師は龍壽氏の精神病を治すため、遠方から毎晩訪ねてきました。牧師が家に近づくと龍壽氏はすぐに察知して、
 「わたしは死ぬ! 許してくれ!」と口走ったと言います。

(1995年光言社刊 武田吉郎著「聖地定州」より)


(文教祖の兄の文龍壽氏)

儒教(土着宗教)でキリスト教の家系でもなく、一家が悪魔に呪われ、取り憑かれ、さらに「キリスト教徒を皆殺しにする」とまで言っていた家系、そして文教祖本人もバクチ好き。

それでも聖別されたメシアの血統だと思いますか。

参考に・・・・

文教祖の姉も“人食い虎”の霊が乗り移り、気が狂ったそうです。

『嫁ぎ先の義父の弟が昔、山に行って虎に襲われ死にました。そのため嫁ぎ先の家では年に一度祭祀を執り行い、虎の好きな犬の肉を供えていたというのです。ところが、ある年、次姉が、
 「虎の霊なんてあるはずがない!」と言って、供え物の犬の肉を食べてしまったのです。すると、“人食い虎”の霊が彼女に乗り移り、気が狂った──。
実家に戻ってきた次姉を、文家では易者を招いて太鼓をたたきながらお経(呪文)を唱えてもらいました。また、卜者が桑や挑の棒切れで患者を叩き、取りついている邪鬼を追い払おうとしましたが、できません。
 しかし、しばらくして快方に向かって家族がホッと胸をなでおろした矢先、今度は長男の龍壽氏が精神異常をきたしたのです。』

(1995年光言社刊 武田吉郎著「聖地定州」より)

『霊的な現象は見えない世界で起きるのではなく、実際に見える所でいろいろな現象を起こすのです。ですから、サタンはすべての手段を使って、先生の一家を滅ぼす計画をしたのです。その渦中に、兄(文龍壽氏)と姉(文孝淳氏)が狂って、とても大変なことになりました。若かった時、そのような霊的な背景と霊的世界の問題があったのです。狂ったと思っていた兄が、よく見てみると、何か話をするのです。その内容が途方もないことでした。話す時も、兄が一人でずーっと話しますが、語る方法が違います。一日中、数名の霊人たちが来て話をするのです。それを先生は正しく知ることができました。』
(2000年光言社刊「真の御父母様の生涯路程1」より)



<関連記事>
文教祖の通った後にはぺんぺん草も生えない(霊現象・自然発火・ポルターガイスト・悪霊憑依)
文教祖の父が牧師の推薦でアメリカ留学しようとしたのに何故キリスト教に改宗していないの?
文鮮明教祖の家は奴隷容認だった
真のお母様(韓鶴子)誕生秘話(4)

※初回更新日 2013-01-21 17:29:51
※一部加筆




にほんブログ村