メシアは淫乱を解決(原罪清算)する為に再臨したはずが文教祖自体が不倫しまくりで淫乱の権化 | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■堕落人間にとって「淫乱」だけはメシア(文教祖)によってでしか解決できない問題だったはずが・・・

統一教会では人類始祖が悪魔と性交(不倫なる血縁関係)したために、悪魔が神にとって変わって人類の父母になり、その子孫は悪魔の血統を子々孫々受け継ぐことによって、人類歴史は闘争歴史となり、人類がどんなに幸福を願っても決して「完全な幸福」を得ることはできないと説いています。
現在人類が抱えている問題(戦争、殺人、貧困、離婚、不倫、麻薬等)は、「人類始祖の淫行」から面々受け継がれている罪の根(原罪)さえ無くして(清算)してしまえば、人間の不幸の原因は無くなり、その子孫たちは、もはや悪魔の子ではなく神の子となるので、罪を犯そうとしても犯すことのできない人間となり、その原罪の無い神を親とする人間が増えれば「戦争、殺人、貧困、離婚、不倫、麻薬等」は消えるはずでした。

本然の神の血統の真の子女と原罪が無くなった神の子(祝福二世)が結婚や祝福二世同士が結婚し、さらに純粋な神の血統がこの地上に増えれば増えるほど、人類の問題(闘争、離婚、不倫、麻薬等)は解決するはずではなかったのでしょうか。

『社会的な悲劇は、人間の努力いかんによって、あるいは終わらせることができるかもしれない。けれども、人間の努力をもってしては、いかんともなし得ない社会悪が一つある。それは、淫乱の弊害である。・・・しかるに神は、既にこの地上に、このような人生と宇宙の根本問題を解決されるために、一人のお方を遣わし給うたのである。そのお方こそ、すなわち、文鮮明先生である。
(原理講論 総序)

『我々は次のような事実から、人間の罪の根が淫乱にあったということを、より一層明確に知ることができるのである。罪の根が血縁関係によってつくられたので、この原罪は、子々孫々に遺伝されてきた。そして、罪を取り除こうとする宗教は、みな姦淫を最大の罪として定め、これを防ぐために、禁欲生活を強調してきたのであるが、これも罪の根が淫乱にあるということを意味するものである。
我々は宗教によって人倫道徳を立て、また諸般の教育を徹底的に実施して、犯罪を生みだす経済社会制度を改善することにより、他のすべての罪悪は、この社会から一掃することができるかもしれない。しかし、文明の発達と、安逸な生活環境に従い、増大しつつある淫乱による犯罪だけは、だれによっても、またいかなるものによっても、防ぐことができないというのが現在の実情である。したがって、人間社会から、この犯罪を根こそぎ取り除くことができない限り、決して理想世界を期待することはできないのである。ゆえに、再臨なさるメシヤは、この問題を根本的に解決し得るお方でなければならない。このように、これらの事実は、罪の根があくまでも淫行にあるということを如実に物語っているのである。』

(原理講論 堕落論「罪の根」)


この原理講論のみ言葉を信じて、統一教会に入信し、祝福結婚まで決意した信者はかなりいるでしょう。
一般の恋愛結婚ではだめだ、神の代身のお父様(文教祖)の決めた人でなければ自分も、子孫も、人類も救われないと信者は本気で信じて祝福を受けたのです。

2075双の祝福の時、文教祖はこのように述べています。(赤字に注目)

<縦的な神様の目で見る先生>
『人間を四つのグループに分類することができます。一つは自分なりのやり方をする者、第二は統一教会の方針、方法に従う者、第三にレバレンド・ムーンの方法に従う者、そして第四はそれらの頂点にある神の方針に従う者です。レバレンド・ムーンが神の意見と異った意見をもつことがあるかもしれないというわけでしょうか。ではこれら四つの分類の中で、私たちはいったいどこに焦点をおいたらいいのでしょうか。もっとも優れた方法は「神の方法」です。それは絶対なる道だからです。ではレバレンド・ムーンの方法とはいかなるものでしょうか。その答えはひじょうに単純明快です。先生は「自分のやり方、考え」などというものには関心がありません。レバレンド・ムーンは統一教会の方針にも関心がありません。それにレバレンド・ムーンはレバレンド・ムーンの方法にすら関心がないというのです。レバレンド・ムーンは神の道にのみ関心があります。(拍手喝采)。すべての美しいもの、醜いものを見事にミックスして一つにする、それが神のやり方なのです。皆さんはお互いの姿を見る時、今現在この場に座っているその個人のみを見ています。しかし神の観点からみると同じ人物を見るにしても、縦的な眼と視野をもっています。皆さんが人を見る時は「ああこの人はいい人だ」というような印象を見ているものです。詳しく分析してみると、多くの驚くべきことを発見することができるでしょう。先生が見るのは「調和」ということです。例えば笑う時のことを考えてみましょう。眼も鼻も笑って大声で笑っているのですが、もし口だけが堅く結ぱれて笑っていなかったとしたら、どうでしょうか。全然味けない笑いですね。
 神はその人の背後にある全歴史を見るのです。あなたのお父さん、おじいさん……その前の先祖と全ての先祖の血統圏、ファミリーツリー(家系図)を見るのです。きょうの皆さんはいかにも美しく、ハンサムに見えるようですが、その皆さんの背後の先祖たちの中には、信じられないような悪の歴史があるのです。中には殺人者もいれば、マフィアよりもひどい悪人がいることもあります。
 ここに巨大な木があります。その木自体は実に巨大な木なのですが、その木の殆んどの部分は死んでいて、ただ小さな一本の枝だけがかろうじて生きている、それが神があなたの中に見ておられるものなのです。木に喩えてみます。ここに二つのタイプの木があります。一つは大木ですがその木の殆どの部分が死んでいて、ただ一枚の小さな葉っぱだけが生存しているというものです。もう一つは険しく醜く見えますが、その根は非常に強靭で確かに生きています。どちらがより好きですか。(二番目のです)。ではなぜ皆さんはその二番目の木の方が好きなのでしょうか。なぜなら大木の方は確かに見かけは大きく見えます。しかし実質的には殆んど死にかけてい
て、ほんのわずか残っている根によって、かろうじて生命を維持しているだけなのです。それに比べて後者は見た目はとても醜いのですが、少くとも強い根をもっています。そして確かに「生きている」のです。どちらの木がいいでしょうか。(後者です)。後者は強い根があって養分を吸いとることができますから、その木に養分を与えると巨大なエネルギーとなります。この喩え話には優れた分析と教訓があると思いませんか。
 皆さんがあの人はいい人だとか思う場合も、それは地面に現れた大きな木だけを見てそう思っているだけなのです。誰がその人物の実際の全体像を知りうるでしょうか。ほんの少ししか根が生き残っていないかもしれません。それに比べて、後者はあなたにはとても醜くみえるかもしれませんが、その人はまだ大きな木になっていないだけなのです。しかし強靭な根をもっており、大きな生命の潜在的可能性をもっています。神は皆さんを見ているだけでなく、背後の全系統図を見ているのです。誰が全系統図を見られるという神に近い深い洞察力をもっているでしょうか。誰の目がもっとも確かでしょうか。先ほど先生は人間を四つの範疇に分けました。その四つの中で、皆さんは先生の方法を通して最高の助言が得られるということは十分分りましたね。なぜなら第一の助言は神の助言であり、神がここに来て助言するならばそれが一番いいに決っています。しかし神は見えない神ですから、もし神様が来られても皆さんは神がここに来ておられるけれど、皆さんには姿を現わすことができないのだということが分りません。ですから誰かが神様がなさる基準でそれをしなければならないというわけです。

(二〇七五双約婚前のみ言葉 1982年6月24日 ワールドミッションセンター)

文教祖だけが唯一、神の目で数代前までの先祖背景を見ることができ、的確に相手を選べるというのですから、信じ込んでいる妄信信者たちは、自分たちが選ぶより文教祖に相手を選ぶことを希望するしかありません。
そこには選択の余地はないのです。

しかし文教祖はこの「淫乱の弊害」を取り除くどころか、自ら女性信者を妾、愛人とし、不倫、3P、母娘姦淫、隠し子とあらゆる淫乱を犯してきたのです。

文教祖がメシアだというのなら、少なくとも文教祖の子供は淫乱を犯せないのではないですか?
ところが文教祖の息子、娘はそのほとんどが離婚、また不倫、略奪愛を行い、淫乱の根を断ち切るどころか、淫乱を拡散しています。

そして文教祖自身も神を中心とした「子羊の婚姻」といいながら、十二人の息子を産むために妻(真の母)以外に妾を持ってもいいと本気で思っていました。

ヤコブも四人の女から十二人の息子を産んだでしょ? 先生もお母様が十二人の息子を産むことができなければ四人の妾を得ても大丈夫です。 十二人の息子を産まなければなりません。そのような争いが起こる家を一つ作らなければなりません。それは簡単なことですか?どのくらい難しいですか? 女性一人でも率いるのが大変なのに、十二の방수を一致させなければなりません。十二の방수は春夏秋冬が違います。色が違うし気候が違うし全て違います。感度がすべて同じではありません。どのくらい難しいですか?そのため若いお母様を立てて、20年以内に十二人以上の息子、娘を産めばならないというのです。』
(「文鮮明先生み言葉選集」352巻より)

人間が解決できない唯一の問題は淫乱であると解き、それを解決できるのは自分だけだと言いながら、その裏で自分は淫乱を繰り返してきたのです。

なぜそういうことができたのか。
もともと文教祖の教義は「純潔」を説いたものではありませんでした。
文教祖が統一教会を設立する前に、信仰していた教団は「血分け」の教団で、人類始祖が性交によって堕落したから、直接性交によって復帰(原罪清算)するという教えのものです。

それは統一教会の教義にもある「霊肉共の救い」です。
肉体の罪は、肉体(生殖器の挿入)によってなされなければいけないという異端であり、血分け教団の霊的集団の教義そのものです。
現在、それは信者同士の「三日儀式(性の儀式)」に受け継がれています。

1930年代、文教祖は学生のときから「血分け教団」に通い始めます。
そして1940年代、文教祖が婚姻中に何をしましたか?
北に行って、自分が原罪の無い体(メシアの資格を得るため)になるために混淫派の女性に血分けを受けに行きます。
1950年代、婚約者がいるという女性信者(喜進の母)と関係を持ち妊娠させましたよね。
その婚約者(堕落人間)では原罪清算できないから、私と性関係を持ちなさいと言ったのです。
1960年代もそうです。子羊の婚姻後も女性信者との関係が切れず、隠し子まで産ませています。

文教祖が信仰していた霊的集団はキリスト教の異端で、「性行為」によって原罪清算ができるというもので、平壌での神とセックスしたという女性(神様の夫人)との三日儀式によって文教祖は自分がメシア(性交による原罪清算の資格者)であると思い込んだのです。

文教祖が金百文のイスラエル修道院にいた頃、自称「神様の夫人」の噂を聞き、血分けを受けに北に向かいます。

『ところで噂を聞くに、ピョンヤンに変わったおばあさんがいるというのです。神霊的な集団ほど、このような事実をお互いがよく連絡し合っているのです。便りがあって、何の消息かというとその変わったおばあさんが「私がエホバの夫人だ」と言うのです。世の中の人はこのおばあさんを、狂っていると言うでしょう。既成教会でも精神が狂ったと言うかも知れませんが、先生はこんな婦人が出てくるのを願っていたのです。この便りを聞いた時、どんなに喜んだか知れません。
 そして先生はその噂を聞いて、祈祷したのです。「天よ! 復帰の使命を中心とする天倫の法度の基をこの三千里半島に備えて下さったので、そんな婦人を通して神が築いてこられたことを解決する問題が残っていますから、私がピョンヤンに行きます」と祈祷したのです。それで1946年6月2日、先生は自分の行くべき道を決め、当時特別集会を開いていた金百文氏の(イスラエル)修道院を去る決心をしたのです。』

(哀れな復帰の役軍たち 1969年6月8日 韓国・前本部教会) 

『そこで「あるおばあさんが神様の夫人だと言っている」と言って、金百文一派が嘲弄するのです。私は、その話を聞くや否や、北側に行ったのです。』
(真の御父母様の生涯路程2)

『丁得恩の自宅は(平壌の)萬寿台のふもとにあった。
 文鮮明を案内してきた丁得恩は、自分が神様のお告げを受けたこと、先生が来るのを知り迎えに行ったことを説明した。さらに丁得恩は、自分が神から「聖母」として認められたので、文鮮明とセックスすれば、文鮮明は神様と同格の立場になり、堕落した夫婦の立場にある女の人たちを復帰させることができるようになる、と話した。そして、文鮮明が下になり、丁得恩はその上に乗って、蘇生、長成、完成の三回のセックスを行なった。この復帰の実践の公式と方法は、まるで文鮮明の原理を同じだ。
 聖母マリアの代わりに、聖なる丁得恩と復帰したことによって、文鮮明は、完全なる神のように罪のない人間になり、エデンの園にいたエバを取り戻す復帰の資格ができた、ということだった。丁得恩は夢の中で神様とセックスしたので「聖母」だと言う。

(朴正華著「六マリアの悲劇」 p182)

丁得恩は血分けを「霊体交換=ヨンチェ」と呼びましたが、文教祖は国際祝福結婚を「交叉交体」と呼び、2013年1月13日の基元節までに「セム族(黄色人種)すべてを祝福し、三日儀式まで完了しろ」と指示を出していたのは、三日儀式が血分けに相当するからです。
文教祖は祝福の「結婚式」にこだわっていたのではなく、最後まで「三日儀式」にこだわっていたのです。


(以下、文教祖の信仰していた霊的集団(血分け教団)の説明)
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※平壌には「混淫派」や「霊体交換派」と呼ばれる「血分け」を行う集団がいた。平壌に行ったのは、血分けの実践者で「聖なる母」である「鄭得恩」(丁得恩)に会い、重生(男性が、原罪の無い女性と性交をすることで、その女性の息子として原罪の無い肉体に生み直して貰うことで生まれ変わる(そのように看做す)血分けの儀式のこと)してもらうためであった。これにより文鮮明は救世主としての自信を得た。

・朴雲女(パク・ウンニョ 「鄭得恩(丁得恩)」の存在を隠すための、統一協会の公式文書中での「鄭得恩(丁得恩)」の偽名。「朴雲女」という人物は実在するが、平壌に行ったことは無く、別人)と共に布教を始める。家庭集会を中心に活動し、弟子が増えていったが、キリスト教会からは異端視される(1946年)



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『韓国の土着の宗教はシャーマニズムで、その主な特徴は、ハナニム(または天の王)を、数々の自然神のうちで最高の神として信仰することにある。
 シャーマニズムの世界観では、神は超越ではなく内在していて、神々や女神や精霊たちが霊媒であるシャーマンを通してしゃべり、シャーマンの体の中に安定して住みつく。これはシャーマンと神との霊的な結婚であり、ネリム クッ(神降しの儀式)と呼ばれる。
 結婚したシャーマンと霊との性行為は大体は夢や白昼夢の中でなされ、エクスタシーの体験が伴なう。シャーマンは神と結婚し性関係をもっているので、シャーマン自身も神のような神聖な状態に転換されたと見なされる。


『「血統転換儀式」のピガルムや「新しい霊体を受け取る」ヨンチェは、清い血統を持った神と同格の人間が自身の神聖さを性交によって異性の他者に授け渡すことができるとの考えに基づいている。ヨンチェまたはピガルムの儀式によって生まれてくる子どもは罪をもっていないとされる。』
(『統一教会の儀式セックスによる血統転換』クリスティ・ネヴァライネン著 P67,68)

『{イエス教会の}新しい摂理時代のために新しい血統を立てるのは、劉明花とその支持者たちの使命で、これはヨンチェまたはピガルムの儀式を通して挙行された。
韓俊明は、1932年11月平壌で声明を出した:
『ある神的存在(劉明花)に降りた神の啓示は次のとおり:
韓俊明は、1933年6月9日にある女性と結婚し、270日後の1934年3月に、昼を司る偉大な聖人「光津?」を生むだろう;
また、朴スンゴルはある女性と結婚し、夜を司る偉大な聖人「光彩?」を生むだろう』
(出典:ミン・ギョンべ著『朝鮮におけるキリスト教の歴史』P433 延世大学出版、ソウル、2005年)
この聖なる結婚は神によって定められたもので、この性の結合から生まれてくる子供たちは原罪がないのだ。
また平壌のパク・ウリョンの神霊団体でも、神は、誰がどのメンバーとヨンチェまたはピガルムの儀式を行わなければならないか啓示を与えていた。

(『統一教会の儀式セックスによる血統転換』クリスティ・ネヴァライネン著 P78,79)
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-485.html
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上記に登場する霊的降神劇の「劉明花」や「韓俊明」は文教祖もよく知っている人物で、神霊集団の摂理的人物としてみ言葉にも登場します。
実は韓国のキリスト教は、キリスト教で禁止されているシャーマニズム(降霊、交霊、呪術、まじない)が根底にあります。それは、朝鮮時代以前からの民族文化として、根付いているもので、文教祖のキリスト教の捕らえ方もそこから外れることは無かったようです。

ウィキペディア「韓国のキリスト教」によると

『自身もクリスチャンである崔吉城教授は、韓国のキリスト教について「キリスト教会にはシャーマニズムとキリスト教が共存あるいは混在するようであり」「多くのクリスチャンはシャーマニズムを迷信だと思いながらその中にシャーマニズムが埋没されている事に気がつかない」と述べている。また、プロテスタントが成長した秘訣は巫俗を受け入れた宗教的熱狂主義に根元を置く心霊復興会にあると指摘した。「韓国プロテスタントの感性的神秘主義運動は知性的神学を前面に出して布教に失敗した日本プロテスタントと対照をなす。韓国プロテスタントはキリスト教が一般的に敵対視したり忌避する傾向があるシャーマニズムを神秘主義に引き込み、巫俗的神秘主義と韓国の風土が合致して教会の急成長をもたらした。神霊的神秘主義を端的に表現する言葉として「通声祈祷」「聖霊臨在」「放言」「三拍子祝福」「治病」「按手治療」「血分け」「接神」「降神劇」などを挙げ、このような新興聖霊運動は韓国国内だけでなく韓国人が住む世界随所に現れている。引き続き新興聖霊運動は1907年世界教会史上初めて早天祈祷会と通声祈祷を考案した吉善宙牧師主導の大復興会を筆頭に、1930年代にイエスが自身に親臨したとして降神劇を行った李龍道、自身の首が切られてイエスの首がその上に乗ったと放言した熱狂的神秘主義の黄国柱に繋がった。宗教から神霊性を強調する神秘主義を抜いてしまった場合は宗教性が弱くなるが、反対にそれを過度に強調した場合も神学自体が無視される。」とし、「これらの適度な調和が宗教発展に要求される。」とした。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99


異端の霊的集団(神霊教団)でも、統一教会と同様に「血統転換儀式を受けた者から生まれた子供は原罪が無い」という教義です。

文教祖の教義は、文教祖から始まったのではなく、単に霊的集団のパクリだった・・・。
そして本来の教義は「不特定多数との性交による罪の清算(聖なる性の伝達)」だったというわけ。




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