ちょっと恐ろしい(((( ;°Д°)))) 文教祖の女性関係(4) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

統一教会の祝福とは女性信者が文教祖の妾として文教祖と結婚し、その文教祖の妾を男性信者に下賜する式です。
昔はそれが実体で行われていました。

先にこちらをお読みください。

ちょっと恐ろしい(((( ;°Д°)))) 文教祖の女性関係(1)
ちょっと恐ろしい(((( ;°Д°)))) 文教祖の女性関係(2)
ちょっと恐ろしい(((( ;°Д°)))) 文教祖の女性関係(3)

事実は小説よりも奇なり・・・とは文教祖のことを言っているのだと、調べれば調べるほど恐ろしく感じる今日この頃です。

さて統一教会を訴えソウル裁判所に送った訴状文にはこう書かれています。

『文被告の誇大妄想症は、精神的底辺において、自己卑下の劣等意識を解放することにあったため、貫禄ある家柄の子孫らしく偽装することによって、自らの神格化を図ったのである。これがいわゆる教主文鮮明の実像である。こうした文被告の反道徳、反倫理、反社会的性格は、自分の子女相互の近親相姦的婚姻においても、いっそうはっきりと反映している。事実文被告はよく信徒たちと女を取り換えながら享楽したが、崔某の女である李得三を文被告が取り、自分の女であった朴貞淑を崔某に交換払下げたことが、その一例である。ともあれ崔先吉から生まれた文聖進と、鄭達玉から生まれた東淑は、れっきとした異腹の兄妹の間柄であるにもかかわらず、いわゆる純種の原罪の無い子供を産ませるとの名分の下に、彼等を結婚させ、祝福を与えたのである。今日韓国では家族法が厳然と存在し、なおかつ同姓同本の禁婚まで法制化されている国であるにもかかわらず、文鮮明は国法と社会規範、あるいは伝来の倫理道徳等を無視して、異腹の兄妹間の結婚を強行させたのである。いかにして、彼のような万古の怪物がこの地に生まれ、民族と国家の恥をあますところなくさらすようになったのか、通常人としては到底理解し難いことである。このような邪悪の種子を、この地に蒔くために生まれなければならない理由がどこにあるのか。』
(金明熙氏の1978年3月25日ソウル法院宛の訴状 萩原遼著「淫教のメシア文鮮明伝」(晩せい社))

この「事実文被告はよく信徒たちと女を取り換えながら享楽したが、崔某の女である李得三を文被告が取り、自分の女であった朴貞淑を崔某に交換払下げたことが、その一例である。」という部分ですが、文教祖のみ言葉や新聞等から「崔某」氏は、李得三の夫の崔聖模であり、朴貞淑の夫の崔聖模でもあることがわかりました。
(この崔聖模の二人の妻(先妻(李得三)、後妻(朴貞淑))とも、文教祖と性的関係を結んでいる六マリアである)

新東亜財閥会長の崔聖模氏の妻が「朴貞淑」であるという新聞記事(韓国・毎日新聞1976年6月28日記事)


文教祖もみ言葉で「朴貞淑」のことをこのように語っています。

『そのような北の基盤をすべて崔氏たちがみんな台無しにしてしまった、崔氏が。崔氏! 崔聖模。崔氏と朴氏。統一教会の女性の中で先生のところに入ってきて住んでいた朴貞淑がいるだろう? 崔聖模と一緒に暮らしませんでしたか? 息子を五人も産んで。(「今は難しい立場にあります」)それ(朴貞淑)を私が助けたら道を開くことができるのだが・・・。』
(「文鮮明先生み言葉選集」327巻より)

『女性もそうです。統一教会では、朴氏のおばさん・・・、朴貞淑を知ってるか? (「はい」) 賢実(姜賢実)! 朴貞淑を知ってるだろう? (「よく知っています 」) あ・・・「よく」はつけなくていいから。(笑)知っているというなら何をよく知っているのか? (「一緒に数年住んでいたんですけど」)そうか。朴貞淑、朴正華!朴氏を重要視しました。』
(「文鮮明先生み言葉選集」412巻より)

『朴貞淑も死んだという話があったが、それは本当か?(「はい、霊界に行きました」)』
((「文鮮明先生み言葉選集」402巻より)


姜賢実・朴貞淑・李得三は六マリアでした。


(左二番目が姜賢実、左三番目が朴貞淑、右から二番目が李得三)

この説明は朴正華著「六マリアの悲劇」に詳しく書かれています。
(下記の「仮名」は「六マリアの悲劇」中の仮称)

辛貞順(仮名)=李得三(崔聖模の前妻・文サムエルの母(崔淳華)の母。文教祖との性行為儀式で六マリアの一人になり、その後は崔聖模とは離婚)
李淳模(仮名)=崔聖模(李得三の夫・文サムエルの母(崔淳華)の父。李得三と離婚して後に、文教祖が財産目当てで送り込んだ六マリアの一人の朴貞淑と結婚)
林英信(仮名)=朴貞淑(崔聖模の後妻。文教祖との性行為儀式で六マリアの一人になり、その後は文教祖の命令で崔聖模と結婚)

<林英信(朴貞淑)>
 ソウルの北鶴洞教会で「世界基督教統一神霊協会」が創立された頃、劉孝敏が市内に用事があって行ったところ、ふとしたことから林英信(朴貞淑)と出会った。そして、劉孝敏が伝道して、林英信(朴貞淑)は入信することになった。教会に来て原理を聞いて、文鮮明から復帰(※性行為儀式)を受けたあとは、前にも書いたように、日中は食口たちの食事を用意し、夜はブロマイドの写真を洗う作業をやり、たいへんな苦労をした人である。
 これまた文鮮明が非常に愛し、一瞬でも離れてはいられないような二人だったが、やがて文鮮明の財産狙いの作戦でか辛貞順(李得三)の夫だった金持ちの李淳模(崔聖模)と結婚して、男の子を一人出産したが、李淳模(崔聖模)が亡くなり、また独りになった。
 それからしばらくして、ある芸能人と結婚したが、その人とも離婚してまた独りになり、自分の父親と同居していた。その後、すべての財産を李淳模(崔聖模)の長男(崔淳永)に譲ったが、その長男は継母であった林英信(朴貞淑)のめんどうを全然みてくれなかった。また自分が生んだ息子も、母親のめんどうをみようとしない。
 あんなに仲のよかった李淳模(崔聖模)との結婚生活の頃、時間さえあれば密かに呼び出して会っていた文鮮明も、林英信(朴貞淑)にはまったく振り向かなくなった。今は部屋一つだけ借りて、孤独な生活をしている。
 私は劉孝敏と一緒に彼女に会ったが、その生活状況は、お米さえ買うお金がないというありさまだった。文鮮明は、復帰をする名目で、身体を奪い取ることはもちろん、財産まで全部まきあげてしまい、あげくの果てに捨ててしまうのである。』

(朴正華著「六マリアの悲劇」p158)


以下は六マリアの一人・劉信姫の証言です。

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--文鮮明から復帰を受けた後、劉さんは何人の男性と復帰をしたんでしょうか?

劉信姫:その時文鮮明から、復帰を受けた女性はほかの男性を復帰しないといけないと教わって、そのごとく信じていたのでした。それで、5,6人の男性と復帰しました。

--それで劉さんは6マリアのひとりだったと朴正華さんが書いたんですね。

劉信姫:6マリアの話は聞いたことはありますが誰がそうなのかは知りませんでした。
それで、私自身、自分がどんな立場にいるのかなんてわかりませんでした。私よりも立派な女性たちがたくさんいたので、文鮮明の周りにはいつも3人くらいがべったりくっついていたし私よりも、立場が上の人達だと考えていたくらいですから。


--その3人とは誰のことですか?

劉信姫:辛貞順(李得三)、李順哲、梁允信さんたちでした。文鮮明は特別にかわいがっていましたが、後に財産を狙って財閥と結婚させた林英信(朴貞淑)が加わったのは、その後のことでした。

--文鮮明はかわるがわるこの3人の女性を身辺につけて、はべらせていたと言うのですが、同じ女性同士文句を言い合うことはなかったですか?

劉信姫:ありましたよ。女性同士だから当然嫉妬だとか、独占欲だとか。それで女性同士ひどいけんかになったとき文鮮明はそんな女性を殴ったこともありました。

--6マリアはその時そのときで定員が適当に交代され、結局財産や新しい女性が目標だったんですかね。メンバーの新旧交代は文鮮明の独断で行われてましたか?

劉信姫:私たちは横で行われていることも知りませんでした。それである時などその周囲で追い払われた女性だけでも5人にもなって、お互い話したりする事もありました。その情報交換でわかったことですが実はたくさんの女性たちが被害を受けたのでした。処女を妊娠させ子供を生ませもし、既婚女性や、また母親とその娘の貞操をしたいままに犯し家族を崩壊させたりもし、裕福だった人も財産を奪われすっからかんにさせたことも。あまりにも悲惨な話が数え切れないほどに続出しているのを知り、みなが憤慨しました。
(朴正華著「六マリアの悲劇」より)
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上記証言でもわかるように、文教祖は自分の義叔父(妻の叔父)の妻を奪って犯し、さらに自分の妾であった女を義叔父と結婚させたのです。
そして、そればかりではなく義叔父の娘たちも犯して子供まで産ませています。

今回、義叔父の娘であり、サムエルの母親の崔淳華女史が訴訟を起こしたことで全て明るみになりました。

あまりにも複雑すぎて呆然自失・・・です。

文教祖の考えた祝福とは自分が女性と性関係することによって血統転換され、その血統転換された女性は文教祖の妾になります。
そしてその妾の女性は、実質、人数が多すぎて文教祖とは結婚できないので、その女性は弟子に下賜されるわけです。
文教祖が自分の妾を他の男性と結婚させるのは、文教祖としては「原理の一部=摂理」なわけです。

現在の妻の韓鶴子夫人も「夫の浮気は摂理」だというくらいです。

妻の叔父の妻(李得三)を奪って、自分の女(朴貞淑)を与える・・・・。
既婚女性と関係をもち、それを六マリアとする。

つまりこういうことです。

「事実、文鮮明はよく信徒たちと女を取り換えながら享楽したが、崔聖模の妻である李得三を文鮮明が取り、自分の女であった朴貞淑を崔聖模に交換払下げたことが、その一例である。」

財産目当てで自分の女を送り込むくらい崔聖模氏は金持ちだったわけですが、どれくらい金持ちかというと、現在のサムスンと肩を並べるくらいの財閥でした。

崔聖模氏の新東亜財閥が建てた「63ビルディング」(当時の韓国で最も高いビル(ソウル・地下3階、地上60階 1983年完成))



『韓国における崔聖模、63ビルの崔淳永、その家は朴大統領を中心として世界にない祝福を受けた輩です。得三さん、母を中心としてですね。崔淳永が長男なのか、二番目なのか?(「男では長男です」)別の母親(朴貞淑)が産んだ長男がいることは大概の者は知らないだろう? そのようなことは絶対に後妻の道として出なければなりません。得三さんもそのような家庭の十字架を受けなければいけません。
それで母親から三代が統一教会に入って来ました。長女、次女です(崔淳実と崔淳華)。その次に二番目の息子、淳光は霊通もしました。賢くも統一教会に行くというのです。しかし父(崔聖模)を中心として反対したのです。それはそうなるんです。父と長子(崔聖模と崔淳永)、サタン世界が反対するようになっています。』

(「文鮮明先生み言葉選集」431巻より)

・・・「別の母親(朴貞淑)が産んだ長男がいることは大概の者は知らないだろう?」
そりゃあ文教祖が送り込んだのだから、文教祖はよく知っているでしょうよ。

※初回更新日 2014-02-18 16:51:29



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