統一教会文鮮明教祖の元愛人と隠し子が20億円訴訟提起?(3) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

「統一教会文鮮明教祖の元愛人と隠し子が20億円訴訟提起?(2)」の続きです。

この文教祖の愛人と隠し子の事実は、統一教会の幹部や草創期メンバーであれば公然のことです。実は文教祖と文教祖の前妻(崔先吉)が離婚した理由も文教祖の「女ぐせ」でした。
ですから統一教会で「真の母=文教祖の妻」になる女性は、そういった文教祖の女性関係にも忍耐しながらも感謝し妾も妹のように包容できることが要求されました。
なぜなら文教祖の血統は神の血統であり、その種(精子)を受ける子供を生み増やすことが「地上天国」の第一歩だったので、その役割を果たす女性たちは、文教祖にとって全員「自分の妻」だったわけです。

み言葉ではこのように述べています。

世界の女性たちは、先生(文教祖)の相対圏に立っています。世界において、真の夫は一人しかいません。神様から見れば、未完成の男性と女性たちしかいないのです。人類は、男性と女性に二十五億ずつ分かれて五十億にもなりますが、それは一人の男性(である文教祖)と万人の女性と同じです。しかし、それはみな堕落圏です。ですから、メシヤ思想が必要になるのです。
(「神様の摂理と日本」より 1991年7月14日のみ言葉)

『全世界の女はエバと見るし、全世界の男は天使長と見るのです。全世界の女の前に、真の完成のアダムは一人として、再臨の主(文教祖)と見るのです。女と再臨主は一つで、こちら(文教祖以外の男性)は天使長です。天使長を再び接ぎ木して、先生が第二のアダムをつくりあげなければ、君たちの相対者はおりません。分かりましたか?・・・旦那さんとして来られる再臨の主は、たった一人(文教祖)だというのです。・・・親もなければ親戚も何もないのです。たった一人で来るのです。持ってくる財産は何もないのです。たった一つの真の愛と、真の愛の子供の種だけしか持っていません。堕落した世界の女は、すべてを犠牲にしても、それが必要なのです。』
(真の自分を探しましょう 1993年12月19日 韓国・済洲研修院)

しかし文教祖の最初の妻は、文教祖の女性関係に耐え切れず結局離婚したのです。

<文教祖の前妻(崔先吉)のインタビュー>
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週間ポスト1993年10月8日号「血分け論争第二段 最初の妻 崔先吉女史 が告白!文鮮明教祖の性の祕密」より
『45年に結婚して、翌46年3月1日、崔は文の長男・聖進を産む。彼女にとって「幸せ」を実感できたのは、きわめて短い年月だったろう。
「離婚を決意した真相」とは
「結局、離婚を決意された理由は何だったのですか?」
 私の問いに、崔は、はっきりとこう答えた。
「夫が次から次へと女性をだまして関係を持つ。そんな生活はもう耐えられないと思いつづけていた。それが離婚の原因です」

 崔と別れた文鮮明は、60年3月16日に、当時18才だった韓鶴子(現夫人)と結婚するのだが、崔と離婚してから韓と結婚するまでの間に、文鮮明には子供までもうけたもうひとりの女性がいたという証言がある。
「その女性の名前は、金明煕(戸籍名)。生まれた子は喜進といい、のちに喜聖と名を改めている。とある事故に遭って死亡したといいます」(ソウルで会った統一教会事情通)』


文教祖の女性関係との浮気の現場を見て激怒した前妻(崔先吉)は文教祖の顔にゴム靴で思いっきりひっぱたいたり糞尿もかけられたりしました。
それはみ言葉でも語っています。

『それで、あちらこちらで反対して、自分のやりたいように全部したのです。先生に「この道を行くな」と言いながら、指にかみついたり、つねったり、ひっかいたり、それでも駄目なのでゴム靴の裏でほっぺたをひっぱたいたり、女性(文鮮明の妻 崔先吉)からひどい虐待を受けました。そして統一教会の幹部らも、聖進の母親(文鮮明の妻 崔先吉)から、ありとあらゆる受難を受けました。ほっぺたをひっぱたかれ、けられたり、糞尿をかけられたり、もろもろのことがあったのです。幹部たちがむち打たれ、あらゆることをされたのです。糞を持ってきてまいたり、ありとあらゆることをしたのです。それこそまさにサタンの役事をしたのです。このような意味で先生は女の人から世界で一番極悪な試練を受けた男であるということを、皆さんは知らなければなりません。皆さん、ソクラテスの妻が悪妻だったという話がありますが、そんなものではなかったのです。』
(真の御父母様の生涯路程3)

その現場を見ていた弟子の朴正華氏も「六マリアの悲劇」の中でこう記しています。

『そんなある日、三千浦へ李鳳雲長老が突然訪ねてきた。李長老は、「水晶洞の教会がたいへんなことになっています。崔先吉さんが、文鮮明先生が婦人の食口たちと復帰の儀式(セックス)をやっているのを見て暴れ出し、食口たちを全部、追い出してしまいました。そして、水晶洞の教会を崔さんが家財道具ごと売り払って、教会がなくなってしまい、集会もできない状態になっているのです。できるだけ早く戻ってきて下さい」と私に言った。(中略)あとでわかったことだが、文鮮明の復帰の儀式に名をかりた目に余る乱脈なセックスに腹をたてた崔先吉夫人は、水晶洞教会で大暴れして、女の食口たちを叩き出した。恐れをなした文鮮明は、女たちを連れてソウルヘ逃げ、清進洞に隠れ家を借りて女たちと住んだ。しかし、そこもわずか一週間で崔夫人に突きとめられてしまった。私が釜山の専売庁支店から帰る直前、文鮮明はあわてふためいて女たちを四散させ、命より大切なはずの原理原本の草稿もそのままに、崔夫人から逃げ出したのである。女の食口たちに囲まれて暮らすことは、つまり乱れた「女護が島」を意味する。なぜなら文鮮明を取り巻く女食口たちは、復帰原理に沿って身体を開き、再臨メシアを自称する文鮮明とセックスを最低三回はしなけれぱ、女として復帰の資格が与えられないからだ。
 当時、文鮮明を先生と仰ぎ、その原理を盲信していた私は、しばしば復帰の実践現場であるセックスを目撃したり、宗教儀式にそぐわない女食口たちの、狂態や矯声を見聞したこともある。だが、あくまでもそれは、再臨主としての務めだと解釈していた。一方で、どうしてもわからなかったことは、なぜ再三にわたって尻に帆をかけたように崔夫人から逃げ出すのか?だった。メシアなら妻の前でも堂々とやれぱよいのに、妻一人伝道できなくて、どうしてこの世が救えるのか?と疑問が湧いてきたのも事実だった。それともう一つ。あれだけ大切な、伝道には欠かせない原理原本を放り投げて逃げ出した文鮮明に、言行不一致の疑いを持ったのも事実である。清進洞から逃げた文鮮明は、また別の場所で女と一緒だったが、それがまたとんでもない事件に発展していくことになった。』

(朴正華著「六マリアの悲劇」より)

実はサムエル氏の母である崔淳花女史とはこの頃(1954年当時)から、文教祖と関係を持っていた仲でした。
それが1960年に鶴子夫人と聖婚してもその関係は切れていなかったようです。
韓国ではいまだに姦通罪があります。1960年代はまだ不倫は社会的にとても重い罪とされていました。
ですからその事実を隠すために弟子(36家庭の朴普煕)を使って隠ぺい工作を図ったのでしょう。そしてそういう不貞行為にも真の母である鶴子夫人は耐えるしかありませんでした。

1950年代の統一教会草創期はまさに「六マリア摂理」の真っ最中でした。

サムエル氏の母親は、その当時はまだ高校生の処女だったため「六マリア候補」ではありませんでしたが、その崔淳花女史(サムエルの母)の母親である李得三女史は「六マリアの一人」でした。
これは何を意味するかわかりますか?
六マリアは文教祖と性行為によって血統転換儀式を受けた女性しかなれません。
サムエルの母の母親・・・つまりサムエルの祖母とも文教祖は肉体関係にあったわけです。
それだけではありません。
サムエルの母の姉とも血統復帰儀式と称して肉体関係を持ち、その姉(崔淳実)は1955年の梨花女子大事件のとき「淫行媒介の容疑」で警察に拘束されています。

つまり文教祖は母とその娘二人と同時に性関係をもったのです。

そういう世間的には有り得ない関係が初期の統一教会でした。
さらに驚きなのが、サムエルの母は文教祖の前妻と「いとこ」関係なのです。
妻の従姉妹と叔母と性関係を結んだのです。それも妻との婚姻中に。
文教祖からすれば世界の女性は「性の対象=血統転換の対象」ですから良心の呵責はないかもしれませんが、一般世間から見れば狂人にしか見えないでしょう。


(右端が李得三)


(右から二番目が李得三)

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(後方の赤ちゃん(仁進)を抱いて白い韓服を来た女性が李得三)

そのことは脱会した幹部信者が文教祖を訴えた訴状に詳しく書かれています。

『4、反倫理、反道徳、反社会性
 文鮮明がくりひろげた混淫の行脚はわれわれの想像をこえている。文被告の教義がいくら混淫の血分けだといっても、その程度があまりに深刻で放置しておけない。彼は百数十名の女子らを耽溺した色漢であり、代表的な悪例として、一人の母と二人の娘を同時に犯した三母女混淫事件をはじめとし、母女混淫、叔母と姪混淫、主婦姦淫、寡婦、独身女姦淫など、その醜悪な実相に至っては各論部分にて追って詳述することにする。果たしてこうしたことがこの国この社会にあったのか、疑わざるを得ない。彼の行跡は一九四〇年代から混淫を記録しているが、こうした理由によって彼は解放後、北緯の興南で監獄にぶち込まれ、国軍の越北進軍のおかげで釈放され南下し、一九五四年ごろにはいわゆる梨花女子大事件でまたも監獄行となった。こうした中でも彼は貸家を転々としつつ、旅館その他の場所で、はなはだしい例としては、一つの部屋に数名の女たちを連れ込んで順次混淫を行った上、彼についてきた信徒に「あなたもちょっとやってみろ」と いって、その信徒が唖然失色して、脱教した事例もあった。彼のパンツは常に汚れていて、彼が便所へ行けばついて行って、彼の「生命の樹」を便所内にまで要求する女までいるほどであった。彼の糟糠の妻、崔先吉にゴム靴で頬っぺたを火花が散る程打たれたこともあって、常に逃げ廻るのにせわしかった。そうかと思えば、一過程に六十万ウォンずつ、三過程を経て清算し得るという血分けで、百八十万ウォンをもらって混淫したこともあり、女娼ならぬ男娼としての行脚を行なったこともある。このような文鮮明の奇怪な発想は、その祖先を神格化する着想にも見られる。文被告の祖先神格化のため、京畿道城州に彼の祖父の墓をまるで王陵のように造りあげたかと思えば、彼の死んだ子のためにも、また陵を造った。一般信徒達が辛苦して稼いだ金で、彼は帝王のように豪奢な生活を営み、これをいさめる者は仮借なく粛清した。(中略)文被告の誇大妄想症は、精神的底辺において、自己卑下の劣等意識を解放することにあったため、貫禄ある家柄の子孫らしく偽装することによって、自らの神格化を図ったのである。これがいわゆる教主文鮮明の実像である。(中略)原告は彼のような者の下で、何を学ぶために入教したのか、自愧を禁じえないし、激怒せざるをえない。彼の行脚で破壊された善良な家庭は数限り無く、合同結婚式は死の行列であり、魔の葬送曲であった。子女と妻が、失なった夫たちを戻せと、結婚式場で泣き叫び、妻と子女を失った夫が妻と子を戻せと絶叫した。彼等の恨みのこもった怨念は永久にこだまするであろう。同時に彼にそむかれた糟糠の妻崔先吉は、糞桶からひしゃくを持って来て、彼に汚物汚水を浴びせたが、その程度では崔女人の怨みが解かれたとはいえない。』

(金明熙氏の1978年3月25日ソウル法院宛の訴状 萩原遼著「淫教のメシア文鮮明伝」(晩せい社))

1960年の聖婚後にもサムエルの母以外に関係を続けていた女性がまだいました。
それは常に文教祖の横で妻役として一緒に世界巡回もした崔元福女史です。
777双の祝福式までは、崔元福女史は文教祖と鶴子夫人とともに祝福の主礼を勤めていました。
つまり崔元福女史は当時「カインのお母様」と信者に呼ばれていて、お母様(鶴子夫人)と同格でした。

その当時の写真がこれです。

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777双の古参信者は掲示板にこのことを暴露していました。

<777クラスの古参信者の投稿>
(2ch掲示板 統一教会の何が悪いPart9より)

94 名前:50代 :02/11/05 12:23
なんか、アンコールが鳴り止まないので
最後に、具体的な私の経験話を

777のときは祝福する主体はセンセーとつる子と崔元福先生
と3人おられた、私のレスをはじめから見ていた方はご存知でしょうが
この3人で1組の夫婦であった、ラケルとレアなどとも言われたが
私たちはアベルのお母様、カインのお母様といっていた、とうぜん
寝室は3人ご一緒でした、そのエピソードはレスを読んでね。
祝福の弁舌的主導権は崔元福先生がおとりになって、
  「この聖酒は私たちの精液が入っています」とのご指摘
女性がのんで残りを男性に飲ませるように、おばかのつる子は
なにもいわず(いえずかあ?)先生はワインをニコニコしながら
女性に渡していた、
さて、女性たちはこの聖巾を各自1枚ずつとるようにとこれも手渡し
これも崔元福先生が主導権をとって、
  「この聖巾は私たちの性器を拭いたものです、ついているシミは
汚れではありません、まことのご父母様たちの聖なるお勤めのしるしです
あなた方もこれを腰の下において性行為を行い跡はこれでていねいに
ぬぐいなさい」とのお言葉
みなさんありがたくいただいてましたね、よくみたら文センセーの
性器をぬぐったようなシミがついていました。

このような貴重な品をいただけたのも777までだそうです。

96 名前:名無しさん@1周年 :02/11/05 12:37
777の方々はすべて知っていらしたんですね。。。
私の身近にいらっしゃった777の御夫人も。。。

98 名前:50代 :02/11/05 12:47
>95
そのとおりです。
当時は3人で性生活をしてました、
始めて、日本にこられたとき、口紅、お化粧、イヤリング派手な衣装
と、統一のすっぴんのおんなどもに見慣れていた、私たちは違和感を感じました
それが、世界路程(旅行)出発のときこのとき聖地が世界に指定されていったのです
その旅行の間中3人で寝室共有していて、ホテルのボーイにベット
3個は入れられないとかくどかれてたそうです。

そのときの崔元福先生のお話
  つる子はまだ幼いから先にセンセーとsexするのだが
   疲れて先に寝てしまって、
  そのあと私(崔元福)とsexしながら
     「幼いつる子にはわるいことをしたよなあ」などと
   お話になるんですよ、 などというお話をお聞きしました。



上記のように崔元福女史は信者から「カインのお母様」と呼ばれていましたが、文教祖はこれからは崔元福女史を「カインのお母様」と呼ばないようにと信者に指示しています。

『今までは、崔先生が世界舞台に立ってすべて先頭で行ってきたのですが、今からは、そのような時代は過ぎ去っていきます。第三次七年路程は、そのような時代ではありません。完成時代なので、お母様が全体の責任をもたなければなりません。今までは崔先生が前に出てきたのですが、今からは後ろに下がっていかなければなりません。そのような時だというのです。先生が行く道は、原理を立てる道です。原理世界を立てなければならない責任があるのです。そのようにすべて収拾して、ずっと原理的に行かなければなりません。
本当は、お母さんという言葉をむやみに使うのではありません。崔先生に対しても「お母さん」と言い、誰かに対しても「お母さん」と言っていますが、それは違うというのです。今後は、崔先生には「崔先生」と言わなければなりません。そのような時になってくるのです。

(真の御父母様の生涯路程10 崔元福先生の使命完了)

下記の写真は1961年の六マリアです。

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写真下の説明には「▲1961年原罪のない神の人間(文誉進)が歴史上初めて生まれ、この子供に侍るために準備した統一教会の夫人たちの姿です。この人たちは全て文鮮明の血統を受け継ぎ原罪を蕩減され復帰された女性たちとして左側からユン某女史だけが処女で残りは夫がいる・・・」

この女性たちは全て文教祖から直接に実体血統転換を受けた女性たちです。
文教祖から直々に血統転換を受けた女性は日本にもいましたが・・・。

詳しくはこちらをお読みください。
実際にあった現役信者による血分けの証し会
血統転換の奥義(10)
血統転換の奥義(11)
血統転換の奥義(12)
血統転換の奥義(13)

そして文教祖の七男の亨進氏も六マリアを認めました。

『ですから、誰がなんと言っても私達は父母様を恥ずかしく思ってはいけません。父母様を恥ずかしく見てはいけません。ノアは酒に酔い裸になってその状況を考えてください。どれほど恨めしいでしょうか。自分が神様の預言者だといいながら、ノアは、裸になり酒に酔えば、男はどうしますか、女を追いかけます。恐らくノアもそうしただろうと思います。妻が一人しかいない人物は聖書の中にはいません。ノア、モーセ、アブラハムも妻が二人います。

ノアが酒によって裸になってその時子供の問題は何だったでしょうか。その時、そのノアを恥ずかしく思い、毛布で恥ずかしくて隠したのです。何でこんなことをするのかといって失敗してしまったんです。

お父様は酒によってよたよたしますか、しないでしょう。何が御父母様に対して恥ずかしいのでしょうか。世の中には六人のマリアとか、うるさいですがなにがそのように私達に信仰がありませんか。ムハマドには11人の妻がいました。普通イスラム教には4人の妻がいますが、ムハマドには11人の妻がいました。一番若い婦人は9歳の婦人がいました。アイシャ。小さい子供です。イスラームではそれを隠しますか。10億人のイスラームは隠しますか。これを、隠しません。

モルモン教のジョセフスミスにはどれほど多くの婦人がいましたか。アメリカのキリスト教ですから他の女性を見ただけでも罪です。他の女性を見ただけでも罪悪です。ジョセフスミスは天使長から特別な本を受けたといいながら、魔法の眼鏡をくれてその本を読むことができたのです。当時、一人の夫人だけが許された社会で、数十人の夫人がいました。それでモルモン教はマスコミから叩かれ、成長できず、新聞でデモして創始者を牢獄に入れて、そこから逃げ出そうとするときに銃を持って争ったのです。

現代にモルモン教を見るといい宗教だということですが、創始者を見てください。お父様は銃を持ってそのようにしますか。数十人の夫人がいたりとか、願えば全ての統一教の女性が婦人になれるのに、願えば、皆さんの夫人も同じようになれるのです。どうですか。

何が私達に隠すことがありますか。何故私達はお父様を恥ずかしがりますか。キリスト教がそのような話を出す時どうして私達は隠れますか。何故摂理的に説明できませんか。はっきりとした摂理的な道であったのに。何故私達は恐ろしがりますか。私達は隠してはいけません。インターネットを見ればそのような内容は皆でます。どっちにしても。世の中の人は噂を知らないと思うでしょう。皆さんが伝道するときそのような人に会うでしょう。私達が問題です。何故、隠しますか。はっきりとした原理的な解説があるのに。

イエスがアダムの使命を受けつき、新婦、新郎、新しい血統がそこから生まれる役事が起こるべきでしたが、イエスが十字架に掛からなかった、イエスが真の母を探し出したとしたなら、その女性が12氏族を復帰する路程があります。イスラエルの12氏族を新しい復帰路程を通して新しく出発する路程があります。もしイエスの妻が12氏族を準備できなかったら、二番目の妻を捜さないといけません。12氏族は神様の息子娘の氏族であり、新しい天国の子孫になります。失った分だけ神様には重要な内容です。


私達はイスラームのようにモルモン教のように…なぜ、自信がありませんか。父母様は明確に摂理的路程を行かれ、1960年に聖婚されお母様も悲惨な道を行かなければなりませんでした。体もが犠牲の道を行かれ、12氏族をのこすためにずっと犠牲の道を行かれました。

(文亨進世界会長の日本全指導者へのみ言葉 2010年10月18日 清平)

全文を読みたい方はこちらをご覧ください。
お父様の六マリアをなぜ隠し、恥ずかしく思うのか(by文亨進)


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