統一教会では2011年11月11日を「柳寛順の日」にしたのですか? | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

なぜか2011年11月11日から12日に示し合わせたように統一教会ブログ村に「柳寛順」の記事が乱立しました。

内容には統一性はないものの2011年11月11日は「善悪が交差する日だとも言われていますね(参照先)」という内容の記事もあったため統一教会で形勢を変えたい何かがあったため「柳寛順大会の行進」のように乱立させたのかと思ったまでですが・・・・・。

意外だったのは「自称統一信者でない一般人」のかんご氏まで柳寛順の記事を掲載していたことです。それも教会員と同じ11月11日に・・・・・。本部から指示でもあったのですか?


(いつもとなりに神さま)もう一度、柳寛順精神を
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/234630041.html

(いつもとなりに神さま)~霊界から見た柳寛順の姿~もう一度柳寛順精神を2
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/234888982.html

(ひとすじ氏)2011年の11月11日午前11時11分11秒
http://ameblo.jp/hitosujiniiku/entry-11075115654.html

(かんご氏)柳寛順(ユガンスン)
http://kurokango.blog50.fc2.com/blog-entry-82.html

(かんご氏)ユガンスンを探して
http://kurokango.blog50.fc2.com/blog-entry-99.html

(かんご氏)柳寛順(ユガンスン)最後の言葉
http://kurokango.blog50.fc2.com/blog-entry-95.html

(なおひろ氏)彼女のその叫びが、神の側の条件になり、文鮮明先生をこの地上に誕生させたのである
http://ameblo.jp/bokuburogu/entry-11075337864.html

(なおひろ氏)日本人として・・言葉にできません
http://ameblo.jp/bokuburogu/entry-11076560490.html

(なおひろ氏)これでは文先生も日本に入れない。
http://ameblo.jp/bokuburogu/entry-11075262269.html

(ひだまり)失った国を取り戻すために・・・柳寛順
http://ameblo.jp/dejin0523/entry-11075267598.html

(家庭円満の秘訣!の秘訣)ありがとう!柳寛順(ユガンスン)烈士!
http://ameblo.jp/p9a1ni8r0/entry-11074810290.html

(信仰生活は感謝と喜び!)柳寛順烈士
http://ameblo.jp/kimkim108/entry-11075892741.html

(常夏の国フィリピン便り)ユガンスンとホセ・リサール
http://blogs.yahoo.co.jp/philippineyoitoko/28195053.html

(サムライソウル氏)愛国の心情
http://ameblo.jp/rev-yo-suke/entry-11075088893.html

(徒然なるままに。)思い出そう柳寛順大会!
http://ameblo.jp/hitominonakanojuuninn/entry-11074929816.html

(日韓太郎のブログ)韓国の柳寛順と日本の坂本龍馬
http://ameblo.jp/tanipaku0207/entry-11075638840.html

(愛天愛人愛国便り)2011年11月11日11時11分11秒 私の中に起す!(11月11日関連記事)
http://ten1ryu9x.seesaa.net/article/234823697.html

(愛天愛人愛国便り)身近な柳寛順烈士~変化に気づき悟り行動出来る勇気を持とう~
http://ten1ryu9x.seesaa.net/article/235167617.html



統一教会様、なにか変化はありましたか?

$ちゃぬの韓国日記
(文教祖とカインのお母様の崔元福先生 1975年ごろ)

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(お母様(韓鶴子)と同等の立場だったカインのお母様の崔元福先生 祝福も三人で主礼)

$ちゃぬの韓国日記
(敬礼式も三人でします)

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(食事をするときも三人でします)

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(世界巡回に行くときも三人で行きます)

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(そして誰よりも文教祖と一緒にいた女性です)

※石竣昊韓国協会長は崔元福先生の息子さんです。


<文教祖の崔元福先生についてのみ言葉>

『どこかへ連れて回るときには、崔先生を連れて回ります。お母様に侍っておいて、私が行くべき道を公式的にすべて教えておきます。「このように行かなければならない」ということを、一つも間違いなくただそのまま行きます。』
(第14回「愛勝日」の御言1997年1月2日 ブラシル・サンパウロ)

『今までは、崔先生が世界舞台に立ってすべて先頭で行ってきたのですが、今からは、そのような時代は過ぎ去っていきます。第三次七年路程は、そのような時代ではありません。完成時代なので、お母様が全体の責任をもたなければなりません。今までは崔先生が前に出てきたのですが、今からは後ろに下がっていかなければなりません。そのような時だというのです。先生が行く道は、原理を立てる道です。原理世界を立てなければならない責任があるのです。そのようにすべて収拾して、ずっと原理的に行かなければなりません。
本当は、お母さんという言葉をむやみに使うのではありません。崔先生に対しても「お母さん」と言い、誰かに対しても「お母さん」と言っていますが、それは違うというのです。今後は、崔先生には「崔先生」と言わなければなりません。そのような時になってくるのです。
(真の御父母様の生涯路程10 崔元福先生の使命完了)

<1960年ごろの六マリア>
(アベル側ラベル格マリア)
 アダム的:李昌淑
 イエス的:李京俊------孔子と祝福
 再臨主的:韓鶴子------文鮮明と聖婚
(カイン側レア格マリア)
 アダム的:李得三
 ノア的 :李貞玉------ムハンマドと祝福
 ヤコブ的:崔元福------釈迦と祝福
(韓鶴子お母様のお母さんの老女三位基台)
      池承道
      玉世賢
      李奇完

『お母様の血と肉が交差しているのです。そこではお母様は、多くの涙を流しました。結婚をしたので、どこかに行こうとすれば夫に付いて歩かなければならないのではありませんか。ところが、おばあさんの三位基台、お母様の三位基台がいるのです! どこかに行く時はその人たちを連れていくのであって、お母様は連れていきません。ですから、どれほどあっけにとられるでしょうか。峠を越える時までは、そうするしかありません。そのようにすることによって、周りにいる女性たちが「あの先生は、あまりにひどいではないか!」と言うようになるのです。』
(真の御父母様の生涯路程10)

『そこでは、お母様も涙をたくさん流しました。結婚をしたので、どこかへ行こうとすれば、夫について歩かなければならないではないですか。しかし、おばあさんの三位基台、お母様の三位基台があるのです。先生がどこかに行くとしても、その人たちを連れていくのであって、お母様は連れていかないのです。ですから、どんなにあきれ返ることでしょうか。峠を越える時までそうしたのです。』
(真の御父母様の生涯路程4)




<777クラスの古参信者の投稿>
(2ch掲示板 統一教会の何が悪いPart9より)

94 名前:50代 :02/11/05 12:23
なんか、アンコールが鳴り止まないので
最後に、具体的な私の経験話を

777のときは祝福する主体はセンセーとつる子と崔元福先生
と3人おられた、私のレスをはじめから見ていた方はご存知でしょうが
この3人で1組の夫婦であった、ラケルとレアなどとも言われたが
私たちはアベルのお母様、カインのお母様といっていた、とうぜん
寝室は3人ご一緒でした、そのエピソードはレスを読んでね。
祝福の弁舌的主導権は崔元福先生がおとりになって、
  「この聖酒は私たちの精液が入っています」とのご指摘
女性がのんで残りを男性に飲ませるように、おばかのつる子は
なにもいわず(いえずかあ?)先生はワインをニコニコしながら
女性に渡していた、
さて、女性たちはこの聖巾を各自1枚ずつとるようにとこれも手渡し
これも崔元福先生が主導権をとって、
  「この聖巾は私たちの性器を拭いたものです、ついているシミは
汚れではありません、まことのご父母様たちの聖なるお勤めのしるしです
あなた方もこれを腰の下において性行為を行い跡はこれでていねいに
ぬぐいなさい」とのお言葉
みなさんありがたくいただいてましたね、よくみたら文センセーの
性器をぬぐったようなシミがついていました。

このような貴重な品をいただけたのも777までだそうです。

96 名前:名無しさん@1周年 :02/11/05 12:37
777の方々はすべて知っていらしたんですね。。。
私の身近にいらっしゃった777の御夫人も。。。

98 名前:50代 :02/11/05 12:47
>95
そのとおりです。
当時は3人で性生活をしてました、
始めて、日本にこられたとき、口紅、お化粧、イヤリング派手な衣装
と、統一のすっぴんのおんなどもに見慣れていた、私たちは違和感を感じました
それが、世界路程(旅行)出発のときこのとき聖地が世界に指定されていったのです
その旅行の間中3人で寝室共有していて、ホテルのボーイにベット
3個は入れられないとかくどかれてたそうです。

そのときの崔元福先生のお話
  つる子はまだ幼いから先にセンセーとsexするのだが
   疲れて先に寝てしまって、
  そのあと私(崔元福)とsexしながら
     「幼いつる子にはわるいことをしたよなあ」などと
   お話になるんですよ、 などというお話をお聞きしました。




<朴正華著「六マリアの悲劇 真のサタンは文鮮明だ!!」P.251より>
【もう一人の「お母様」】
彼女はすでに統一協会に入信して大学を辞め、その後、家庭も捨てて文鮮明のもとへ走った。なぜか食口たちは、崔元福を「お母様」と呼ぱされていた。しかし、この「お母様」というのは、原理のどこに出てくるのだろうか。六人のマリアは、イエスがセックスをしなげれぱならなかったのに、それができなかったのでイエスは死んだ。そこで第三のアダムがこの世に来て、六人の人妻をマリアに復帰させるという口実で文鮮明がセックスをし、その肉体も財産も奪いとった。そして処女一人を選択し、「小羊の儀式」と称する結婚式を挙げた。そして、文鮮明と妻の鶴子を「真のお父様」「真のお母様」と呼ぱせている。真のお母様はすでにいるのに、「崔元福お母様」という名称は、原理のなかのどこから引っ張り出した存在なのだろうか。どうしても理解できない。文鮮明は六人のマリアを選択し、その他にも行き当たりぱったりのセックスをしていたが、そのなかの一人を特別に「お母様」と呼ばせる理由はない。ただ、文鮮明自身が好きで、熱を上げていた女だから、「お母様」と名付けたのだろう。ひどい話である。あとで聞いた話では、真のお母様のお母様、つまり文鮮明の妻である韓鶴子の母親、洪順愛が、「アメリカに行っている崔元福は二号だ、妾だ」と騒ぎ立てたので、仙和芸術学校の校長として、崔元福を韓国に帰らせることになった。この学校は、朴普煕の弟、朴魯煕が理事長でいたが、校長という名称もただ上っ面だけの話で、文鮮明が慌ててつけた口実に過ぎないと思う。表に「原理」を降りかざし、裏へ回れぱおよそ宗教人らしからぬ文鮮明の言動は、あいも変わらぬ女の問題や不動産の不正購入、脱税事件、「人の金を盗んで来ても、神は許す」という教唆など、書きつくせないほどあるが、もう一つ私の体験を書いておきたい。




<文教祖とカインのお母様(崔元福先生)と真のお母様との3人の性生活(重婚状態)とそれを見ていた真の子女の苦悩>

itiro - 2003/06/19(Thu) 21:47 No.9
(前の記事を受けて)崔元福先生との重婚状態について書いていない。1954年より1978年ごろまで文先生は基本的に崔元福先生との事実上の結婚状態の上にほかの女性との結婚をしている。韓鶴子(真のお母様)との結婚も事実上重婚状態。ここでラケルとレアが果たせなかった女性としてのヤコブの勝利を得るためであったとの事後説明がついている。

カインの末裔 - 2003/06/21(Sat) 16:56 No.49
上の記述は、私も事実だと複数の方々に確認していますが、年代は、1978年でなく、1983年ぐらいまでではないでしょうか?ヤコブの21年路程(1960年から1981年)とするには、長すぎると思った記憶があるのですが。それから、確か、崔元福先生が目の治療で、日本経由で韓国に帰られた時から重婚状態がなくなったと思います。その時に元福先生と直接話した方から聞いたところによると文師夫人が嫉妬で服を挟みで切ったり座布団を蹴飛ばしたり、お子さんたちが、元福先生の座る座布団を隠したりしてどうしようもない状況になったので返されたと言っており、文師夫人の相当な批判をしていたそうです。その当時は「真のお母様の勝利とは女の嫉妬でカイン型の妻を追い出したことか」
などと一緒にいた古参の幹部が説明していたのが、妙に印象に残りました。この辺の問題には、非常に関心がありますので、色々教えて下さい。西川先生に聞いた時には、西川先生も文師と元福先生との関係からメシア性を疑い始めたと語っていました。第一次世界巡回の時のお話だそうです。文師の最初の妻(崔先吉)、そして崔元福さん、さらに西川先生の本名などが、なぜ崔という名前であるかというと西川先生によれば文師は、韓国では崔という名前は、鳳凰に王冠がかぶさった名前で崔家に救世主が生まれるという言い伝えが長くあったため文師は自分のメシア性を示すために崔という名前の女性や側近にこだわったそうです。

itiro - 2003/06/21(Sat) 18:50 No.50
どこまで続いたかはこれは定かではありませんがはじまりは確定的だと思います。世界巡回路程のときまず日本に来られましたよね。そのとき私などすっぴんの色気なしの女性しかいない統一に、いきなり口紅アイシャドウ、イヤリングの、真っ赤なスーツの女性が来たのに戸惑っていたら、やっぱり恐る恐る「崔先生はなぜお化粧をなさるのですか」と聞く輩がいて、(崔元福先生)答えていわく「あるものは利用します、文先生が喜んでるのだからいいのでしょう」とあっけらかん。しかも韓鶴子(真のお母様)との3人性行為も隠さずにべらべらとまったく驚きでした。祝福のときの聖酒式ももっぱら一人で采配を振るってこのワインには私たちまことの語父母様たち(3人set)の精液が入っています。とこれまた堂々と。韓鶴子(真のお母様)などちいさくなって言われるまま文先生はそれでいいのだとにこにこしながらワインを女性に配っていました。そのころ韓国の若いシックと論争をしてあの崔先生とは一体いかなる立場のお人なのかを言い争いましたが彼はカインのお母様の一点張りでそれ以上論議がすすまなかった。まあ、韓鶴子(真のお母様)と崔元福先生ではお年が違いますし教養もおありですから文先生も夫婦としては崔先生を婦人格にしていましたね。いつぞや文先生が怒鳴っていたことがあって何いってんかなとシックに聞いたところ、やはり女の戦いで崔元福先生に分があったのでしょう。「鶴子おまえは子供を生んでればいいのだ」といっていたそうです。正直言って(頭のいい)崔教授とおばかの鶴子では勝ち目はなかったのでしょう。その崔先生もよる年波には勝てず、また文先生の性交がこれがまたしつこいそうで、体力がなくなり更年期を迎えたのでは満足させられるわけもなく、韓鶴子(真のお母様)も知恵もついてきて女の闘争は幕を引いたのではないでしょうか?

名も無き二世:2006/10/02(月) 15:19:59 ID:GX6NUOz20
韓夫人と崔元福さんの葛藤。韓夫人がはさみで崔元福さんの服を切った事件。お子さん達が崔さんの座布団を隠した事件。韓夫人が数千万円もする大理石のお風呂を気に入らないと作り変えさせた事件。特に上のお子さん達が、文師に対して葛藤したり直談判した最大の理由は、文師と会う機会が少なく、愛してもらえなかったからではなく、崔元福さんと庶子の存在なのです。
今でも女性のお子様達が全員、文氏に対して批判的なのは、母の苦労を目の当たりにして、女性の立場から「許せない」との思いがあるからです。
(二世掲示板議論用よりhttp://nisei.jp/discussion/)

カインの末裔 - 2002/02/20(Wed) 09:07 No.1277
世の中には、両親が、共働き、公職についているために、忙しくて子供の世話を直接は、見れない親は、たくさんいます。ましてや、片親や母子家庭で、働くのに忙しく、なかなか面倒を見きれない家庭も数知れないほどあります。子供を教育するのに、後姿で、教育することもできます。オリンピックの清水選手の家庭が、良い例です。長野オリンピックで、清水選手は、お母さんに金メダルを書けて上げました。このように、むしろ、両親が、そろっていて経済的に豊かな家庭でも両親が、いつもケンカしたり、父親が、不倫や浮気をしたりしている家庭の方が、子供は、不良化しやすいのです。
文家の問題、「文家の試練」は、この問題で、子供達が、悩み、苦しみ、不幸な結果になっていると私は、見ます(あくまでも私の見解)。文家は、上の兄弟姉妹から「積み木崩し」が、始まっています。なぜでしょう。これは、誉進さん、孝進さん、恩進さんが、文師と崔元福さん、韓夫人の三角関係だけでなく、四大聖人の奥さんとの複雑な関係に耐えられなかったからです。
韓夫人が、まだ若い時、崔元福さんに嫉妬して服を鋏で破いたり、座布団を蹴飛ばしたりした姿を誉進さん、孝進さん、仁進さん、恩進さんが、見ていてショックを受けたり、夜中に文師の寝室に崔元福さんが、入る姿を見てショックを受けたりしたのです。これで、子供が、おかしくならない方が、不思議ぐらいの試錬(?)を受けました。仁進さんは、悩みながらも文師の複雑な女性関係を「原罪問題、過去の蕩減」と思いこむことができました。しかし、孝進さんは、ナンスクさんの本にもあるように、文師だけでなく、自分も複数の女性と関係する権利が、あると間違った方向に行き、10人以上の女性と婚外の関係を持ってしまったのです。さらに、恩進さんは、庶子の朴サムエルさんが、いることや文師の言動不一致に耐えられず、さらに、夫と気が合わずに離婚して、馬のコーチと再婚して、子供を産んでしまったのです。



<洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」 文教祖の不貞行為について>

『私は孝進の(浮気の)主張を直接「お母様」にぶつけた。彼女は怒り、同時に涙を流した。彼女は私に言った。このような苦しみは自分で終わりになるように、それが次の世代には伝わらないようにと願っていた。彼女は請け合った。「真のお母様」ほどに、夫に浮気される苦しみを知っている者はいない。私はびっくりした。私たちは何年ものあいだ、文鮮明の情事と、彼が婚姻外に作った子供たちの噂を聞いてはいた。しかし、ここで「真のお母様」が、噂が真実であることを確認しているのだ。
 私は彼女に、孝進が自分がだれとでも寝ることは「摂理」である、「お父様」の浮気と同様、神から霊感をあたえられたものだと言っていると告げた。「いいえ、お父様はメシアです。孝進は違います。お父様がなさったことは神のご計画でした」文鮮明の不貞は、彼女が「真のお母様」となるために受けねばならない苦しみの道程の一部だった。「孝進には浮気をする言い訳はありません」と彼女は言った。』
(洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」P251)

浮気に対する文教祖の言い訳↓

『文夫人は孝進の(浮気の)主張を「お父様」に話し、文師は私を自室に呼びつけた。「お父様」はくり返した。自分の過去に起こった(浮気の)出来事は「摂理」である。それは孝進とはなんの関係もない。文師からこのことを直接聞かされて私は当惑した。混乱もしていた。もし韓鶴子が「真のお母様」なら、もし文鮮明が地上における完璧なパートナーを見つけたのであれば、彼(文鮮明)の不貞は神学的にはどう正当化されうるのだろうか?
 もちろん私は尋ねなかった。しかし、文師夫妻の関係について新たな認識を得て、その部屋を出た。文夫人がこれほど絶大な影響力をふるうのも不思議はない。彼女は文鮮明の不貞(浮気)を暴露しなかったので、彼はこれまでの歳月ずっと、そのことで夫人に借りがあった。彼女は文鮮明の不貞と裏切りに対して休戦協定を結んだ。お金、世界旅行、人びとからの崇拝で、おそらく彼女には充分な代償となったのだろう。』
(洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」P252)