柳寛順烈士 | 信仰生活は感謝と喜び!

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訪問ありがとうございます。統一教の信仰を持っている青年です。感謝と喜びの生活をしながら感じる内容を記した日記です。
感謝、信仰、書籍の紹介、統一教会員の拉致監禁問題、自身の祝福結婚の証し、統一原理、文鮮明師自叙伝、など幅広く取り上げています。



今日は2011年11月11日。善悪が交差する日だとも言われていますね。


遅ればせながら柳寛順(ユグァスン)烈士について、記事を書かせて頂きたいと思います。


信仰生活は感謝と喜び!

今回の記事を書くにあたって、かつてMBCで放映された柳寛順烈士についての映画(ドラマ)があったので、古い映像でしたが参考にしました。


1902年に忠清南道にある現在の天安市に誕生。1919年の三・一独立運動の際には、村々を回って独立のために立ち上がることを説いて回り、デモ行進を行うことになります。


しかし、柳寛順の両親も日本の憲兵によって殺害され、本人も西大門刑務所での過酷な拷問を受けることになります。


独立運動ゆえに逮捕された人たちも、次々と解放される中で、最後まで独立万歳を叫ぶことをやめず、獄中においてもデモをするなど最後まで屈することをしませんでした。


1920年の10月12日に、拷問が元で亡くなったとされています。最後まで「独立万歳」を叫び続けたので、手足は切り落とされ、耳や鼻はそぎ落とされ、最後は首。壮絶な最後を遂げたとされています。


ユガンスン自身は篤実なクリスチャンであり、天からの使命を受けて、何百回、何千回命を捧げても惜しくない。イエス様が命を捧げられたことに報いたいという心情で、命を惜しまずに立ち上がるシーンが私の見た映画の中にありました。


大韓独立が天命であることを悟り、自らの両親を失い、自分の命をも厭わなかったその信仰。聖母マリアをクリスチャンが慕ったように、いつか人類がこの姿を仰ぎ見る日が来ることは間違いないでしょう。

信仰生活は感謝と喜び!

この柳寛順烈士歩みが、人類始祖エバの失敗を命がけで蕩減する結果となり、その翌年に再臨主が誕生する条件になっていきます。


文先生のお母様である金慶継女史も、独立運動の激戦の地であった定州において、親戚がとらわれて行く中において、命がけで信仰を立て、無原罪の子女をお生みになる条件を立てられます。


なぜ今さらユグァンスンと思うかもしれませんが、1992年の文先生の入国が、ユグァンスン大会の勝利を条件としてなされました。(詳しくは、「いつも私のとなりに神さま」 のブログを参照下さい。)


ですから、先生をお迎えするためにも、今こそ柳寛順を思い起こすべきだと思います。

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