真の家庭の家庭内暴力 | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■真の家庭の家庭内暴力(DV)


<文鮮明教祖による暴力>
まず、文教祖の「暴力」に関してのみ言葉からまてみましょう。

『一方、子供たちの基本的な行動をみると、すぐに遊びや反抗という方向へ行きがちであることがわかります。彼らは自由奔放な心をもって生まれてきたのですが、親たちは、いつも子供たちの後を追いかけて訓練しようとします。ときにはお尻を叩いたり、勉強しなさいと強いたりもします。それは自分のためではなく、「社会や国家に貢献できる人にならなければいけませんよ」と、つねに子供たちのためなのです。ときには子供たちを訓練しようとして暴力をふるうことがあったとしても、それは真に子供のためなのですから、後になって子供たちは「あれは自分にとって、最高にいい訓練だった」と悟ることができるのです。
 中には、自分が養老院に入れられたくないために、勉強しなさいというような、利己的な親もいないわけではありませんが、ふつう、勉強しなさいという親の動機は、そういうところにはありません。「親のことなど心配しなくてもいいから、社会や国家や世界のために奉仕する人間になりなさい。生きているうちに、何か世界のために役立つ人間にならなければいけないよ」というのが、本当の親です。しかし実際のところ、肉親からそれほど真理に近い指導を受けた人がどれだけいるでしょうか。それが、あなた方が別の親を捜しに出かけて、ついに真の親を見いだそうとする理由ではないでしょうか。』

(苦難と涙 1978年3月1日 米国・ベルベディア)

では、文教祖は自分の子供に対してどのように教育いているのでしょうか。文教祖の長男の前妻の洪蘭淑女史は、著書「わが父文鮮明の正体」の中でこのように述べています。

仁進は私に言った。文鮮明は彼女を何度も何度もたたきながら、自分は彼女を愛するがゆえにたたいているのだと強調した。彼女が「お父様」の手でたたかれるのはこれが初めてではなかった。彼女は言った。警察にいって、文鮮明を児童虐待で逮捕させる勇気があればいいのにと思ったわ。私は彼女に一番いいブルージーンズと白いアンゴラのセーターを貸し、その話によっていかに衝撃を受けたかを隠しておこうとした。
 「真の家庭」内での新生活のなかでもとくに、文家の子供たちとその両親のあいだの不和は私を唖然とさせた。私は早いうちに、これが暖かく愛情あふれた家族だという考えは間違いだと気づいた。彼らが霊的に完壁な状態に到達しているとしても、日常の彼らの関係にそれを見いだすのは難しかった、たとえばもっとも幼い子供でさえ、日曜の午前五時の家族の敬礼式に集まるよう言われていた。幼い子たちは眠く、ときには不機嫌だった。女たちは最初の数分問、子供たちをなだめようと努めた。私たちがすぐに子供たちを黙らせられないと、文師はかんかんに腹を立てた。文鮮明が自分の子供のひとりを黙らせようとたたくのは何度も目撃したが、初めてそれを見たときの嫌悪感を思い出す。もちろん、彼の平手打ちは、子供たちをますます泣かせるだけだった。

(洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」文藝春秋社 P127)

文教祖のみ言葉通り、「叩いて教育し矯正」する方針のようです。

また、イギリス統一教会創立メンバーの二世で脱会した真の家庭と頻繁に会っていたドナ・コリンズさんは下記のように述べています。

『ある夜文鮮明が住んでいた豪華なアパートに行きました。私は純情な子供として、会いたい、見たいと思ったんです。でも、なぜか父が文鮮明先生の部屋に行っちゃいけないと。それは実は文鮮明があの夜に、ものすごい暴力的な映画を見ていて、娘がそれを見るかもしれない、父はそういうふうに考えたんだと思います。父は行かせまいとするんですが、何回か実際に見てしまって、そういう時には本当に悪夢にうなされたという経験があります。この事件について、まだまだ話そうと思えばいくらでもあるんですが、先に行きます。彼らのやり方というのは、例えば文先生がなぜそんな、暴力シーンの映画を見るのかとか、さっきの赤線のこともそうですが、なんにでも霊的理由があると言います。いつもそういう具合でした。・・・・・韓国で統一教会のたくさんの集会に出て、そこに文鮮明が来るわけです。その文鮮明がメンバー達を聞くに耐えないような言葉で、罵倒したり、それから本当にぶん殴ったり、大声で怒鳴ったり、そういうことばっかりしてるのを見ました。ただ私はさすがに文鮮明から直接殴られたりしたことはありません。』
(ドナ・コリンズさんの講演より 2003年3月7日)
http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/jittai/jittai6.htm

霊感商法が批判されていたときでも、文鮮明は「壷を頭に載せてでも売りなさい!」とハッパをかけたといいますが、そのとき霊感商法のニセモノ霊能者役を担当していた信者で、現在脱会している「開天先生(霊場(販売場)での仮名)」はインタビューでこのように証言しています。
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質問:旦那さんの事故死による生命保険金はどれくらいでしたか。

開天:約8千万円でした。
それを全額、献金させていたんです。
そして彼女が亡くなったあと、子どもたちは、横須賀のほうの施設に引き取られました。
私はそのときに、「統一協会は血も涙もない団体だ」と思ったんです。
人間として絶対してはいけないことを統一協会はしている。
社会的な弱者に対する統一協会の姿勢(つまりは文鮮明の姿勢ですが)は、不必要なものはどんどん切り捨てていくというものでしかない。
必要なときはいいように利用するけれど、しゃぶるだけしゃぶって、何もなくなったらポイと捨てる。
たとえば、文鮮明の娘の子(文鮮明の孫)の子守りをやっていた日本人の女の子がいたんですが、ある日、子宮癌になったことがわかったんです。
自分の孫の面倒を見てくれた、家族のような信者が病気になったのに、文が何と言ったか。
「もう日本に帰れ」ですよ。
私なら即座にいちばん近い、いちばんいい病院を探して入院させて面倒を見るでしょう。

質問:文にはお世話になったとか、感謝の気持ちはないわけですか。

開天:ええ。
またある日、アメリカのボストンにあるモーニングガーデンと呼ばれる文鮮明邸内で、文鮮明が信者の日本の女の子に対して「お前、何人の男と寝たんだ」としつこく聞いていました。
女の子が、私はそういうことはしていませんと答えると、さらに執拗に「協会に来るまで、お前は何人の男と寝たんだ」と詰め寄る。
彼女は「していません」と言う。
それを何回かくり返した末に文鮮明がその子に何をしたか。
彼女に唾を吐きかけて、足蹴にした。
その子は正座して文の話を聞いてたんですよ。
その子に文は唾を吐きかけ、女の子の肩口を蹴り上げたんです。


質問:文鮮明自身がですか?

開天:文本人がやったのを私は目の当たりに見てしまった。
私はそのときに「この人は、ただの愚劣な人間だ」と思った。
本人がしていないと言っているのに、「たとえカラスが黒くても、俺が白って言ったら白なんだ」というやり方ですよ。
傲慢以外の何ものでもない。
しかし、信者は文のこういう行動には内にか重大な意味があると、勝手に解釈する習性が身についています。
信者に不安や恐怖心を植えつけ、信者に対して非常に都合のよい身勝手なすりかえを起こさせることができる教義。
それは「蕩減原則」という教義です。
わかりやすく説明すると「罪滅ぼしの原則」で、もともとの原罪が減刑されるという教えです。
統一協会の信者は堕落論を受け入れることによって、自分自身の存在そのものが罪であるというレベルに落としこまれています。
信者は悪側に立たされていて、絶対的な善側に何をされても、それは蕩減(減刑)され赦されていく道であると解釈するんです。
だから、この女性は日本を代表して、蕩減として文の行為を甘んじて受けた。
周囲もそう解釈する。
カルトの信者と暴君教祖との関係はこれに尽きる。
オウム真理教が行なった一連の事件の本質も、ここにあると思います。
統一協会とオウム真理教の根底に流れている教義の本質は、まったく同じだと理解できます。

質問:元三男婦人で、離婚した洪蘭淑も、息子が唾を吐きかえられたと、「IN THE SHADOW OF THE MOONS」という本に書いてますね。

開天:もっとあるんです。
やはり信者で足の悪いCさんという御老人がいらっしゃる。
この方は神奈川県に実家があったんですが、家や土地を売り払って、献金されたんです。
もう80歳を超えているかもしれません。
で、文鮮明が韓国の済州島のセミナーに来いというので、この方も行くことにした。
障害もあるし、車椅子生活で不自由だから、本人はあまり行きたくなかった。
でも、文鮮明が呼んでいると言われて、連れて行かれたんです。
文鮮明はいつも通路を行ったり来たり、ウロウロしながら説教するんですが、そのときたまたま通路にCさんの足が出ていた。
すると文鮮明は、その足をしたたかに蹴り上げたんです。

Cさんの介護について行った姉妹が、「この人は足が悪くて」と大慌てで説明したんですよ。


質問:教祖にあるまじき行為ですね。

開天そうしたら文鮮明は「そんな者は消えてしまえ!」って怒鳴ったというんです。
文鮮明が来いというので、Cさんは不自由な体を押して行ったんです。
足が曲げられないので通路に出していたんでしょう。
この方は、全国でも2番目か3番目の篤志家で、億単位の献金を統一協会にした人なんです。
文鮮明は信者のことなど何も考えてやしない。
そうでしょう。
すべてをなげうって献金した人が、不自由な体を押して自分のセミナーを受けに韓国まで来たら、感謝の気持ちを込めて大歓迎するはずでしょう。
しかし、文は彼に暴力の“洗礼”を与えて、「消えてしまえ!」と怒鳴りつけた。

そんなバカな話があるか。
あの人は、人の懐の中に入っていけるような親しみの持てる人ではない。
むしろ、怖くて怖くて近づけない。
何をされるかわからないっていう、一種の恐怖を周囲に植えつけながら、「統一原理」というくびきを信者に付けさせて、善良な人間を恐怖政治で管理しているんです。
私はHG、つまり信者の借金がわれわれの生活費になるのだと思ったら、耐えられなかった。
自分たちが人の困窮の上にあぐらをかいて吸血鬼のように生活するなんて、たまらない。
自分は人類救済のためと思って率先して献金し、人にも勧めてきたのに、結局、やってきたのは人からお金を奪うことだけだったのか。
身近にいる人さえ救えないのに、どうして世界や人類が救えるのか?

(別冊宝島 「救い」の正体 <統一協会という堕落 「霊感商法」-----最強の霊能士「開天先生」の証言。 高山和雄(ルポライター)>より)
http://plaza.rakuten.co.jp/kanteishoku800/diary/20091004/
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<長男・文孝進氏による暴力>




(インタビュー最初の部分)

司会:浮気よりひどかったのは、夫の暴力だったと彼女は言います。四番目の子供を身ごもっているとき、ゲンコツで何度も殴られたことがあったそうです。

蘭淑:夫はいつものようにコカインをやっていました。黙っているほうがいいのは、わかっていましたが、我慢できなくなってこう言ったんです。
「もうこんな暮らしはいやだ」と。それからコカインを取り上げてトイレに流そうとすると彼が殴りかかって来ました。目にアザができて鼻血が出ましたが、でも、そんなことよりなにより、一番怖かったのは、赤ちゃんを殺されそうになったことなんです。

司会:お腹の赤ちゃんを?

蘭淑:そうです。あのときは妊娠7ヶ月でした。でも夫は子供を殺してやるといい続けたんです。お腹を殴られるんじゃないかと、それが一番心配でした。大変なことになるんじゃないかと。

司会:文師夫妻にそのことを話すと彼女が悪いと言われたそうです。

蘭淑:私が夫にとって理想の妻ではないから殴られても仕方がないというのです。殴られるのが私の宿命だと言われました。

司会:誰が言ったんですか?

蘭淑:二人(文鮮明夫妻)がです。だから我慢するのが私の宿命だとね。

司会:蘭淑さんの言葉にうなづいたのは意外にも文師の娘、恩進さん。彼女も夫が暴力を振るうのは自分のせいだと両親(文鮮明夫妻)に言われました。

司会:夫に殴られた?
恩進:ええ
司会:ご両親(文鮮明夫妻)に言ったんですね。
恩進:ええ
司会:ご両親は?
司会:私のせいだと。


文教祖の長男の前妻の洪蘭淑女史は、著書「わが父文鮮明の正体」の中で孝進氏の暴力についてこのように述べています。

『私の子供たちは、私の人生でただひとつの本当の祝福だった。妊娠していないとき、私は自分が妊娠と妊娠のあいだにいると考えた。自分の状態によって、授業に参加するか、授業から抜けるかのどちらかだった。一九八七年、私は自分が二度目の流産に直面していると確信した。妊娠四ヵ月目で激しく出血していた。医師は横になって休むようにいったが、それでも出血は止まらなかった。私はとても脅えていた。孝進が、両親と一緒に釣りにいっていたアラスカから電話してきたとき、彼は私の声にそれを聞き取ったにちがいない。
 私は彼が電話で心配してくれたことに感激したが、その心配は「イーストガーデン」にもどるころには消えていた。彼がコテージハウスに到着したとき、私はベッドで聖書を読んでいた。彼は私の手から聖書をたたき落とした。私は手で身を守った。「おまえ、聖書のほうが真の御父母様より大切だと思ってんのか」と彼は怒鳴った。「なんで外に出て、挨拶しなかったんだ」私は出血と医師の指示のことを説明しようとしたが、彼は聞く耳をもたなかった。もし、出血しているのなら、おそらく赤ん坊は障害児だろう、と彼は叫んだ。「真の家庭」に障害児をもたらすよりは、流産したほうがいい。私は彼の冷酷さに衝撃を受けた。「立て、この怠け者の売女」と彼はどなった。』

(洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」文藝春秋社 P213)
 
『孝進は「お父様」が私の両親を攻撃したことで大胆になった。それにあわせて、彼は私に対する攻撃をさらに激しくさせた。一九九三年には、コカインを常用するようになっていた。彼は何日も続けて私たちの主寝室に閉じこもり、私はやむを得ず、予備の衣類を子供たちのクローゼットにしまい、彼らの寝室を一緒に使わねばならなかった。
 一週間中コカインを吸い、ポルノ・ビデオを見て過ごしたあと、ある晩、彼は私を自分の部屋に呼びつけた。私はいくのを拒否した。彼は叫び声をあげ、大声で卑猥なことを言いながら、私たちが教会関係の教室に使っている廊下の部屋までおりてきた。彼はコーヒーテーブルを横倒しにし、私を部屋のひと隅に追うつめて、壁に打ち付けた。彼の顔は私の顔からほんの数インチのところにあった。
 私は911をダイアルしようと電話に飛びついた。「警察を呼んでいるのよ」と私は警告した。しかし彼は受話器を私の手からはたき落とした。「よくも警察なんか呼べるな」と彼は叫んだ。「あいつら、ここじゃなんの権利もないんだ。おまえ、おれが警察を怖がると思ってんのか? このおれが? メシアの息子が?」
 彼が次に何をするのかわからなかったので、私はできるかぎりの大声で助けを呼んだ。教室の扉は大きく開いていた。警備員や厨房係の「兄弟姉妹」たち、ベビーシッターたち全員に私の声が聞こえているのはわかっていた。だれもこなかった。だれが文孝進に立ち向かう度胸をもっているのだろうか?だれがメシアの息子から私を守ってくれるだろうか?彼は私の叫びが役に立たないのを笑い、うんざりして教室を出て行った。私は兄に電話をし、警察にいくつもりだと言った。』

(洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」文藝春秋社 P226)

『彼のコカイン濫用がエスカレートするにつれて、スタッフや家族に対する喧嘩腰の態度もエスカレートした。私に対する言葉による虐待は、卑猥な言葉に満ちた侮辱から肉体を傷つけてやるという脅しへとアップした。彼は私達の寝室においてある銃ケースを開けて、強力なライフルの一丁をつかみ取り、尋ねたものだ。「これでおまえをどうしてやれるかわかってるな」彼は「真の御父母様」からの贈り物であるマシンガンを私たちのベッドの下に入れていた。マンハッタンセンターでは、彼の機嫌を損ねた者たちには、もし文孝進を裏切ったら、自分たちの身にあたえられるであろう暴力を、まるで目に見えるように描いて聞かされるのがいつものことになった。彼は熟練したハンターであり、あるとき側近たちの集まりで、最近マンハッタンセンターを離れた社員の皮をどうやって剥ぎ、内臓を出してやりたいか、微に入り細にわたって話して聞かせた。』
(洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」文藝春秋社 P233)

『そのことを私以上に思い知らされた者はいない。九四年九月、孝進は私を激しく殴った。私は、彼が私達の寝室で、家族のひとりと午前三時にコカインを吸っているのを発見した。私は怒りをおさえられなかった。「これが家族にさせたい暮らしなの?」と私は尋ねた。「あなた、こんなふうな父親になりたいの?」私は言った。もうこんな生活は我慢できない。私はコカインをトイレに流そうとし、その途中でいくらかを浴室の床にこぼした。彼は私を床に押しつけ、私がとにかく回収できた白い粉をすくい取らせた。彼は私の顔をげんこつで殴り、私は鼻から血を流した。彼は手で私の血をふき取り、それをなめた。「いい味だ」と彼は笑った。「こいつはおもしろい」
 そのとき、私は妊娠七ヵ月だった。彼が私を殴っている間、私は手でおなかを守った。「その赤ん坊を殺してやる」と孝進は叫び、私には彼が本気なのがわかった。

 翌朝、子供たちは目に涙をため、黒くなった私の目には氷を、打ちのめされた私の魂には擁護をくれた。孝進が私に警告をあたえなかった、と言うわけにはいかない。いったい何度私に言っただろう。自分の中には深い暴力の井戸がある、と。「おまえがおれをあまりにも遠くまで押すと、おれには自分が止められなくなる」いま私には、彼が大げさに言っていたのではないことがわかった。
 孝進は自分のふるった暴力について、なんの後悔も感じていなかった。のちにマンハッタン・センターの側近たちに語ったところによれば、私たちに平手打ち喰わせたのは、私が彼を「怒らせた」からであり、私は彼に、学校時代の教師を思い出させるのだそうだ。その教師は、いつも同級生の前で、彼に恥をかかせようとしたという。彼は言った。あいつは信心深くて口うるさくて、独善的な売女だ。』

(洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」文藝春秋社 P235)

※初回更新日 2011-10-28 16:22:59