■カインが愛の力で自動的に自然に頭を下げるような使命を果たさない者はアベルではない
『ホーム・チャーチをつくるにはカインを屈服させなければなりません。カイン的個人、カイン的家庭、カイン的氏族、カイン的民族、カイン的国家、世界的蕩減条件を立たせなければ、自分の故郷には帰れないのです。
ですから、今まで宗教の道を歩む者はみんな出家して、社会に奉仕して犠牲になり、理想の極楽に行くというようにしてきましたね。あなたたちも出家してやってきたのでしょう。先生もそうです。原理は貴く素晴らしいということを知っていますから、自分の両親、兄弟に一番先に聞かせたいのです。しかし、神の摂理は、アベルを救うための摂理ではありません。アベルを祭物として、カインを救う摂理ですから、尊いものをカインに向けるのであって、アベルに向ける原則ではありません。ですから先生のお母さんに対しては一着の着物も買ってあげたこともなく、一生涯を犠牲にしました。万民に対してはいろいろなことをやりながら、子供に対しては何もやりませんでした。それを個人から氏族、民族、国家、世界までやって条件を立たせて、それから自分の故郷に帰るようになっています。今から帰るのです。
今年になって先生は、お母様や子供たちに、着物やおもちゃを買ってあげました。買ってあげても先生は条件に引っかかりません。そういう原理原則があります。日本の責任者たちは、「教会長だからアベルであり、君たちはカインだから、カインはアベルに屈服するのが原理だから従え」と先生が教えない原理の教えをしているのではありませんか? そういう原理はありません。愛の力でもって、自動的に自然に頭を下げるような、そういう使命を果たさない者はアベルではありません。アベルの立つ基盤がありません。勝利し得なかったのですから、神は認めません。それは個人的、家庭的、氏族的、民族的においても同じことです。ですから統一教会が世界的なアベルの教会であるとするならば、世界的に血を流して蕩減条件を勝利して、勝利の領収書にサインをサタンにしてもらって、そこで初めて世界的なアベルになれるのです。そのようになっています。』
(祝福を迎える一日1978年9月22日埼玉・神川村)
①神の摂理は、アベル救済摂理ではなくアベルを祭物としてカインを救う摂理
②カインが愛の力で自動的に自然に頭を下げるような使命を果たさない者はアベルではない
統一教会は「愛の自然屈服」と「絶対服従」の2つの内容がいつも同時に語られているところをみると
カイン(非教会側)のとき「愛の自然屈服」
⇒アベル(教会側)になったら「絶対服従」
こういうことでしょうか?
よくみると①のアベルの位置に立っている人はすでに「絶対服従」信仰であるので、どこまでも一番上のトップに「絶対服従」することになります。
原理講論/創造原理/創造目的の文末にこういう内容があります。
『天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。』
天国になっても真の父母からの指示待ちには変わりないようです。
当たり前のような内容に見えますが、永遠に『神⇔個人』の構図は出てきません。
天国とは、神の直接主管圏であるので原理講論/創造原理/創造目的の「神の命令が人類の真の父母を通して」だと明らかに矛盾します。それでは、間接主管圏で堕落状態と変わりないように思います。
愛ある教会は来るなと言っても自然に人が集まるはずなのですが・・・。従えと言わなくても、やりたくて自然に従うのではないでしょうか?
■この内容の関連記事
日本のアベルカインの教えは間違っています!(1)
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日本のアベルカインの教えは間違っています!(2)
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日本のアベルカインの教えは間違っています!(3)
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■参考記事
gildongのブログ(日本式アベルカインが間違いである理由(原理講論から))
http://ameblo.jp/gildong/entry-10813880448.html
gildongのブログ(カインアベルの一体化がサタンの罠である理由)
http://ameblo.jp/gildong/entry-10821299583.html