日本のアベルカインの教えは間違っています!(1) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

「日本のアベル・カインの教えは、間違っています! カインに何も教えないで命令して、どうなるのですか。天のすべてのことを教えてあげないといけません。自分がいなくても、代わりにやれるように教えてあげないで、命令ばかりしています。そういうアベルがどこにいますか! 伝統がそうなっているのですか! それなら、先生が世界的に命令すればいいのです。」
(我の生涯 1993年4月21日ニューヨーク・ベルベディア(ニュージャージー地区の日本人対象の修練会にて))



文先生が日本のアベルカインは間違っていると、言ったとか言わなかったとか食口の間では、噂になっていますね。

文先生はハッキリと「日本のアベルカインは間違っている」とみ言葉の中で言っています。以下は、日本のアベルカインが間違っているという詳しい説明のみ言葉です。自然屈服なしにアベルの位置には立てないとおっしゃってますね。(納得です)



■そこで問題だね。日本では一方きりで、中心者はもうアベルだと、絶対服従とね。

(郭先生が文先生に説明される)「その、みんな日本の兄弟たちがその外国に出るとき、また一つの宣教師の立場で一言話したい事がありますよ、日本の兄弟たちに。そのきちっと、伝統的にね、カイン・アベルをもって捧げる、侍る、それはもう良く本当に日本の兄弟たち姉妹たちはいい一点はあるけれども、ドイツ人とアメリカ人と三名が併せて現地でね、宣教地の現地で日本人の一番の欠点は何かというとね、断片ですが何かというと、余りそのそれが強いですよ。いつもね、向こうへ行ったら、『おう、私が先輩、私が教会に初めに入った。私が経験がある。私がエバ国の代表』、そのようなものが内的に余り強いだからね、きょう、前、そのここ、お父様がおっしゃったのに、そのドイツ人とアメリカ人をそのエンブレイスしてね、できるその点が足らない所をたくさん見たからね。それだから、まあ伝統がそのできる基盤を作った後ではそれはいいけれども、今の立場では、それ余り強くその観点もったらまずいでしょう(説明終了)」
(ここから文先生がお話される)
日本ではそういう時、カイン・アベル問題は中心者がアベルだとしてね、もうそれ一方きりで教えてきたんだね。アベルは本当はそうじゃないんだ。アベルがカインを救うための責任があるんだね。カインを救ってやってアベルになるんであって、救う前にはね、救わない前にはアベルにはなりません。救った後に、長男圏を果たし得る、そういう道が生まれてくるんであって、それアベルの権限が生まれるのであって、カインを復帰しない前にはアベルの権限がないという、それが間違っているんだね。それは間違っている。だから、カインを復帰するまでには、アベルが捧げ物にならないという、そういう聖書の本音の意義を。そこで問題だね。日本では一方きりで、中心者はもうアベルだと、絶対服従とね。そういうふうに、初めからそうなっているんだね。しかし、アベルという存在はね、復帰過程に犠牲にされている。犠牲にされてもカインを救わなければアベルの権限、アベルの権限は犠牲になって長子権を伝授されることによって、アベルの権限が長子に立つ事によって、権限が払うのであって、それは任命された当時とそのままだ。そこから権限を払ったらいけないという、それは間違っている。それわかった?(久保木会長「ええ」)。それをはっきりしないといけないよ。だから、それがはっきりしているから、西洋は西洋に行った場合には、「自分たちがそのもうエバ国家だから、アベルだ」と言う。日本人はこれだめよ。日本で今までその考えたそのアベルの権限までは、まだそれを取っていない。権限を取るための道を行かなければならない。そうするには、カインを救ってやって、天の心情圏というものがどういうものかという事をわかって、自分も親に帰るには、アベルを長男の立場に立たせなければ帰れない原理の道をわかってこそ、アベルの権限圏を払うのであって、それを服させるのであって、それが原理なんだよ。それを間違ったらだめなんだよ。だからアベルが、アベルはカインに対してアベル圏を捜すには、教会内では捜せません。一線に出なけりゃならない。君たちにそれまあ僕は話しとるのは、はっきりわからないから………。この原理から見た場合に蘇生、長成、完成圏、この基準というその基準の道は、本当は原理から見た場合には、長男と長女が先に行くようになっておる。それ原理観よ。これが問題だね。長女がそれ上がって行くような原理主管圏と直接主管圏の道であって、次男というものはね、次男というものは、先に上がる道がありません。それは親の後、兄さんの後を付いて上がる道であってね、最初に上がる事はできません。しかし、復帰路程において、これを誰が最初に上がらなければならないかというと、アベルがカインを復帰させて、長男の立場に立たなければ、上がる道を、元の上がる道を発見する事ができない。この上がる道を発見しなかった場合には、絶対、それはサタン圏にそのまま止まるというんだね。それで、アベルたる者は教会内で、中心部で、立ってそのままで、そのままで行かれない。……、サタンという者を屈伏させて、一線上で個人的、一部の個人的復帰をするためには、個人的アベルの立場に立って、カイン的一線の者とね、者に行って迫害を受けながら、攻められながら、迫害を受けながら、打たれながら、それを打つのを、もう何遍も打たれてね、東西南北、東西の周囲、それから前後、それから上下関係、縦横に打たれながらも、それができなければならない。「あのその者にはいくら迫害しても、それは屈伏させる事ができない。」それで、カイン自体も余りにもやった。自分の良心の基準から見た場合に、「苦しくてたまらない、あのような正しい人をこういうふうにやっつけた。自分がいかに悪らつな者か!」それを発見させる方法を通して、今までやったすべてを悔い改める。その代わり、アベルの立場に立つ者に対して、「君が願うすべてのものを、生命までもみんな捧げてあんたの後を付いて行きます」。その時に、次男の立場から長男の権限を一線で伝授する。そうして帰って来るにはね、帰って来て個人的長男圏の元の、堕落しないアダムが、長男として上がって行くべき本来のその蘇生、長成基準の上に立って、家庭基準に向かって上がる事ができる。一歩。そのままずうっと行かれません。家庭基準をそれ勝利した場合には家庭を連れて一線に出なければならない。これが原理の道よ。だから、宗教という道は出家をしなければ、正しい道を行かれないという結論がここから生まれて来るんだね。だからこれを何回、個人から長男を復帰して元の位置に帰って来て、長男が行くべき家庭基準に上がって、それ家庭を引っ張って行って、また家庭カイン、家庭アベルの戦いをする。だから、周囲の家庭すべてに打たれなければならない。一切の全体の部落がこれが騒ぐんだね。部落全体、それはもう噂される全体の方がね、これ反対する方法をサタンはとるんだね。そのすべての環境をね、東西南北すべての環境から迫害されても、反対に、それは愛でもって消化して行く。愛で。一番早い道はね、その者を憎むより、自分の、その者の子供たちを愛すれば一番良い。子供たちをね。そうして子供たちが自動的にこのアベルの方で、それはもう、それは長男として侍るようになれば、それで自分の親たちを引っ張って来た場合には、自動的にもう、それは服従されるその道が生まれてくるんだね。だから、そういう二世を通してカインを屈伏させる道が早い。それで、神様は二世を通して、今、長男復帰の道を開拓しているという。」
(夕食後の先生の御言 1986年1月2日 漢南洞)



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日本式アベルカインが間違いである理由(み言から)(gildongのブログ)
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